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{ 19: 君の血は(2) }

{ 第1話 , 前回: 第18話 }

「ちゅ、注射?」
 春樹は、ほとんど悲鳴に近い声をあげた。

「ほんとうに君はえている」
 ユウナ博士は、手の中の道具を春樹に差し出して見せた。
 鉛筆えんぴつのように細長く、しかし鉛筆えんぴつよりもするどいあのまわしい道具を。
「たしかにそのとおり、注射だ。でも、こいつは採血用の注射器なんだよ。今から春樹君の血を少しだけもらいたい。ハリ隊員、君が採血するんだ」

博士は、のっぽの隊員を見やり、かれに注射器を差し出した。

「なんでですか!」
 ハリと呼ばれた隊員も全く同じ質問をしようとしたけど、先に春樹が抗議こうぎの声をあげた。

「安心してほしい。ハリは、カンパニーの治安隊であると同時に、医師免許めんきょも持っている。君の体に針を通したところで、法に抵触ていしょくするおそれはない」

春樹は法律なんて心配しちゃいなかったし、免許めんきょがなければ他人に注射しちゃいけないことすら知らなかった。そういうことでなく、いったいなんで、今それをやらなきゃならないんだ、というのが春樹の主張だった。春樹はこの世のなによりも注射をおそれていた。なぜなら、あんなとがったモノを体にそうものなら、真っ赤な血が出てくるからだ。赤、これよりおそろしい色はない! 

大丈夫だいじょうぶだ。ほんのちょっとだけだから。病人相手に大量の血をっここぬくわけないだろう?」
 博士は、恐怖きょうふでひきつっている春樹をなだめながら言った。

量なんて問題じゃなかった。もしぼくの血が青色であるならば、いくらでも持っていってかまわない。でも、赤だけはだめなのだ。

「必要なことなんだ、春樹君。ちょっとチクッとするかもしれなけど、我慢がまんしてほしい。君は強い子だろ? 命懸いのちがけで友人たちを救ったときの勇気をここでも見せておくれ」

春樹は断固拒否きょひしたけれど、博士が再三の説得を試みた末、結局、観念することとなった。注射器を片手にベッドのそばによってきたハリ隊員におとなしく左腕ひだりうでを差し出した。もちろん、目を閉じながら。

チクリとした。でも、その痛みはすぐに止んだ。博士が十回以上主張したとおり、ほんのちょっぴり血をいただけなのだ。

しばらくして目を開けたら、ガーゼでぼく左腕ひだりうでおさえているハリ隊員が見えた。針をした場所に手際よく包帯を巻いて、止血してくれた。おかげで、ぼくは自分のうでからあふれる血を見ずに済んだ。

ただし、博士の手元にわたった注射器の中は見ざるを得なかった。春樹は今になって、大量のあせが出始めた。

「やはりただの血だ。赤く……サラサラして………至って健康的」

注射器の中で血をらしながら、まるでワインの色を確かめるかのように、博士はそれをながめていた。まさかソムリエのマネをするために、ぼくから血をいたのだろうか? おそろしいことに、本当にその可能性があると春樹は思った。なにしろ博士は、一通りぼくの血を鑑賞かんしょうしたあと、急にそれに興味をなくて、注射器をそばのデスクに置いた。

「採血してわかったと思うが、君の血は、やはり人間の血でしかない」
 博士は言った。
普通ふつうの血、一般いっぱん的な血だ。君が人間であるるぎない証拠しょうこでもある……さて、最後の実験に移ろう」

「実験?」
 不穏ふおんひびきに春樹は不安の声をこぼした。

「春樹君、おつかれのところ申しわけないが、ここに座ってほしい」
 博士は、椅子いすから立ち上がって、それまで座っていた場所を指でさした。
「バドワ隊員、君はかれの体をうしろからおさえるんだ。春樹君が動かないようにね……ハリ隊員は、血がるまで春樹君の顔をなぐり続けろ」

