{ 32: 黒い塔(2) }
「それじゃつまり春樹……おまえは、ここの住人じゃないってことか? てっきり上の階から逃げてきた奴隷だと思ってたんだがな」
ロウと名乗った少年は言った。
「ド、ドレイだって? いったいなんの話だ?」
春樹はおどろいて声を上げた。もう声をあげられるほど体力が戻っていることにもびっくりしたが、それよりも、赤い目の少年と普通に話せていることにも併せておどろいた。
「僕は、誘拐されてここまで連れてこられたんだ! 僕が知りたいのは『ここはいったいどこなんだ』ってことだ」
「どこと言われても……」
ロウは困ったように頭をかいた。
「さっきも言ったとおり、ここは二十二階だよ。それ以上でもそれ以下でもない。二十二階だ」
「だからなんの二十二階なんだ?」
春樹は床をバシバシ叩いて言った。
「この建てモノは……つまり、君の暮らしているこの家は、いったいなんて街にあるんだ?」
「だから二十二階だと言っただろう? なんども、なんども!」
しまいにロウもヒートアップしていった。
「ここは二十二階! 俺の暮らしている街だ!」
ラチがあかなかった。この家の住所を確認しただけなのに、この押し問答はいったいなんだ? 二十二階だって? さっきからいったい何をそんなに階数にこだわっているんだ? なるほど、たしかにここは二十二階かもしれない。部屋には窓すらないので確かめようもないが……ただ、いまの春樹の境遇にあっては、階数などたいした問題じゃなかった。
問題なのは、この建物がどこにあるかだ。春樹は、ここが故郷の東京とどれくらい離れているのか知りたい。ここから逃げるにしても(動物面のヤツらに見つかれば今度こそ殺される)、うちに帰るにしても(カンパニーに捕まってしまうかもしれないが、それでも帰りたいと思うのは当たり前のことだ)、まずは自分のいる場所くらい知っておかなくちゃ。それだけのことだ。だから、そのことをロウにはっきりと伝えた。
「あぁなるほどそういうことか……」
ひとり合点のいった面持ちでロウはうなずいた。
「春樹、おまえは大きな勘違いをしているよ。外からここに連れてこられたってのなら、気づかないのもムリないのだろうけど……」
「外? いったいなんの話だ?」
「ここは東京だよ」
「東京だって?」
ウソをつけこの野郎と、命の恩人に言いそうになったところで、春樹はあわててその言葉をノドの奥に引っ込めた。ロウはウソをついたつもりなんてないのだろう……でも、赤い目の何者かが闊歩する街が東京にあるだなんて話、聞いたことないぞ? きっとなにか思い違いをしているんだ。
「おまえたち人間が言うところの『江東区』ってところにあるそうだ」
ロウは続けた。
「俺たちは、この場所のことを単に『塔』と呼んでいるけど、人間たちは別の呼び方をしているんだろう? たしか、黒い……」
とつぜん春樹が立ち上がった。おかげで、ロウの言葉はそこで途切れた。
「塔……?」
春樹はぼうぜんとつぶやいた。立ち上がってみたものの、自分がどういうつもりでそうしたのかすぐに思い出せなかった。
「ど、どうしたんだ?」
ロウは春樹を見上げて唖然とした。
「た……」
春樹は、この家の出口(小さな部屋だから、出口の扉だって目と鼻の先だ)に目をやった。
「確かめなくちゃ……」
春樹は、扉をあけて外に出た。せまい廊下が続いていた。とても昼下中とは思えないほど暗いことを除けば、なんの変哲もない雑居ビルの粗末な一角だった。うすぐらいのは、建てものに陽が差していないせいだ。廊下には無数の扉があり、ロウの住居と同じような部屋がずらりと並んでいた。
廊下の先に、さらにずっと狭い階段を見つけた。向かいから誰かきたら、どちらかが引き返さないといけないくらい狭い。その階段を降りていくと、建てものの外にあっさりと出てしまった。春樹は、フロアひとつ分しか階段を降りちゃいない。二十二階だなんて大ウソじゃないかと思ったが、間もなくロウの証言に一切の偽りがないことを春樹は思い知ることになる。