{ 28: 火葬(3) }
金色のイヤリングを左耳につけた見知らぬ男が目の前にいた。イヤリング男は、火葬屋のローブを首根っこからつかむと、なんとそのまま投げ飛ばした。
「これはこれは火葬屋どの。眠っている間にずいぶんお世話になったようで。これは、ほんのお礼だ……よっ!」
火葬屋を壁に叩きつけたあと、イヤリング男はその腹を蹴とばした。火葬屋は、声なき悲鳴をあげてうずくまった。敵がもんどりを打って立てなくなったのを確認すると、男がこちらをふりむいた。
若い男だった。髪は短く、声は低く、力は強かった。体は痩せていて、上下とも黒い服なものだから、いっそうと細く見えた。服だけなじゃない。これは何よりも重要なことなのだけど、男の瞳は黒色だった。そう、赤色ではなく、黒色なのだ。
「あ、あなたは……?」
いったいどこから現れたんだ、と思う間もなく、春樹はハッとなった。冷静になってあたりを見ると、フタが壊れて空っぽになった棺桶が転がっていた。
イヤリング男は、呆然としている春樹を一瞥したのち、足元に落ちていた金槌を拾った。それから、地面にうずくまったままの火葬屋をふたたび見下ろした。
「な、なにをする気だ?」
春樹は言った。
「こいつが君にやろうとしたことだよ」
男は答えた。
「頭をかち割ってから、火葬炉に詰め込むんだ」
「ひぃ! お助け!」
火葬屋は声をあげたが、イヤリング男は耳を貸さなかった。地面にうずくまっている小男を蹴りつけると、足の裏で相手の体を押さえつけて、金槌を振り下ろそうとした。
「待って!」
金槌が、イヤリング男の頭上でピタリと止まった。声を上げたのは、火葬屋でなく春樹だった。イヤリング男は、おどろいてふり向いた。
「待って……」
春樹はフラフラの足でなんとか立ち上がって言った。
「そいつを殺しちゃいけない」
イヤリング男は、しばらく呆然とこちらを見た。その足元では、火葬屋がヒィヒィ唸っていた。
「なぜだ?」
男は言った。
「ち、血を見たくないんだ」
「甘ったれたことを……」
男は金槌を持つ手を再びふりあげた。
「見たくないものがあるなら永久に目を閉じていろ」
「ダメだ!」
春樹は再三声をあげた。
おかげで頭がクラクラして、また倒れそうになったほどだ。
今度こそ火葬屋の頭に鉄がめり込むところを想像したけど、結局はそうならなかった。金槌は、その小男を打ちつける直前でとまっていた。敵を容赦なく叩きのめすイアリング男も、命を奪うとなると、やはりためらってしまうのだろう……
「こいつの仲間が来たらやっかいだ……」
男は言った。
「もしも戦士どもに見つかれば、俺たち人間に抵抗するすべはない。こいつは、ここで始末するべきだ」
「戦士? 動物面のヤツらのことか?」
春樹は言った。
「あいつらなら、半日はここに来ない。こいつらの話を聞いていたんだ。まちがいないよ」
「えぇ、えぇ、そのとおりで……」
火葬屋が、イヤリング男の足元ですすり泣いていた。春樹は、倒れた台座によりかかってその声を聞いていた。その声はどこか遠くの物音のように聞こえ、むしろ頭の中ではまったく別の音が響いていた。グワングワンと……後頭部に手をやれば、二つのたん瘤が双子のようにできていた。
「この哀れなボロめは、あなた様が逃げるのをジャマいたしません。いたしませんとも……決してお仲間も呼びません。ですからどうか……御慈悲を……」
「黙っていろ」
男が金槌をふり上げて言った。
「その臭い口を釘で打ち付けてやってもいいんだぞ?」
慈悲のカケラも見当たらない男の言葉に、火葬屋は今度こそ観念したようで、頭を抱えてそれきり動かなくなった。
「止めてもムダだぞ?」
イヤリング男がまた春樹を見て言った。
ただ、春樹に対してというよりも、自分自身に言い聞かせているようでもあった。
「こいつは、俺たちを殺そうとしたんだ」
春樹だって、そんなヤツの命乞いをしている自分が信じられなかった。でも、あまり根拠のない考えなのだけど、この男の命を助けることこそが、生き残るための最善策のような気がするのだ。
「逃げ出すには、そいつの協力が必要だ」
春樹のひと言に、再び金槌をふりおろそうとしていた手がとまった。イヤリング男は、春樹と火葬屋を見比べながら尋ねた。
「どういうことだ?」
「ぼ、僕たちの処刑を……偽装させるんだ……」
いまにも倒れそうなほど体に変調をきたしていることはわかっていた。でもそうなる前に、この男に伝えなくては……生き残るための最善策を……双子の瘤を触ると、頭から背中にかけてピリッと痛みが走るので、春樹はそれを気付け薬の代りにして話を続けた。
「火葬炉には、処刑された人たちの骨と灰が残っている。それを動物面の連中に見せて、僕たちの処刑が終わったとこいつに報告させるんだ。そうすれば、連中、僕たちが死んだと思って、追ってこなくなるだろう。燃やしてしまえば、元の形なんてわかるわけない……」
イヤリング男はしばらく考えこんでいたが、やがて首をふった。ほとんど贅肉のないその頬は、血の気が引いているのか、かなり青ざめて見えた。あるいは、それはこの陰湿な部屋を照らす青白い蛍光灯のせいなのか……
「ダメだな……やはりこいつは、俺たちが逃げたと報告するだろう」
「この男は、僕たちを売らない……僕が逃げたとわかれば、こいつは仲間に処刑されるから……」
春樹は言った。
「だから……この人を助けてやってください」
「な、なにを言っているんだ、君は……」
