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{ 52: ミドさん }

{ 第1話 , 前回: 第51話 }

ロウがとびらたたくと、部屋の中から体の大きな老婆ろうばが出てきた。老婆ろうばは、ひと目見るなりロウをなぐりつけた。

「ロウ、あんた! 今まで、どこ行ってたんだい!」

ロウはばされてしりもちをついた。春樹は、唖然あぜんとしながらふたりを交互こうごに見た。

「おうイテぇ……」
 ロウがおしりをなでながら立ち上がった。
「やっぱりまだくたばってなかったか。ババアのくせに元気だな、あいかわらず……」

「いきなり家を出ていったかと思うと、二年間も顔を見せないで!」
 老婆ろうば玄関げんかんを出てロウの目の前で仁王立ちをした。

「上の街で暮らしてたんだ」
 ロウは言った。
「しかたないだろ? 働いていて、いそがしかったんだ」

「そいで、こっちの子はだれだい?」

老婆ろうばは、春樹に目配せをして言った。春樹は、最初にいた場所から五歩も六歩も退いていた。

おれの仕事仲間だよ。ちょいとワケありで、一緒いっしょに暮らしていたんだ」

「いまさら私に何の用だい?」

「やっかいなことになったんだ」
 ロウは言った。

厄介やっかい事にならなきゃ、あんたは親の顔を見に来ないのかい? 自分の都合のいい時にだけ、このババァをたよるってか? なんて見上げた子だい」

「夢を見たんだ」
 ロウは言った。

「夢がなんだってんだ?」

「うん、その、なんだ……あの悪夢のこと、まだ覚えているかい?」

「夢って……」
 ふいに老婆ろうばの声色が変わった。
 相も変わらずおこっている風ではあったけれど、明らかに戸惑とまどっていた。
「まさか、あんた……?」

「イッショウの兄貴とニショウの兄貴が見たあの悪夢だよ」
 ロウは言った。
「二日前から、おれも同じ夢を見るようになったんだ。ヒトヒラ先生が言うには、おれもケモノの戦士になるらしい……」

「あんたたち、朝食はまだだろう? 待ってな、すぐ用意するから」

春樹たちを部屋の中に案内するなり、老婆ろうばは言った。それから台所に立つと、作りかけの朝食の仕上げに入った。

小さいながら食卓しょくたくのある部屋だった。ちゃんと椅子いすのついている食卓しょくたくだ。これまでずっと便器のとなりにある布団の上で食事をしていたことを思えば、食卓しょくたくとはなんて贅沢ぜいたくなんだ。春樹とロウはそこに座って食事を待った。

「ミド……おれのいた孤児こじ院の先生だ」
 ロウが春樹にこっそり耳打ちをした。
「きついだろ? イッショウやニショウの兄貴たちだって、あのババァには逆らえなかったんだ。おれとハイタ兄ちゃんが孤児こじ院を出たころにはもう引退していて、ずっとこの部屋でひとり暮らしをしているんだ」

ミドさんは、ボウルに山積みにしてあった菜っ葉を、けむりくほど熱したなべに放りこんだ。ひとしきり鉄なべの中をお玉でかき回したあと、調味料と仕上げ油をふりかけてコンロの火を止めた。それから食卓しょくたくの真ん中に置いた大皿に、湯気のもうもうと立つ肉野菜いためを盛った。電子ジャーでいたごはんを二人のおわんにたらふくよそい、ヤカンでかしたお茶をヤカンごと持ってきた。

「あの……ありがとうございます」

春樹はハンチングぼうぎながら言った。

遠慮えんりょせずかっこみな」
 食卓しょくたくにドシンとこしえると、ミドさんは言った。
「ふたりとも、ちっこいたらありゃしないよ」

春樹もロウも、すでにミドさんの身長をえてはいたけれど、彼女かのじょにそう言われると、自分たちが十さいくらいにもどったように思えるから不思議だった。そのとき、春樹はミドさんと目が合った。ミドさんの真っ赤な目が、春樹の黒いひとみとらえた。ミドさんは、とたんに顔をしかめた。

「あんた、人間の子かい?」

「そうだ」
 口ごもる春樹の代わりにロウが答えた。
「先月、拾ったんだ」

「犬やねこじゃあるまいし……」
 ミドさんはあきれながら言った。

「あの、まずかったでしょうか?」
 春樹は、おずおずとたずねた。
ぼくがここに来たら……」

「人間の子と関わるのは御免ごめんだよ」
 ミドさんは言った。
「ロウ、あんたにだって、その理由はわかるだろう?」

「まぁそう言うな」
 ロウは、気にせずいため物にはしばした。
「まずは朝メシだ。それからくわしい事情を話すからさ」

迷惑めいわくだと宣言された手前、春樹はなかなか食が進まなかったけど、代わりにロウがもりもりと食べ、食卓しょくたくはあっという間に空っぽになった。ロウがよく作ってくれる料理と同じ味付けだったのでびっくりした。ロウは、湯呑ゆのみについだお茶を飲みほすと、聞いているこちらも気持ちよくなるほど豪快ごうかいなゲップをした。

