{ 50: 変電所(2) }
「子どもの頃、電線をずっと辿って行ったことがあるんだ」
ロウ特製の晩餐をすっかり平らげると、春樹は食器を片付けながら昔の話を始めた。
「自転車に乗って、家から電柱を辿り、郊外の鉄塔を順番に巡ったんだ。秋人を連れてさ。ちょっとした冒険だったな。電線が、どこまで続くのか気になったんだ」
「発電所まで続くんじゃないか?」
ロウは言った。
「僕もそう思った。でも、たどり着けなかったんだ。発電所は遠すぎて、子どもが自転車で行けるような所じゃない。そのかわり、たどり着いた先に変電所があったんだ」
「変電所ってなんだ?」
「変電所を知らないのか?」
春樹は驚いて言った。
「毎晩、電気基礎の講義を聞かせていたってのに……いいか? 変電所というのは、発電所から大電圧で供給される電気を、一般家庭でも使えるよう弱い電圧に変換する……おい、寝るな、ロウ! しっかり話を聞け」
「おっと、すまん。おまえの話は長いから、いつも眠くなるんだ。あやうく自分からあの悪夢を見に行くところだった」
「とにかく、電線を辿っていけば、必ず変電所にたどり着く。そこがポイントなんだ」
「たどり着くから何だってんだ? 隠し階段となんの関係もないじゃないか」
「それがあるんだよ。今から説明するけど、話が長くなるからって寝るなよ?」
春樹は、洗い終えたばかりの皿を布で拭いて棚にしまい、それからベッドに腰掛けているロウのとなりに座った。
「僕は、変電所がこの街の地下に隠されていて、そこから下の階の街へ移動できるとにらんでいる。変電所こそが、上の階と下の階をつなげる隠し階段の正体なんだ」
「どういうこった?」
「電線は、すべてつながっているんだ。いいかい? 電線は、それぞれの階に穴を通してつながっているんだ。四十九階にある発電所から地上まで。その電線をたどることができれば、僕たちは地上にまで行くことができる」
「電線の他にも、ガス管、水道管みたいに、階の間を通さなくちゃならないモノはいっぱある」
春樹は続けた。
「そして電線や水道管の通り道のどこかに、必ず変電所のような電気設備と、給水・排水の水道設備があるはずなんだ。おそらく、宿命的に土地不足ともいうべきこの黒い塔では、そういった設備は建てものの内部……もっと言ってしまえば、人目のつかない地下に隠されていると僕は推測している」
「設備を隠す理由は?」
「攻撃に対する防御だ。もし僕がケモノの戦士を倒すためにこの塔を攻めるとしたら、かならずビル管理設備を制圧する。この塔を作った者たちは、そういうった攻撃の対策のために隠そうとしている。塔の住民たちにすら隠しているんだ。でも、たとえ隠されていたとしても、点検や修理のために誰かが出入りしているはずなんだ。それこそが、『隠し階段』という曖昧なウワサの出処なんだろう……」
「なるほどな、納得したよ」
ロウは言った。
「だけど、春樹、ひとつだけ言わせてくれ。おまえの話が正しかったとしても、問題がふたつあるんだ。その問題ってのは、つまりこうだ。変電所は隠されているから、どこにあるのかわからない。『隠し階段』が、『隠された変電所』って呼び方に変わっただけだぜ?」
「電線をたどる」
「どうやって? お前の住んでいた東京なら電柱ってやつを辿って行けばいいんだろう? でも、ここらの建物に電気を供給する電線は、すべからく地下に埋まってるんだ。まさか道を全部掘り返す気か?」
「その必要はないよ。僕がいったいどれだけのこの街の配電設備を見てきたと思っているんだ。電線の経路のなら、ある程度は推測できる。ふたつめの問題はなんだい?」
「地下に変電所があったとして、それが下の階の建物とつながっているという根拠は?」
「僕がこの塔を建てるなら、そう設計するからだ。その方が、保守と安全管理面で効率がいい。送電用の電気ケーブルを隠すための建てものだって必要だからね。まぁ、確信があるわけじゃないのだけど……」
「確信がなくても探してみるっきゃないな」
ロウはニヤリと笑った。
「面白そうだ。俺も、その変電所探しに付き合うぜ」
「そう言ってくれると思った」
春樹は言った。
◇
その日は、ふたりとも夜遅くまで起きていた。ロウは、昨日の今日でとても眠る気にはなれないようで、それは春樹も同じだった。とはいえ時間が経つにつれて疲れを感じるようになり、二人は電気をつけたまま、ベッドで横たわった。話は、まだ続いていた。
「具体的にどうやって変電所を探すんだ?」
ロウの声が、ベッドの上段から聞こえた。
「今のところ、愚直に歩いて電線をたどる以外の考えは思いつかない」
ゴロンと横向きになり、春樹はベッドのすぐ脇の壁を見つめながら答えた。
「送電網の設計図のようなものがあれば、手っ取り早いのだけど」
「設計図かぁ。見たことないなぁ」
ロウは言った。
「親方連の資料室にいけば、そういうのが見つかるかもな」
「おやかたれん?」
「電気工事士親方連合」
ロウは言った。
「俺たちに仕事を斡旋してくれる組合みたいなものだ。住民は、電気に関して困ったことがあれば、親方連に仕事の依頼する。親方連は、俺たちみたいな雇われの身の工事師を現場に派遣する。工事が終わると、住民は親方連に工事費を支払い、俺達は親方連から報酬をもらう。金は、まぁ、それなりにピンはねされるが、仕方ないさ。親方連に頼まなきゃ、電気工事の仕事はさせてもらえないからな」
「へぇ。なんだか納得いかない話だね」
「納得いかなくても、そうなってるんだから仕方がない。東京には、親方連はないのか?」
「いや、聞いたことないなぁ。やっぱり、腕のいい職人が多いのかい?」
「いや、いけ好かない連中の集まりだ。偉そうにするだけで、腕もたいしたことない。でも、おれに仕事を教えてくれた親方だけはちがうぜ。その親方は……あ……あぁぁぁ!」
「どうした!」
突如、ロウが叫び出したので、春樹は驚いて体を起こした。その拍子に、ベッドの上段に頭をぶつけてしまったので、また布団に崩れ落ちた。
「だ、大丈夫か、ロウ?」
春樹は、痛む頭を抱えながら尋ねた。
「まさか、あの夢を見たのか?」
「ちがう!」
ロウが答えた。
「とんでもないことを思い出したんだ!」
「なにを?」
「変電所だ!」
ロウは言った。
「俺、そこ行ったことがあるかもしれない」
「はい?」
春樹は、今度こそ頭をぶつけないよう、慎重に起き上がった。ロウが、ベッドの上段からこっちに顔をのぞかせていた。
「出発するぞ、今すぐ。みんな寝静まってる夜のほうがいい。うまくいけば、今夜のうちに変電所を抜けて、下の街に到着できるかもしれない」