{ 39: 戦士 }
春樹は、「黒い塔の住民」と「ケモノ面のテロリスト」がおなじ種族かどうかわかっていなかった。どちらも赤い目なので同じものだと予想はしていたけれど、でも「ほんとうにそうだろうか」という疑問はつねに鎌首をもたげていた。塔の住民とテロリストの間には、見ただけですぐに分かるような大きな違いがあったからだ。それも二つも……
たとえば巨体という点で、ケモノ面のテロリストたちの右に出る者はない。春樹がこれまで遭遇したテロリストはたったの三名だけど、そのうち二名は身長二メートルをゆうゆうと超えていた。秋人の首を折った「犬面のイッショウ」と、バン隊長と相打ちになった「牛面の大男」だ。
いまこちらに向かってくる二人組だって群を抜いて大きい。まだ遠くにいるので正確な身長なんてわかりようもないけれど、通行人と比べて頭ふたつ分は抜けていた。対して、ロウも含めこの二十二階の住民たちの体格は春樹とおなじくらいだった。火葬屋の男のように、人間の子どもと同じくらいの者もいた。
もうひとつ……これは春樹にとってかなり大切なことだけど……髪の色が両者の間で異なる。周りにいる住民は、みな黒髪だった。春樹とおなじ黒髪なのだ。しかし動物面のテロリストたちは、赤い髪だった。恐ろしげな赤……まるで仮面の裏側に火がついているような赤だ。
果たして彼らは同一種族なのか? わからない……わからないけど、でも、確実だと思えることもひとつだけあった。それは、塔の住民が動物面のふたり組を恐れているということだ。
脇にそれて頭を垂れているわけではないけれど、住民たちは皆さり気なく道を譲りながら歩いているように見えた。動物面は堂々と道の真ん中を、そのほか全員が少しだけ脇を歩く。動物面はゆっくりと歩を進め、そのほか全員が、せわしなく横を通り過ぎる。
みんなが避けて通るものだから、群衆の中にあっても、ふたりの全容はすぐ明らかになった。止まっていた春樹の思考もフルスロットルで回転をはじめ、同時に恐怖も感じた。この感覚は久しぶりだった。ペットボトルの口から炭酸がプシュッと漏れ出るように毛穴から汗がにじむこの感じ……春樹はすでに大量の汗をかいていた。
ふたりのうち一方には見覚えがあった。春樹はこれまでに二度、彼女を見たことがある。狐面をかぶった女だった。鬼を模した動物の形相が、むき出しの殺意を表していた。鬼の角は二本。白装束の服に赤い袴。カンパニータワーにいた時から服装は同じだ。まちがいなくスイレイだ。
「まずいな、僕を捕まえに来たのか? それに、隣にいるヤツは……」
春樹は、スイレイの隣の男を見て愕然とした。一本角の犬面をかぶった大男だったからだ。この犬面にも見覚えがあった。
「まさか、イッショウ……? いや、おちつけ……あいつのわけがない」
春樹はそう自分に言い聞かせた。
「あいつはもう死んだんだ……僕の目の前で……」
僕の血を体に入れたせいで、燃え尽きたのをこの目で見ただろう? 秋人の首を折ったヤツは、もう死んだんだ。
「めずらしいな。こんな街中を戦士が歩いているだなんて」
ロウがそうつぶやくのを春樹は聞いた。
「僕を捕まえに来たのかも……」
春樹は言った。
「はい?」
ロウは驚いてふり向いた。
「おまえ、いったい何をやらかしたんだ? 戦士にケンカを売って、タダで済むわけないぞ?」
そんなことは、春樹にもわかっている。これまで何度殺されそうになったことか。
「ロウ、後生だ。助けてくれ」
ダメでもともと、春樹は頭を下げた。というよりも、賭けにちかい頼みごとだった。もしもロウが動物面のヤツらの仲間だったら、春樹の人生はここで終わる。
