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月面ラジオ { 7: "廃墟の天文台(2)" }

30代のおばさんが、宇宙飛行士になった初恋の人を追いかけて月までストーカーに行きます。

{ 第1章, 前回: 第6章 }

所長室の扉をあけると、彦丸が机にかぶりついていた。
洗剤で机や窓をみがいていると思いきや、彦丸はなにやら必死の形相で電卓を叩いているところだった。

「掃除は?」
 月美はたずねた。

電卓を打ちながら、彦丸はアゴで部屋の隅をさした。
見ると、部屋の角にちりとりがあって、そこにほこりの塊と虫の死骸が積もっていた。

「これだけ?」
 作業量が平等じゃないので、月美は苦言を呈した。
「さっき、『命を落としてでも窓を磨き上げるんだ』って言ったよね?」

彦丸は電卓から指をはなすと、ノートをぱしっと叩いた。
その顔は、倒産寸前の社長のようだった。

「計算があわないんだ! 僕たちは活動するにあたって帳簿をつけている。けど、どうしても現金と帳簿の数字が合わない。どこかで計算ミスをしたんだ。見つけて直さなくちゃ!」

「それってお小遣い帳?」
 月美はたずねた。

「予算を管理するための台帳だ。」
 彦丸がていねいに言い直した。

「どうしてそんなことするの?」

「大きなことを成し遂げるためだ。」

「『天文台再生計画』のこと?」

「もちろん……ん?」
 彦丸は、ふとあたりを見渡した。
「そういえば、子安はどうした?」

「まだ天文台にいる。点検したいところがあるんだって。」

「予定より遅れているな。」
 彦丸は腕時計を見ながら言った。
「時間の見積もりが甘かったかな?」

「遅くなったのは、私たちが話し込んだから! すぐに来ると思う。」

「なら大丈夫だ。」

彦丸は机に顔を戻し、レシートの束とにらめっこの帳簿計算に戻った。

月美は、やることもないので所長室を見渡した。
所長室というよりも、ここはもう彦丸たちの活動拠点だ。
執務机が入り口の正面にあり、前世紀から置きっぱなしのソファーが部屋の中央にあった。
どの壁も本棚とキャビネットで固められている。
キャビネットには、星座早見盤、星座のポスター、地球儀ならぬ月球儀がかざってあった
空いたスペースには、試作品と思われる望遠鏡の部品が置いてある。

本棚も彦丸たちの私物でいっぱいだ。
「自宅工作ことはじめ」、「天体望遠鏡の作り方」、「彗星軌道計算入門」、それから天文学の本が並んでいた。
月美は、バーベキューとアウトドアの入門書も見つけた。
大きなフォルダーに工具店のレシートが日付別にしまってあり、いちばん下の棚には、書き損じた天体望遠鏡の設計書が積んであった。

本棚を見ているうちに、月美は「天文台再生計画」と書いてある紙の束を見つけた。
表紙を眺めていると、彦丸が話しかけてきた。

「上の階に電気を通して、天文台を動かせるようにするんだ。」

「あれって動くの?」
 月美はおどろいた。

「天文台は、星の動きに併せて自動で回転するものなんだ。」
 彦丸は言った。
「星は想像以上に速く動くからね。言ってみれば、中華料理屋のターンテーブルに望遠鏡を乗せたものが天文台ってわけさ。」

「上の天文台も電気で動いていたはずなんだ。」
 彦丸は続けた。
「だけど、ほら……このとおり今は廃虚で、動かすことはできない。天井のスリットなら手で開けられるけど、それだけじゃダメだ。だから、あの天文台に電気を通して、機械を修理をして、元通り動かせるようにする。それが『天文台再生計画』さ。」

「そんな必要あるの? 天文台がなくても観測はできる。天体望遠鏡だって買えばいいじゃない?」

「星を見たいだけならそうするさ。でも僕たちは、自分たちの力でどこまで遠くを見られるか試したいんだ。さっきの望遠鏡だって試作機のひとつさ。次はもっと高性能のやつを作る。」

「どうしてそんなことをするの?」

「欲しいものがある。それはお金じゃ手に入らない。」

「『満足感』ってやつ?」

「ちがう。僕の欲しいものは、まだこの世に存在しない。だから自分の手で作るんだ。望遠鏡も、天文台も、バーベキューだって『作ること』の練習さ。これらからもっとたくさんのものを作るつもりだ。彼方の光を捉える望遠鏡、宇宙を見渡す天文台、観測の難しい星を映すプラネタリウム……それだけじゃない。ビルや街だって作るのさ。」

「それを全部、たったひとりで?」

「ひとりじゃない。何千、何万の仲間を集める。」

「何万?」

想像するだけで頭がクラクラする数だ。
中学生のくせに、彦丸はどうしてそんな大それたことを言い切れるのだろう。

「そこまでして、何がほしいの?」

「ないしょ。」

 月美は口をすぼめた。
「どうしたら教えてくれる?」

「僕たちを手伝ってくれるなら。」

「ほんとう?」

「もちろんだ。くそっ!

突然の怒号に月美は飛び上がった。

「どうしても百円だけ足りない!」

電卓の数字を見ながら彦丸は頭を抱えた。
月美がしどろもどろしていると、子安くんが所長室に入ってきた。

「おつかれ、ふたりとも。あ、そういえば彦丸、予算箱から勝手にお金をかりたよ。百円ほど。ジュース買ったんだ。ん? ちゃんと返すよ。なんでそんな怖い顔してるの?」

ふるえる彦丸を見て月美は笑いそうになった。


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