「ロウ、あの悪夢を見たってのは本当かい?」
 ミドさんが切り出した。

「あぁ」
 ロウはうなずいた。
「イッショウとニショウの兄貴が見たやつと同じだよ」

「あぁ、なんてことだよ!」
 ミドさんは、机を両こぶしたたきつけんばかりにその場にした。
「まさかあんたまでケモノなっちまうとは……そういや、ハイタはどうなんだい?」
 ミドさんは顔をあげた。
「まさかあの子も?」

「今、どこにいるか知らないんだ」
 ロウは言った。
「ただ、兄ちゃんはケモノの戦士にはなっていないと思う。もしそうなっていたら、ニショウの兄貴が教えてくれたはずだ」

「あ、あの……」
 春樹が小さな声で割って入った。
「聞いてもいいですか?」

「なんだい、まわりくどいね?」
 ミドさんが言った。

「ケモノになるのは、まずいことなんですか? シュオにとっても」

「好き好んでなりたきゃ、なるがいいさ」
 ミドさんは言った。
「だけど、なんの理由もなく、子供がアレにされちまったらどうだい? 悪夢にさんざん苦しんだ挙げ句、ある日とつぜんかみが真っ赤になって、人間をにくむようになるんだ。そして、殺し合いに身を投じることが生きがいになるのさ。主様の命令あらば、いつでも、なんだってやってのける。戦士になるってのは、そういうことだ。それを喜ぶ親がいるとでも?」

「いいえ……」
 春樹は首をふった。

「イッショウの兄貴が、あの夢を見るようになったのは、五年前のことだ」
 ロウは言った。
おれたちは『シュオの夢』なんて知らなかったから、毎晩大騒おおさわぎだったよ。その時、兄貴を診察しんさつしてくれたのがヒトヒラ先生なんだ。それからしばらくして、兄貴のかみが急に赤くなった」

自分のかみの色も変わっているか気になったのか、ロウが頭をさわりながら言った。

「その時点でもう兄貴は変わっていたな。そうだな……見た目や性格が変わったというより、なんというか、別の生き物になったようだった。もちろん兄貴は兄貴のままで、変わっていないはずなんだが……それから二年ほど経って、ニショウの兄貴も同じようになったよ」

「ロウ、あんた、今日からこの部屋を使いな。そのつもりでここに来たんだろう?」
 ミドさんは言った。

「いいのか? 迷惑めいわくをかけちまうぞ?」
 ロウは、めずらしく遠慮えんりょした態度だった。

「あの夢を見たとなっちゃ、だれかの世話が必要だよ。最初のうちは、大量のあせの中にションベンも混じるからねぇ」

「もうそんなとしじゃねぇ!」
 ロウが声をあげた。

「なに、気にしなさんな」
 ミドさんは笑いながら言った。
「あたしゃずっと孤児こじ院で働いてきたんだよ。おもらしのシーツなんざ、それこそ何千枚と洗ってきた。それで、あんたはどうするんだい?」

ミドさんが急に春樹のほうにふりむいた。

ぼく、もう出発します」
 春樹は言った。

「何いってんだ春樹?」
 ロウはおどろいて言った。
「おまえもしばらくまっていけよ」

「ここはあんたの家かい?」
 ミドさんがロウをとがめた。

ぼくまで迷惑めいわくはかけられないよ」
 春樹は言った。
とう脱出だっしゅつ方法の目星はついたんだ。ひとりでもなんとかなりそうだ」

「この階の変電所を探すにしても、拠点きょてんは必要だろう?」
 ロウは言った。
おれたちが降りてきた『かくし階段』は、この街のビルにつながっていたけど、ビルの地下に変電所はなかった。変電所は別の場所にかくされているんだ。すぐに見つかりっこない」

「そうだけどさ……」

「なんの話をしているのかよくわからないけど……」
 ミドさんが口をはさんできた。
「帰る所がないなら、あんたもまっていいよ」

「い、いいんですか!」

 春樹は思わず声を上げた。ミドさんの態度から宿の確保はぜったいにムリだと思っていた

「かまわないさ。家ではくするくらいじゃ迷惑めいわくとは言わないよ。でも、あんたの正体はかくしてもらうよ。あたしが人間をめていると近所にわたろうものなら、それこそ迷惑めいわくだからね」

 それだけ言うと、ミドさんは大皿を手に取り、朝食の後片付けをはじめた。

「あの、手伝います!」

春樹も続いて立ち上がろうとしたけれど、ミドさんはこちらを見もせずに言った。

「いいよ。余計なことしないで、あんたは座ってな」

春樹が目配せしても、ロウはかたをすくめるだけだった。

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