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{ 27: 火葬(2) }

{ 第1話 , 前回: 第26話 }

部屋にはだれもいなかった。あれだけ大声でわめいたにもかかわらず、春樹の脱出だっしゅつだれひとり気づいていない。「火葬かそう屋」と呼ばれていた男は、ここからいなくなってしまったようだ。

やがて落ち着きをもどすと、春樹は立ち上がった。ここが学校の理科実験室のような部屋であることに気がついた。あるいは病院の手術室、あるいは死体安置所のように寒々しい部屋だった。かたいかべには、うすい緑色のペンキがってある。ゆかもうす緑のタイル張りだった。蛍光けいこう灯の真っ青な光がやけに強く、暗いところからい出てきたせいもあって一層まぶしかった。大きな換気扇かんきせんが、エンジンのように音を立てて回っていた。

部屋のすみに、台が置いてあった。人間ひとりをかせられるくらいの台で、その上に細長い木の箱が置いてあった。春樹がめられていたのと同じ箱のようだ。安っぽく、粗末そまつ棺桶かんおけだった。

「まだ、他に燃やすモノがあと二体ほどありまして……」

火葬かそう屋と呼ばれた男がそう言っていたことを春樹は思い出した。考えたくもないけれど、中に入っているのは他人の死体ということか。

ふり返ると、石造りのが三つ並んでいた。火葬かそうというやつなのだろう。春樹の出てきた真ん中のだけフタが開いていた。あいも変わらずブォォンという音が鳴っていて、見つめているうちに、コウモリや虫の大群が中から飛び出てくるような気がしてきた。

春樹は火葬かそうのフタを閉めた。そうすることに意味があるのか考えもせずに……開ける時はあれだけ苦労したというのに、閉めるときはにくたらしいほどあっさりフタが閉じた。脱出だっしゅつしたときの大量のあせで足元がれていた。春樹は我に返って、この部屋に唯一ゆいいつあったとびらへ目をやった。

「ここから出なくちゃ……」

とびらをあけると、長い廊下ろうかが続いていた。

廊下ろうかは暗く、天井てんじょうは高かった。春樹は、自分がやけに大きな施設しせつの中にいることに気がついた。

「ここはいったいどこなんだ……?」

廊下ろうか人影ひとかげはなかった。脱出だっしゅつするにあたり、身をかくしながら慎重しんちょうに行ったほうがいいと思っていたけれど、一本道の廊下ろうかが続いているとわかれば、慎重しんちょうもへったくれもなかった。「火葬かそう屋」と呼ばれていた男が、いつもどってきてもおかしくない。春樹はした。

間もなくして、「ここはいったいどこなんだ」という疑問が、破裂はれつしそうなほどふくらんできた。本当に、ここはいったいどこなんだ? 

廊下ろうか途切とぎれると、細長い広間に出た。広間には、おりが並んでいた。人をめるためのあのおりだ。そこは二階、あるいは三階のけになっていて、上層の回廊かいろうにもおりがズラリと並んでいた。天井てんじょうには電灯がぶら下がっていて、ほとんどの電球はすでに破れていたけれど、生き残っていたいくつかが、青白い光で広間を照らしていた。

広間をけると、今度はせまい廊下ろうかが続いた。タチの悪い迷路のように入り組んでいる廊下ろうかだった。そこいもひしめき合うようにおりが設置されているものだから、通路を右に曲がり、左に曲がり、あるいは小さな階段を上り下りしていくうちに、春樹は自分がおりの外にいるのか、その中を走っているのか、よくわからなくなった。

あっちを見ても、こっちを見ても、おりしかない。いま必死に走っているこの空間は、さながら牢獄ろうごくの森といった具合で、木の代わりに鉄格子が生えていた。たまに天井てんじょうを見れば、鳥かごのような一人用のおりが、樹上の果実よろしくぶら下がっている。でも肝心かんじん要の森の住人……本来、牢獄ろうごくにいて然るべき囚人しゅうじんは、どこを見渡みわたしてもいなかった。

「ここは……監獄かんごくなのか? だれもいないぞ? それにしたって……」

無事に脱出だっしゅつさえできれば、ここがどこだろうと正直どうだってよいのだけど、こうも入り組んでいるとなると話はべつだ。

「広すぎる……どっちに行けばいいんだ?」

完全に道に迷ってしまった。自分がどこにいるのか全くわからない。さきほどの部屋にもどることすら、すでに難しかった。無論、あそこにもどる気なんて全くないのだけど。

春樹は途方とほうにくれた。けれど、だだっ広いぶん自分が見つかる可能性も低くなるので、それだけはありがたかった。いざとなれば、ゴミまりや牢獄ろうごくの中にんで身をかくすことだってできる。何しろこの施設しせつはどこに行ってもゴミと廃材はいざいだらけで、肝心かんじん要の牢獄ろうごくですら半分以上がこわれていて、鉄格子のすきまから出入りできるほどだった。ここは、とうの昔に廃墟はいきょとなった牢獄ろうごくなのだろうか? あたりは、カビくさいのか、小便くさいのか、ホコリくさいのか……あるいはそれらすべてをひっくるめたようなにおいだった。かべゆか天井てんじょう、どこを見渡みわたしてもシミとゴミと小虫の死体だらけで、ネズミの巣にでもほうまれた気分だ。