時間が止まった。この場にいるだれもが……ユウナ博士を除くだれもが、状況じょうきょうを理解できずに固まった。

「なにをしているんだ? さっさと、言われたとおりにしろ」
 博士は言った。

「わけがわかりません!」
 春樹の気持ちを代弁してくれたのか、あるいは心からそう思っているのか、ハリ隊員が言った。

「非常識なのは理解している」
 ユウナ博士は言った。
「でも必要なことなんだ。春樹君、協力してくれるね?」

本当にわけがわからなかった。博士が病室に現れて以来、理解しがたい話の連続だったけど、今が一番わけがわからない。

「秋人君のかたきを討ちたいんだろう? これは、君の力を理解するために必要な実験なんだ。信じてほしい」

それからどれくらい時間が経ったのかはわからないけど、気がつけば春樹たちは、博士に言われるがままの状態になっていた。つまり、先ほどまで博士が使っていた椅子いすに春樹が座り、バドワ隊員がそのかたおさえ、目の前に長身のハリ隊員が立っていた。春樹のうでに包帯を優しく巻いてくれていた時とはうって変わって、ハリは青ざめていた。

「ほ、本当にやるのですか?」
 二人の隊員が同時にたずねた。

「やれ」
 かべにもたれかかりならが、ユウナ博士はうんざりした調子で言った。

春樹は、体をふるわせながら椅子いすに座っていた。目は泳ぎ、メガネをはずしたせいもあって、焦点しょうてんが定まらなかった。かべにかかっている庭園の絵画から照明器具へと、交互こうごに視線を移す作業に集中することで、できる限り何も考えないよう努めた。

「すまない……」

ハリが言った。かれこぶしにぎっていた。

つぎの瞬間しゅんかん、激痛が走った。もともと鼻の骨が折れていたのだから痛いなんてもんじゃない。春樹は悲鳴をあげた。

「おい、血が出てないぞ!」
 ユウナ博士が言った。

ハリは、もう一度顔をなぐった。もちろん、手加減はしてくれたのだろう。でも、それが春樹にとってアダとなった。二回なぐっただけでは、血はなかった。バドワが、さらに強い力で春樹の両かたにぎった。

「やめて!」
 春樹はさけんだ。

もう一度、こぶしが飛んできた。三回目にして、春樹の鼻から、勢いよく血がした。

「よし!」
 博士が手をたたいた。

「クソ! まじで血がた!」
 ハリが春樹のかたをささえて言った。
「すぐ止血するぞ! バドワ、担当医を呼べ!」

「だめだ!」
 博士が怒鳴どなった。
「絶対に止血するな。医者もあとだ」

「なにを言ってるんですか?」
 ハリがおどろいて言った。

「見てみろ!」
 博士が、春樹の足元を指でした。

な……何を見ろって? ゆか? 絨毯じゅうたん? そこにいったい何があるっていうんだ? 半分も開けられなくなった目で春樹は足元を見下ろした。見下ろしたと言っても、とうてい顔をあげられる状態じゃないので、下を見ている方が楽だっただけだ。視界もおぼろげで、痛いとしか言いようがない。顔の表面がくだけ、骨のその亀裂きれつにマグマのような熱を帯びた液体が注がれたかのようだ。ユウナ博士は、急におかしくなってしまった。部下にぼくをなぐれと命令した挙げ句、子供のようにはしゃいで、ぼくの足元を指さしている。絨毯じゅうたんの上には、折れた鼻からた血が垂れているだけだというのに。血がなんだっていうんだ……

ハリとバドワはおどろきの表情でそれを見た。

「ウソだろ……」
 と、ハリがこぼした。

なにをそんなにおどろいているのか、春樹にはわからなかった。何をどう見たところで、臙脂えんじ色の高級絨毯じゅうたんを自分の血がよごしているだけだ。そう、光かがやく真っ赤な血が……

「拾ってみたまえ」
 博士が言った。

拾う? なにを? ぼくの血のことか? くるってる……

けれど、ハリは言われるがままにそれを絨毯じゅうたんからつまみあげた。そう、つまんだのだ……ぼくの血を。それから手の平に乗せて、ぼくの目の前に差し出した。手の上にあるのは、血の色をした固形物だった。それは、とがった宝石のように見えた。

「とある条件下で君の血はこのように結晶けっしょう化する。イッショウは、返り血を浴びたことで結晶けっしょうを体内にとりこんでしまったのさ」

博士は、春樹の前にひざまずいて話を続けた。

「これと同じものが、ロビーに落ちていたんだ。最初は宝石かと思ったけど、あの場でそんなものが散乱しているのは不自然だし、ルビーにもサファイヤにも見えなかった。よくよく観察すれば、石ですらない。血が結晶けっしょう化しているようだって思ったよ。血が結晶けっしょう化することなんて、まずないのにね。体が自然発火するのと同じくらい不思議なことだ」

