手紙なる一族 6 (全6回)
あらすじ: マクレター家には、300年前から受け継がれる手紙がある。その受取り手である「私」は、マクレター家の現当主から手紙にまつわる話を聞くことに……
◇
私(サンバーバリアン院・院長)
私は、アベルト・マクレターが300年前に書いた手紙を受け取った。公園のベンチでのことだった。
さて、この手紙をどうしたものか? もちろん開けてみるつもりだが、よくよく考えてみれば、すぐに開けられそうにない。まずなによりも、手元に道具がなかった。封筒を手で破いたり、ハサミで切り落とすのは論外として、封蝋をはがすのにナイフか何かを用意しなくちゃならない。それに、道具があったとしても、御年三百歳の手紙はかんたんに開封できる代物なのか? もし無造作に開けようものなら、中の便箋が破損したっておかしくない。
「そうだ……」
こういう品物をいつも扱っている友人がいることを私は思い出した。アンティークの家具店に務めている友人がいるのだ。私は早速その店を訪れた。その店では、古いキャビネットも売っていた。偶然だろうが、キャビネットは青かった。偶然だと思いたい。
「ちょっとした好奇心で聞くんだが、あのキャビネットのそばで幽霊が出たりしないか?」
私は、店番をしていた友人にたずねた。
「商売のジャマをしにきたのなら、さっさと帰るんだな。」
友人は言った。
「冗談だ。それよりも、古い手紙を手に入れたから開けてほしい。」
「どれくらい前のものなんだ?」
「300年だ。」
私はその手紙を机に置きながら言った。
「アベルト・マクレターという人物が私に宛てた手紙だ。」
「なにを言っているんだ、おまえは?」
「信じられないかもしれないが、事実なんだ。私もまだ信じきれているわけではないが……」
私は、ワーナーから聞いた話をかいつまんで友人に説明した。
「怨念が染み込んだような手紙だな。」
友人は、手紙をつまみ上げながらあっけらかんと言った。
「まぁ、なんだっていいさ。さっさと開けちまおう。」
「おいおい、慎重に扱ってくれよ。」
「当たり前だ。この店は、それこそ300年前からこの手の代物を扱ってきたんだ。」
友人は、手紙にナイフを突っ込むと、ペリっと封蝋を剥がした。封筒の中を取り出して、私に手渡した。
信じられなかった。手紙の中身がすこし特殊だったことにも驚いたが、まずなによりも、この手紙が私宛でなかったことに愕然とした。
「どうりで重いわけだな。」
友人が言った。
「手紙の中に手紙が入っていたとはな。」
なんということだろう。宛先不明の封筒の中に入っていたのは、別の手紙だったのだ。しかもこちらの手紙(ややこしいので、「中の手紙」と呼ぼう)には、ちゃんと宛先が書いてある。私の名前ではない、宛先が……!
中の手紙の他には、便箋が一枚だけ入っていた。古びた書体で、こんなふうにメッセージが記してある。
外側の手紙を開封した者へ。
中の手紙を、宛先に記した通りの場所へ届けてくれ。
たったこれだけだ。
中の手紙の宛先には、通りの名前と建物の名が記してあった。現代で言うところの郵便用の住所である。
「こ、この場所を知っているか……?」
私はかすれた声で友人にたずねた。
「ご近所さんだ。偶然だな。」
友人は答えた。
このあたりは古い地域なので、昔の建物がほぼそのまま残っていた。300年前の住民がタイムスリップしてきたとしても、自分の生家を見つけられると言われているくらいで、この建物も、名前と外観は当時のままだろう。
「それで、届けるのか?」
友人がたずねた。
「え?」
私はキョトンとした。
「指示されたとおり、中の手紙をそこに届けるのか? って聞いているんだ。」
「あ、あぁ……」
私は呆然とうなずいた。
「そうするよ……それが私の使命なのだから……」
「中身を見てみないか?」
友人は言った。
「見ない。」
私は言った。
「ぜったいに見ないぞ。見たら呪われる。さっそく届けにいくよ。早くこの使命から解放されたい。」
私はその足で、中の手紙に書いてあった宛先をたずねた。その建物は、とある商業施設だった。チャイムを鳴らすと、建物の中から従業員と思わしき男が出てきた。私は、ここの責任者に手紙を渡してほしいと頼んだ。従業員は、私の名前を確認しただけで、とくに不審に思うことなく手紙を受け取った。それだけだった。あっさりしたものだ。
終わってみれば、意味のない一日だった。やらなければならないことがいっぱいあったはずなのに(思い出していただきたい、私は融資先を探していた)、手紙にまつわる話を聞くことに大半を費やし、友人の勤め先でその手紙を開封し、300年前の見ず知らずの老人から郵便屋として使いっ走りにされた。それだけの一日だった。
◇
次の日、例の商業施設の責任者から呼び出された。大切な話があるから必ず来てくれと、その男は電話越しで私に指示した。私は忙しいのだと、なぜだれもわかってくれないのだ……
◇