冷静になり考える余裕よゆうが出てくると、その分、余計なことも頭をよぎった。じつは、部屋を出た時から気になっていることがあった。気になっているというのは、つまりこういうことだ。

先ほどの棺桶かんおけに入っていたのは、本当に死体だったのか? もしかして、中の人が生きている可能性もあるのでは? 

「バカなことを考えるな」

春樹は自分に言い聞かせた。棺桶かんおけであるからには、中に入っているのは死体だ。確かに春樹は生きたまま棺桶かんおけに入れられていたわけだけど、それは例外だ。春樹を苦しめるためそうする必要があったのだ。あの火葬かそう屋だって、普段ふだんは薬で処刑しょけいした後に火葬かそうすると言っていたじゃないか。だからあれは死体で、もう助けようがないんだ。

「本当にそうか?」

あいつらは「薬で楽にする」と言っただけで、「殺す」と明言したわけではない。薬でぐっすりねむらせて、そのスキに火葬かそうしてしまうのが、あいつの言う「情け」なのかもしれない。だとしたら、棺桶かんおけにいる人はまだ生きている? 

「イヤだ、あそこにはもどらないぞ……」

ぼくはただの高校生なんだぞ? もどって何ができる? ここからげるだけで精一杯せいいっぱいだ。なによりも、あの赤い目の連中がもどってきたら? スイレイと……もうひとり、名前もわからない男がいた。たしかにスイレイは家族のかたきだけど、でもあのバケモノに立ち向う勇気なんてもう春樹にはない。

がしてきた。大声を出して、泣きたかった。事実、目からなみだがあふれ、泣きそうになった。それでも、春樹はもどらざるを得なかった。火葬かそうのあったあの部屋に……どうしてそんなことをするのか自分でもわからなかった。

火葬かそうのある部屋は、無人のままだった。廊下ろうかよりも確実に暑く、すすけたにおいのするこの場所にもどってきたことを激しく後悔こうかいしながらも、春樹は寝台しんだいの上に置いてあるその箱に近づいた。

いざ、棺桶かんおけを眼の前にすると、固まってしまった。フタがくぎで閉じてあるせいで、すぐに開けられそうにないのだ。はたけばかんたんにこわせそうなうすっぺらのフタだけど、いまは大きな音を立てられない。

どこかに釘抜くぎぬきはないだろうか? くぎを打つからには、その手の道具だってあるはずだ。でもそんなモノを探しているヒマはあるだろうか? ベニヤ板くらいのこのフタなら、手で引っぺがした方が早いのでは? どうしよう? はやく何とかしないと、ヤツらがもどってくるぞ! 

そのとき、ふとあるものが目に入った。棺桶かんおけかげにその道具は置いてあった。まさか、と思って春樹は手をのばした。金槌かなづちだ……しかも、釘抜くぎぬき付きの金槌かなづちときた。

「やったぞ!」と声を上げそうになったその瞬間しゅんかん、最悪なことが起きた。春樹の背後で、部屋のとびらがギィィときしみながら開いたのだ。春樹は、あわてて台の下にくぐりこんだ。

こんなところにかくれたって、すぐに見つかるだろう……もう終わりだ、と春樹は思った。燃えたぎるの中にほうまれ、今度こそ骨になるまで焼かれてしまう。その拷問ごうもんは、春樹が死ぬまで何時間だって続くだろう。夢の中の少年がそうであるように、はやく死にたいとさけびながら、熱湯のような火が肺の中で満たされていく様を味わうハメになるのだ。鼓動こどうが激しく胸を打つ一方で、頭から血の気がひっこみ、何も考えられなくなった。春樹は、ガタガタとふるえる体をかかえながら、台の下から周囲をうかがい見るしかなかった。

部屋に入ってきたのは、小男ひとりだった。その男は、春樹に気づかないまま火葬かそうへ歩いていった。水のたらふく入ったバケツを両手でるすように持っていた。

いったい何者だろうか? 背筋が丸まっているせいか、春樹よりもずっと小さな子どもに見える。その声は、「火葬かそう屋」と呼ばれていた男のモノにちがいなかった。

「ふぅ、暑い、暑い。部屋をはなれるなと戦士様はおっしゃいますが、こうも暑くちゃ水がないとやっていられませんよ。さて……このオンボロ火葬かそうめ……火力はいったいどんな具合か……な……」

