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{ 29: 路地 }

{ 第1話 , 前回: 第28話 }

知らない場所で目を覚ますのは、もううんざりだった。

生まれて始めて気絶した時、目を覚ました場所は、病院のベッドだった。でも病院とは名ばかりで、そこはカンパニービルにある春樹専用の拷問ごうもん施設しせつだった。それから幾度いくどとなく気絶するまでなぐられて、「気がつけば、いつものベッドにかされていた」をくり返すハメになった。

救急車のような車両の中で目覚めたこともある。このとき春樹は、タンカの上でしばられていて、食肉加工品の工場へと出荷中の原材料のようなあつかいだった。事実、春樹は兵器工場で血をしぼすべく輸送されているところだった。

きつね面のテロリスト・スイレイの襲撃しゅうげきを受けたのは、その輸送のさなかだった。スイレイの手により、春樹を警護していた治安隊の人たちは、ハリ拷問ごうもん官共々、全滅ぜんめつした。そして、彼女かのじょに連れ去られた春樹が次に目覚めた場所は、なんと棺桶かんおけの中だった。そのとき運良く目覚めなければ、いまごろ棺桶かんおけごと焼きくされていただろう。

どれも負けずおとらずイヤな思い出だった。けれど、ベッドもタンカも、少なくとも人がねむるための場所だった。棺桶かんおけさえもそうだ。でも今日ばかりはちがった。醜悪しゅうあくさという点では、今回の場所はピカイチだろう。

くさかった。このにおいをなにかに例える必要はない。生ゴミのにおいだ。春樹は、路上のゴミだまりの上で目を覚ました。

ひどい寝床ねどこではあったものの、意外と心地よく目覚めることができた。りんごの皮のような何かのはしが鼻の頭に乗っかり、まぶたの上を小バエがっていたというのに、頭の中はわたったようにスッキリしている。いったいどういうことだろう? 

「夢だ……」
 春樹はつぶやいた。
「今日は、夢を見なかったんだ」

こんなことは始めてだった。あの夢を見るようになって以来、毎晩、たきのようなあせをかき、絶叫ぜっきょうとともに目を覚ましていた。なのに、今日はちがう。夢を見なかった理由はわからないけど(それを言うのなら、夢を見る理由だってわからないのだけど)、ともかく火炙ひあぶりにならないで済んだのだ。

いつもと何がちがったのだろう? 夢を見ない条件のようなものがあるのか? たとえば寝心地ねごこちが最悪の場所ならば、悪夢を見ないのかもしれない。もちろん、そんなわけないのだけど、もしこの考えが正しいのなら……あの悪夢をもう見ないで済むのなら……このゴミ捨て場を終生の寝床ねどこにしたっていい。

春樹は、気がついたらゴミの上でていたわけだけど、ことの顛末てんまつを全く知らないわけではなかった。火葬かそう屋の目に恐怖きょうふして気絶したあとも、途切とぎ途切とぎれながら途中とちゅうで意識をもどしていた(火葬かそう屋の指摘してきしたとおり、気絶の理由は、疲労ひろう困憊こんぱいやら、精神的なショックやら、フタコブラクダができるほど頭を打ち付けたことやら、色々あるのだろうけど、やっぱりヤツの赤い目のせいだと春樹は思う)。最初に意識をもどしたとき、春樹は仰向あおむけの状態で、心地よいなにかの上に横たわっていた。どうやら、気絶したあとに寝台しんだいの上へと運ばれたようだ。横を見れば、金色のイヤリング男も同じようにとなり寝台しんだいかされていた。かれにも意識はあったようだけど、薬の効いているせいか、はたまた寝台しんだいしばけられているせいか、体を動かせないでいた。代わりに首だけをこちらに向けて、しきりに何かを語りかけていた……ような気がする。残念なことに、何を言っているのかよく聞き取れなかった。目覚めこそしたものの、気絶する直前と同じく視界に白い*がかかり、耳にタオルをんでいるかのように音はくぐもっていたからだ。

「……をたよれ……センセイを……たよるんだ……」

「え……?」

「先生を……たよるん……だ」

だれたよれって? 何度もそう聞き返そうとしたのだけれど、そんな力もいてこないうちに春樹はまた気を失った。

次に気がついた時、火葬かそう屋が春樹の顔をのぞきんでいた。しわくちゃのバスケットボールのような頭にあの赤い目が二つかんで見えた。いや、本当に二つだけだったのだろうか? このときは八つか九つ、下手をすれば十個以上の赤い目がぼくを見ていたような気もする。春樹は恐怖きょうふにおののき、目を閉じた。

「さぁ、みなさまがた……ていねいに……お運びを……いつもの、ように……亡骸なきがらを、運ぶように……」

そんなふうに火葬かそう屋は言っていたような気がする。

次に気がついたとき……もはやまぼろしか白昼夢かもわからず、その曖昧あいまいな脳内の映像を意識朦朧もうろうのうちに見た現実だと思いこんでいるのかもしれないが……このときは、ひつぎの箱の中に再びめられ、春樹はそのフタをながめていた。火葬かそうの中にいるわけじゃなかった。だれかが春樹のている箱を持って、運んでいたからだ。神輿みこしを担ぐように、数人がかりでかたに背負って運んでいるようだった。ときどき足元から体が大きくかたむいたので、階段を降りていたのだろう。担ぎ手たちは、長いこと階段を降りていた。