昨日「中の手紙」を預けた従業員が、例の施設の応接間に私を案内した。応接間には、なんとワーナー・マクレターがいた。
「君が呼んだのか?」
私は言った。
「違います。」
ワーナーは、首をブンブンとふった。
「僕もいきなり呼び出されたんです。なぜ自分がここにいるのかすらわかっていませんよ。」
二人して座って待っていると、まもなくして私たちを招いた男が応接間に入ってきた。頭の禿げ上がった背の低い男だった。彼の名刺には、個人向け投資機関の経営者であることが記載されていた。すなわちこの建物は、アンハサ・バーク株式会社というこの街最大の証券会社であり、私たちの目の前にいるのは、普段、金持ちを相手に取引している男というわけだ。男はビル・バークと名乗った。
「あの手紙について、話を聞けるということだろうか?」
私はビルにたずねた。
「もちろんです。」
ビルは微笑みながらうなずいた。
それから唐突にたずねた。
「おふたりは、賭け事をなされますか?」
「いいえ。」
私は首をふった。
「株や債権のことを言っているのですか?」
ワーナーは言った。
「投資は賭けでないというのが、生まれたときに父から教えてもらったことです。」
「さすがは、アベルト・マクレターの末裔だ。」
ビルは言った。
「我が社は株も債権も扱っていますが、もちろん賭け事をしているわけではありません。マクレター家の者もきっとそうでしょう。ですがアベルト・マクレターは、私の祖先と大きな賭けをしたのです。」
◇
「当時、冷血漢にして金の亡者と恐れられたアベルトですが、晩年は自分の生き方に悩んでいたそうです。」
ビルは、語り始めた。
「事業をどんどん拡大し、その名を世間に知らしめても、マクレターのことをよく思う者はこの街にいませんでした。たいていの問題を金の力で解決してきたアベルトも、こればかりはどうしようもなかった。なにしろ、金儲けをするほど嫌われるのですから。彼は悩みました。どうすれば、この状況を打破できるのか? 彼のたどりついた結論は、この街のために慈善活動をしようというものでした。」
「それは立派な心がけだ!」
ワーナーは言った。
私も素直にうなずいた。
「そこで、彼は孤児院を設立しようとしました。どんなに他者に厳しくとも、子煩悩だったアベルトらしい決断でしょう。そんな彼に近づいたのだが、他の街で孤児院を経営している女でした。」
「まさかその女が……」
「そうです。彼女は経営者でもなんでもなく、詐欺師だったのです。」
ビルは言った。
「金に関してとことん目の利くアベルトも、こと慈善活動となると、その目は節穴だったようです。それまで一度も他者のために金を使ったことがないため、相手が詐欺師だとわからず、気づけばあの手この手で多額の資産を騙し取らていました。」
「なんと、そんなことが……」
「アベルトは自身を恥じ、そのことを家族に話すことはできませんでした。」
ビルは続けた。
「彼はさらに悩みました。この街に貢献できなかったこと……加えて、自分の息子、孫、子孫たちに何も残せないであろうことを……彼は、数少ない友人のアンハサ・バークにその想いを打ち明けました。アンハサは、この投資会社の創始者であり、私の祖先です。話を聞いたアンハサは、アベルト・マクレターに次のような提案をしました。すなわち、二人で金を出し合って、とある賭けをしないか、と。アベルトが手紙を書いて子々孫々に受け継がせ、そして未開封のまま300年後に赤の他人に渡せた場合、マクレターの子孫がその賭け金を総取りできる。さもなければ……手紙を失ったり、約束の期限までに開封してしまえば、賭け金はバークの子孫……つまり私の総取りとなります。」
「いったいなぜそのようなことを?」
私とワーナーは、まったく同時にたずねた。
「この賭け事は、たいへん特殊なものでした。その特徴の一つは、ふたりの掛け金が『とある金融商品』に姿を変えた点です。それは、アンハサ・バーク社の株式でした。」
「要するに、賭けと言いつつ、アンハサはアベルトに出資をさせたというわけですか?」
ワーナーは驚いて言った。
「財産の大半を失ったアベルトから?」
「その通りです。会社を創設したばかりのアンハサは、少しでも多くの経営資金が必要でした。もちろん、当時のアベルトの台所事情を鑑みれば、潤沢な資金を得られたわけではありません。」
「それにしたって300年は長すぎるのでは……?」
ワーナーは言った。
「その理由も、すぐにおわかりいただけます。」
ビルは言った。
「ただその前に、どうして子孫まで巻き込んで、手紙を受け継がせたのか……まずは、その理由を説明させてください。」
「この賭けを遂行するには、他者への信頼が必要でした。」
ビルは続けた。
「すなわち、自分の子どもたちへの絶対なる信頼です。詐欺師に騙され、すっかり人間不審に陥っていたアベルトでしたが、家族への信頼は昔から人一倍でした。この賭けに乗るということは、アベルトにとって、子どもたちへの信頼を再確認する行為となりました。アベルト・マクレターにとって、それは生きる希望となり、そうすることで彼は人間性を取り戻せたのです。」