「疑問に思ったぼくは、いろいろ調べてみた」
 博士は続けた。
「実験をしたという意味だ。その結果、とんでもない現象を発見するに至った。君の血の結晶けっしょうを、ヤツらの血と混ぜると熱を帯びたんだ。わかるかな? バケモノ同士の血液を混ぜると発火するのと同じように、君の血のかけらを混ぜても火がついたんだ。君の血は、ヤツらを殺せる武器になるということだ。そして、これが何よりも重要なことなんだけど……『ア型血液』、『ウン型血液』、いずれの持ち主であっても、君の血はかまわずそいつを殺すことができる!」

「そんな、まさか!」
 ハリが声をあげた。
「本当なのですか、博士? もしそれが本当なら……」

「とんでもない発見だ」
 博士は言った。
「ただし、まだ大きな疑問が残っていた……どうすれば君の血を結晶けっしょう化させられるか、という疑問だ。その方法がまったくわからなかった。なにしろ、君を治療ちりょうしているときも、検査しているときも、血は血のまま流れ続けた。血を採取して、しばらく待っても結晶けっしょう化しなかった。もちろん時間が経てば、黒く変色し、カピカピに干からびるけど、それはどの生物にも当てはまる一般いっぱん的な血の性質にすぎない。ても焼いても血はこんなふうに結晶けっしょう化しないんだ。結晶けっしょう化は、特殊とくしゅな条件下でのみ起こる現象だとぼくは結論づけた。だから今ここで、あのとき起きたことを再現しなくちゃならなかった。君には気の毒なことをした。でも、そのおかげでぼくの仮説が正しかったと証明された」

ユウナ博士は、いまや春樹の両かたをわしづかみにしていた。ひざまずいたまま、椅子いすに座っている春樹の顔をのぞんでいる。ランランにかがやきながら見開く目が、春樹の眼前にあった。

「おっと、意識を失う前にすべて聞き届けるんだ。がんばって理解するんだよ?」

博士が体を乱暴にゆするものだから、春樹は痛みでうめいた。博士はかまわず続けた。

「もう想像がつくと思うが、君の血は、痛みを感じている時に結晶けっしょう化するんだ。それも、敵によってあたえられる痛みに限られる。治療ちりょうのときも、採血のときも結晶けっしょう化しないのはそのためだ」

結晶けっしょう化の条件がわかってよかった……これでみんな救われるんだ!」
 博士は興奮し切っていた。
「不死身のバケモノに対抗たいこうできる唯一ゆいいつの手段は、『注射刀』だ。だがこの武器には決定的な弱点がふたつもある。ひとつは、原料がバケモノの血であることだ。不死身の敵をたおす武器のために、まず不死身の敵をたおさなくちゃならにという矛盾むじゅんのせいで、注射刀は大量生産することも、安定供給することもできないんだ。もう一つの弱点は、『ハズレ』を引く可能性があることだ。注射刀は、異なる血液型の敵にしか効力を発揮しない。テロリストと戦う隊員たちは、つねに、命懸いのちがけの二*ジャンケンをしながら戦っているということだ。ハズレをひいたせいで、ヤツに首根っこをつかまれた君なら、それがどれほどおそろしいことか理解できるよね? この注射刀の弱点が、貴重な隊員たちの生存率を著しく下げているんだ」

「しかし!」
 博士は、もはや意識朦朧もうろうの春樹にはとうてい聞き取れないほど、早口でまくしたてていた。
「我々の前についに救世主があらわれた! 春樹君! 君だ! 君の血があれば、注射刀の弱点をふたつとも克服こくふくできる! わかるよね? 君の血があれば、ヤツらを確実に殺すことができるんだ。だから我々に協力してほしい。つらいかもしれないが、我慢がまんしてほしい! 秋人君のためにも!」

協力という名目のもと、体をしばられ、なぐられる自分の姿が頭をよぎった。なぐられ続けるだなんてイヤだ。心からそう言いたかった。でも春樹はうなずくしかなかった。この男が心底こわかったのだ。春樹の意識は、そこで途切とぎれた。

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