部屋の真ん中まで来ると、男は立ち止まった。異変に気づいたみたいだ。ススでよごれたゆかだまって見下ろしていた。それからバケツを両方とも落とし、火葬かそうった。

「ひ、ひ、火が……」
 男は、フタを開けた。
「火が消えている! 故障してしまったのか? いや、そんなことよりも……そんなことよりも! あ、あのぼうやがいない!」

すぐさま春樹の捜索そうさくが始まると思いきや、そうじゃなかった。男は、その場でうずくまって動けなくなってしまった。春樹に負けずおとらず、恐怖きょうふふるえあがっている。

「あぁなんてことだ! まさかげられるだなんて! どうしよう……ば、ば、バレたら殺されてしまうぞ……戦士様に……どうしよう!」

春樹は静かに立ち上がった。それから決して足音を立てず男の背後にしのった。手には、先ほど手に入れた釘抜くぎぬき付きの金槌かなづちがあった。しのあしとは裏腹に、鼓動こどうはバクバクと鳴っていた。

まさか、この場にぼくよりも弱くて臆病おくびょうな者がいるだなんて……その事実は、この絶望的な境遇きょうぐうにおいて一筋の光明に思えた。こいつさえ片付ければ、当面の問題が解決するのでは、と。だって、少なくとも十二時間は、この男以外、部屋に入ってくる者はいないのだから……それだけあれば、棺桶かんおけの中を確かめることだってできるし、この施設しせつから脱走だっそうする目処だってつくのでは? 

春樹は男のうしろに立った。金槌かなづちにぎる手がこわばり、あやうく落としそうになった。

ほんとうに殺すのか、この男を? 子どものようにメソメソと泣き、ぼくと同じくらい無力であわれなこの男を? かまうものか……この男は、ぼくを焼き殺そうとしたんだぞ? 生き残るためにはやるしかないんだ。

春樹は金槌かなづちをふり上げた。うでかげびて、男の足元にまでせまった。それに気づいたのか、唐突とうとつに男がふり返った。

そのままの姿勢で固まった。春樹も、火葬かそう屋と呼ばれるその男も。

男は、自身の死が予想よりもずっと間近にあることに気づき、仰天ぎょうてんした。目を見開き、春樹を見つめた。

あと一歩だけみこんでから金槌かなづちをふり下ろせば、すべてが終わる……それは間違まちがいないはずなのに、春樹は動けなかった。男の目が、赤かったからだ。傷とあせとススまみれの小さな顔に……人間とまったく同じ顔にあの赤い目があったのだ。

まるで春樹の足元だけで大地震じしんが起きているかのようだった。春樹はその場でふるえた。

「ひ、ひぃ!」
 男も、春樹とおなじように体をこわばらせた。
「た、助けて……どうか命だけは……」

やれ! いますぐに! 心の中で何度もそうさけんだのに、体はまったく言うことを聞いてくれなかった。命がけのこの期におよんで、まだ赤いモノがこわくてふるえるだなんて。

まもなくして、男が春樹の様子に気づいた。いっこうにおそってこないどころか、ゆか金槌かなづちを落とした挙げ句、棺桶かんおけに手をついて今にもきだしそうな高校生なんて、まったく脅威きょういでないとさとったようだ。男は、さけごえをあげて春樹におそいかかった。

春樹は、体当りしてきた男とともに後ろにたおれた。ガッシャンと、台座ごと棺桶かんおけまでひっくり返った。頭をぶつけたのは本日二度目で、後頭部から全身にかけて電流のような痛みが走った。

もみ合いになった。男の力はたいしたことなかったが、満身創痍そういの春樹が返り討ちにできるほど弱いわけでもなかった。両者さけびながら相手をなぐり、き、みついた。その取っ組み合いがどれだけ続いたのかはわからないけど、体力の限界が先にやってきたのは春樹だった。気がつけば、男が馬乗りになっていて、しかも手には金槌かなづちにぎってあった。

「す、すまない……ぼうや……」

ゼェハァ、ゼェハァ、と息はあらく、全身あせまみれだった。口のはじはヨダレであわいていた。男は、片方の手で春樹の体をおさえると、もう一方の手をふり上げた。

「や、やめて!」
 春樹は、両手をかざしながらさけんだ。

赤い目が、しかと春樹を見すえた。男は、金槌かなづちをふりおろした。春樹は目をつむり、観念した。

体が軽くなった。それでも執拗しつように体をこわばらせ、春樹は金槌かなづちに備えた。男の悲鳴が聞こえた。目をあけてそちらを見ると、男が地面に転がり、のたうち回っていた。すぐそばに、知らない人が立っていた。


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