イヤリング男は、信じられないものを見る顔つきで春樹を見た。
「この哀れなボロめに救いの手を差し伸ばしてくれるので……?」
火葬屋が顔を上げて春樹を見た。
その赤い目に涙がボロボロと流れていた。
「あ、あ、ありがとう、坊や!」
「黙っていろ!」
イヤリング男が、火葬屋を踏みつける足を強めた。頭をかちわる前に、肋骨をへし折っておいたほうがやりやすいだろう、といった具合に。
火葬屋はうめいた。それでも、これが最後の希望とばかりに続けた。
「えぇ、えぇ、そのとおりで……この坊やのおっしゃる通りで……ケモノの戦士様より課せられた使命は、この坊やを灰になるまで焼き払うこと。それも最優先で。しかし、この通り、もはやそれも叶わぬ願いに……そうとなれば、この哀れなボロめの運命はただひとつ……戦士様に首根っこから引きちぎられるのを、怯えながら待つのみ。もしその悲劇から逃れたければ、賢明なる坊やのおっしゃる通り、我が任務を全うしたと偽装しなければなりませぬ。えぇ、えぇ、きっとやり遂げてみせます。このウソは、死ぬまでバラさぬと、哀れなボロめは誓います。ですからどうぞお二方、無事に生き残ってくださいまし。どうぞ、賢明なご判断を! お願いします! お願いします……」
自身をボロ呼ばわりする小男は、その赤い目に大粒の涙を滴らせ、必死の命乞いを続けた。イヤリング男がやがて足をどけるその時まで、春樹は、大人が恥も外聞もかなぐり捨てて泣く声を聞かなければならなかった。
気がつけば、春樹は床にひざをついていた。体は暑く、大量の汗をかいていた。このまま倒れてしまいそうだし、そうなってしまいたいと体は望んでいた。あと三十秒も経てば、意識を失ってしまうだろう。
どさりと音がした。春樹の倒れた音じゃなかった。いったい何が起きたんだと、意識が現実世界にほんの少し引き戻された。
おどろくべきことに、そのとき倒れたのは春樹ではなく、イヤリング男だった。春樹より先に、イヤリング男が気絶してしまったのだ。わけがわからなかった。
いったい何がそんなにおかしいのか、火葬屋はクスクスと笑っていた。上半身だけ体を起こし、地面にぺたりと座ったまま言った。
「やれやれ。やっと薬が効いてきなすった」
それから春樹をちらりと見て、ニヤリとしながら黄色と灰色の混じった歯を見せつけた。
「ご心配めされるな、坊や。ちょっとした睡眠薬をこの御方に処方したまでのこと……死んだわけじゃない」
「いつ……?」
微かではあるが、春樹の唇はまだ動いていた。
「この御方を棺桶に入れる前に」
火葬屋は、立ち上がり答えた。
「手前ども、これから火葬する人間のために二種類の睡眠薬を処方するのです。一つは即効性の薬。もう一つは、遅効性の薬。一種類だけですと、火葬の最中に目覚める者もいまして……」
だめだ、倒れるな、いま意識を失ったら今度こそ死ぬんだぞと自分に言い聞かせたけど、春樹の意識にはどんどんと白いモヤが混じっていった。
「目覚めた時の恐怖は、想像するだにおぞましい……これから体に火がつくというのに、逃げ場はない……ですから、せめて苦しまずに逝けるよう二種類目を予め処方しておくのです。たとえ目覚めても、また夢の世界に戻れるよう……それが、手前どもの情けでございます」
あいかわらず、どこか遠くで聞こえるような声だった。視界がグルグルと回った。春樹の体もその場でどさりと崩れ落ちた。
「はてさて、不思議ですな……」
火葬屋は言った。
「実のところ、坊やには、薬の類はいっさい打っていないのです。それにもかかわらず、意識がいまにもこの世とおさらばしそうだ」
火葬屋がゆっくりとこちらに近づいてきた。やめろ、こっちに来るな! その赤い目で僕を見ないでくれ……そう言いたかったけど、もう口も動かなかった。
「それも無理からぬことか……」
火葬屋の男は、首をふった。
それから哀れみをこもった目で春樹を見下ろした。
「棺桶に入れる前、坊やの体を改めさせていただきました。手前どもは、お医者のような高承な存在ではございませぬが、それでも仕事がら、生き物の体を多く拝見してまいりました。だからこそ、坊やが、つらい目に遭ってきたことがわかってしまうのです……そのご健勝そうな外見とは裏腹に、隠された傷のなんと多いことか……いいえ、目に見える切り傷のことではございませぬ。癒える傷など物の数ではないのです。自慢したいわけではございませぬが、ただの傷なら手前どものほうがはるかに多いかと……坊やの傷は、体でなく、それを通り越し、心をえぐった時にできたモノ……呪いの傷……とでも申しましょうか? えぇ、えぇ、さぞ辛かったことでございましょう。どうぞ、ゆっくりお休みくださいまし」
火葬屋は、ボロ布のようなローブのフードをかぶりなおしてから、春樹の目の前でしゃがんだ。ススだらけの黒い顔には、像の皮膚のような干からびたシワがあり、硬そうだった。よく見れば鼻先や耳たぶなど欠けていた。顔のパーツが所々えぐれていて、ひどい損傷を免れているのは両の目くらいのものだった。何かが発酵したかのようなすえた匂いもするが、それはこの男の汗によるものだろう。
火葬屋の赤い目が、春樹の顔をのぞいた。それがトドメとばかりに、春樹は意識を失った。男の最後のひと言はよく聞き取ることができなかったけど、あとあと思い返してみれば、こんなふうに言っていたと思う。
「せめて今日ばかりは、悪夢を見ませぬように……新たな……塔の主よ……」