やけに長い階段だな、と春樹は思った。それ以上のことはわからない。なんの音も聞こえず、そのうち何もかもがどうでもよくなって、春樹はねむりについた。

そして、ついに目覚めた今このとき、春樹はゴミまりの上に転がっていた。

まくら代わりだったゴミぶくろから春樹は頭をおこした。ばしのような何かの棒がおしり下敷したじきになった。春樹の知らない虫が、足のそばをっていた。

まもなくして、自分が街中にいるんだと気づいた。どこからか無数の足音が聞こえ、話し声も聞こえ、換気扇かんきせんの回る音がした。

泣きたくなるほどなつかしい音で、事実、春樹は嗚咽おえつらした。だってこの「雑踏ざっとう」というやつは、人の生活する音なのだから。春樹は、人間が人間として生活する場所にやっともどってきたのだ。

あたりはうす暗く、そばに人のいる気配はなかった。せまっ苦しい路地裏に春樹は置いてけぼりにされたようだ。陽は差しておらず、今は夜だ。

夜……? ほんとうにそうだろうか? 

それにしたってみょうに活気がある。もちろん夜の雑踏ざっとうだって、そりゃ活気づいているのだけど、仕事やら授業やらが終わったあとの陽気さと、時にお酒の混じったあのさわがしさとは様子がちがうのだ。春樹が感じたのは、清々しく軽やかで、今日も今日とて働くために人々が粛々しゅくしゅくと歩を進める朝の活気だった。

なによりも朝ごはんのにおいがした。米をくときのにおい、小麦を焼くときのにおい、肉や野菜をいためるときのにおい、スープを出すときのにおい……それらのにおいに気づいた衝撃しょうげきで、胃袋いぶくろにぎりこぶしほどの大きさに縮み、消化液の混じったような唾液だえきが舌の平からにじみ出てきた。

思えば、ここ数週間、まともな食事をした記憶きおくがない。最後なんて、チョコレート・クッキーにクリームチーズをはさんで四十枚以上平らげるという愚行ぐこうをやらかしたのち、土手っ腹をなぐられてすべてした。それより前に食べたものだって、もう何も体内に残っていない。あれから何日も経っているようだ。

「な、なにか食べないと……死んで、しまう……」

春樹は、フラフラの足で立ち上がった。頭がぼんやりして、足取りは異常に重いというのに、体そのものはふわふわといているかのようだった。こんな状態でよく歩けるものだと自分でも思う。食べなきゃ死ぬという恐怖きょうふが、体をき動かしているのだろう。

その時、食事とゴミのにおいを上書きするほどのきついあせにおいがした。自分の体臭たいしゅうもあるだろうけど、それだけじゃない。春樹は身に覚えの大きな布をまとっていて、これが強烈きょうれつにおいを発しているのだ。

「なんだこのボロボロの服は?」
 春樹は、火葬かそう屋のローブを着ていた。
 かれが実際に身につけていた服であることは、このすえたにおいからわかった。
「あいつのローブをどうしてぼくが着ているんだ?」

春樹は、ローブをごうとしたものの、ふいにその手を止めた。本心ではすぐさま捨てたいのだけど、このまま着ていた方が良い気がしたのだ。春樹をここに放置した火葬かそう屋が、餞別せんべつの代わりこれを置いていったとしたら、あまりに非常識すぎる。だからこそ何か意味があるのかもしれない。春樹は、ローブのフードをかぶり直して(やっぱりくさい……)先を急いだ。

ローブの下は、作業用のツナギだった。これは、春樹の通っていた専門校から支給された制服だ。すでに記憶きおくは定かでないものの、兵器工場への輸送の最中からこの服装だった気がする。テロリストがカンパニービルを襲撃しゅうげきした時にも着ていた服で、いまや春樹に残された唯一ゆいいつの財産で、輸送する前にハリ拷問ごうもん官が着せてくれたのだろう。

ありがたいことに、メガネもかけたままだった。ありがたいというより、奇跡きせきに近かった。カンパニー治安隊、動物面のテロリスト、そして火葬かそう屋……ここまで春樹を運搬うんぱんしてきた連中のうち、だれかのせいでメガネを失くしていたとしても不思議じゃないのだから。レンズはホコリだらけで、あぶらあともあり、かなり見えづらい状態だったけど、この際ぜいたくは言うまい……

「ん、これは……?」

最後にもうひとつ、気づいたことがあった。ツナギのポケットに何かが入っていたのだ。まったく見覚えのないカードだった。名刺めいしと思わしき長方形の紙キレで、表面に建物と施設しせつの名前が小さな文字で書いてあった。

一日楽医院

「ヒト……ヒラ医院……? って読むのかな? どうしてこんなものが? だめだ、もうこれ以上考えることができない。目までかすんできた。さっさと何か食べないと……」

春樹は、路地裏から大通りへと出た。そして、再び、気を失いそうになった。赤い目の者たちがいたからだ。それも、無数にだ。

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