ロウは、春樹を売るかもしれない。「おい、ここに怪しいヤツがいるぞ!」と手をあげながら叫ぶだけでロウの仕事は終わる。春樹はあわてて逃げようとするけど、数歩と行かないうちに、動物面のヤツらに追いつかれて地べたに組み伏せられるだろう。動物面が消えるような速度で動けることは、春樹もすでに体験済みだった。あの万力だってそうだ。ヤツらが春樹の腕を捻り上れば、いっさい抵抗する余地なく、ポキリといく。
春樹は、心臓をバクバク鳴らしながら、ロウの返事を待った。答えが返ってくるまで、ほんのつかの間であったにもかかわらず、すでに数分も経過したようだった。
ロウはちらりとケモノ面の方をみやり、また春樹に視線を戻した。それから言った。
「今すぐ仕事にとりかかれ」
「はい?」
「仕事をするんだ。堂々とな。あとは俺にまかせろ。下手に逃げようとするなよ? ぜったいに振り切れる相手じゃない」
「わ、わかった」
仕事をしろという指示には驚いたけど、逃げられないという意見には賛同するほかなかった。春樹は、ロウを信じて作業をはじめた。すでに三十分は遅れているであろう進捗を取り戻すつもりで、迅速に……
春樹は、念のため配電盤の主電源を落とした(こうしないと事故で感電死するかもしれないし、平常心をなくした春樹の手元が狂う可能性は十分にあった)。それから火事で焼け焦げた電線ケーブルを壁から剥がしはじめた。ケーブルに積もったホコリが顔にかかってむせ返ってしまったけど、構わず作業を続けた。そのとき、ロウが手を高らかに上げた。
「おーい! 兄貴、こっちだ!」
度肝を抜かれるとはこのことだった。あろうことか、ロウは動物面のふたりをこちらに呼びつけているのだ。まるで大漁旗でも見せびらかすかのように、頭の上で両手をぶん回しながら……
「ロウ! おまえ、なにをやってるんだ!」
「いいから、仕事を続けろ」
ロウは、春樹を制してからさらに手をふった。
「おーい、兄貴!」
春樹は、今すぐ逃げ出したかった。だが時すでに遅し。これから走りだしても、彼らの注意を引きつけるだけだろう。
それにしたって「兄貴」とはいったい誰のことだ? やはりあの犬面の大男だろうか。だとしたらロウはあの大男と知り合いで、僕を引き渡すつもりなのか? いや落ち着け、僕。ロウは、「助けてやる」と言ってくれたじゃないか。僕を見捨てるわけない。
春樹は、ロウを信じて作業を続けた。ただし手足が震えるせいで、壁から電線ケーブルを引き剥がしているというより、体が崩れ落ちないよう縄にしがみついているかのようだった。
「おお!」
犬面の大男がロウに気づいた。それから大股でこちらに近づいてきた。スイレイは、変わらぬ歩調だったので、ふたりの間には距離ができていた。
春樹は、自分がなんでそんなことをしているのかも忘れて、新しい電線ケーブルを組み立てはじめた。作業中はできるだけ自分の手元だけを見た。どうか犬面の大男が僕に気づきませんように、と祈りながら。ちょっとくらい気に留めてもいいから、せめて僕の顔を覗き込みませんように、と祈りながら。
「ロウか、久しぶりだな! 仕事中のようだが邪魔するぜ」
犬面の大男が言った。
やっぱり知り合いのようだ。それだけでも十分おどろいたけど、その声に聞き覚えがあったので、春樹はさらにドキリとなった。まちがいない。犬面の声は、「二十三階・牢獄の森」の火葬場にいた者の声と同じだった。僕を焼き殺せと、火葬屋に命じていたあの声だ。
彼らがなぜここに来たのかわからないけれど、もしかしたら逃亡犯の僕を探しにきたのかも。火葬屋が、僕を逃したことをバラしてしまったのか? でも、どうしていまさらそんなことに? あぁどうかバレていませんように!
春樹の鼓動が高鳴った。心拍数のピークはもう訪れたと思っていたけれど、それは間違いだったとすぐに気づいた。春樹を今日一番でおどろかせたのは、ロウが口にした男の名前だった。
「やあ、久しぶりだね! ニショウの兄貴!」