手紙にまつわる話を聞いた限り、そのせいで子孫はろくな目に合わなかったようだが、それをあえて指摘する必要はないだろうと私は判断した。それよりも、きちんと言っておくべきことがある。
「ちょっと待ってくれ。」
私は、ビルの話を遮った。
「この話は、赤の他人である私といったいなんの関係があるんだ? どうして私はこの場に呼ばれた? こう見えて忙しいんだ。もし無関係な話を延々と聞かせられるのなら、帰らせてもらうぞ。」
「おっと、失礼……」
ビルは、いかにも驚いたといったふうに眉根を釣り上げてみせた。
「無関係……そう思われるのも無理からぬこと。しかしこの話は、あなたにも関わってくるのです。サンバーバーリアン院の院長でもあるあなたに……」
「まさか、私がその詐欺師の子孫とでも言うつもりなのか?」
私は声を張った。
「私は本物の孤児院の経営者であり、詐欺師なんかじゃない!」
「もちろん、わかっています。どうぞ落ち着いてください。」
ビルは言った。
「ご説明します。マクレター家の手紙を最後に託す相手は、確かに赤の他人ですが、条件が指定されていました。その条件というのが……」
「この街で孤児院を経営している人物……」
ワーナーが引き継いだ。
「だから、あなたに手紙を託したのです。」
「アベルトとアンハサの賭けで最も特筆するべき点は、どちらの家が勝利した場合でも、賞金の半分を『手紙の受領者』に譲渡することです。手紙の正当な受け取り人、すなわち孤児院を経営する者に支払わなければならないということです。これこそが、アベルトの真の願いであり、遺言でした。」
時間が止まった。ワーナーもビルも、私が現状を理解し、再び何か言えるようになるのを黙って待ってくれた。私に報奨金の半分が譲渡される? それはつまり……
「わ……」
信じられない思いで私は言った。
「私の孤児院に融資をしてくれるのですか?」
「いいえ、融資ではありません。」
ビルは言った。
「寄付です。アベルト・マクレターからの寄付です。」
「なんと……」
私は呆然とした。
「ただ、やはり気になる点があります。我が院は経営難で、少額でも寄付を得られるならありがたいのだが……本当にありがたいのだが、当時でも雀の涙ほどだった資金を……それも半分だけを得て、果たして意味はあるのだろうか?」
「株の力をご存知ないようですね。」
ビルは微笑んで言った。
「たとえわずかな資金でも、辛抱強く運用しつづければ、いつしか莫大な利益を得る。それが株式投資の本質です。300年ともなればなおさらでしょう?」
ビルは、当時の株券が今ならどれほどの価値を持つのかを教えてくれた。それは、私にとって両の目玉が飛び出るほどの金額だった。もらえるのがそのうちの半分だけだとしても、片目が飛び出るのだから十分だ。これでもう孤児院の運営費で頭を悩ませなくて済む!
「いかがでしょうか? 寄付を受けていただけますか?」
「も、もちろんです。」
私はうなずいた。
「でも、本当によろしいのですか?」
「はい。アンハサ・バーク社は、アベルトの援助を得られたからこそ事業を始められたのですから。ワーナー殿はいかがですか?」
「もちろんかまいません。」
ワーナーも、私にまけず劣らず呆然とした様子で、なんとか口から言葉をしぼり出すといった具合だった。
「我がマクレター家で、アベルトの意志に異論を唱える者はいません。」
「それは上々。」
ビルはうなずいた。
「それにしても驚きました。アベルトとアンハサの賭けは、私も親もそのまた親も、話半分に聞いてきた伝承だったのです。まさか本当に300年経って手紙が届くだなんて、思ってもみませんでした。いやはや、アベルトとあなた方マクレター家の者には心底感服しました!」
「我々は……先祖の信頼に応えられたわけですね?」
ワーナーは感極まって言った。
「はい。」
「よかった……本当に良かった……」
昨日私に手紙を託したときのように、ワーナーの頬にひと筋の涙が流れた。むりもない。300年にもわたる努力に意味があったと、彼はついに知ったのだから。かく言う私だって、泣きそうだった。
ワーナーは、深い溜め息をついた。あまりにも長い溜息だったものだから、私は驚いてしまった。ひと通り息を吐き終えると、ワーナーはほんの一息吸い戻してから言った。
「来月、息子が生まれる予定なんです。」
「おめでとうございます。」
ビルは言った。
「ならば、ご入用でしょう。さっそく、振込みの手続きを進めてまいります。」
「いえ、そういうことを言いたいわけじゃないんです。」
ワーナーは言った。
「どういうことでしょうか?」
ビルは首をかしげた。
「賭けをさらに300年間延長できますか? 僕も、生まれてくる息子に手紙を託したい。」
◇
おわり