{ 18: 君の血は }
「まず大前提として、テロリストどもは不死身だ」
博士は説明を始めた。
「ナイフで刺しても、ヤツらの肌はぜったいに刃を通さない。拳銃やライフルを使ったところで結果は同じだ。焼却炉で体を燃やそうが、毒ガスを吸わせようが、硫酸の風呂に浸けようが、平然と耐え抜くと言われている。頑丈なんてものじゃない。およそ生物を殺す手段を試したところで、ヤツらは倒せないんだ」
「ただし、絶対に死なないわけじゃない」
博士は続けた。
「『不死身』というのは、ヤツらの特性の一面を表現しただけに過ぎない。君も見たはずだ。敵の体が、いきなり燃えたのを!」
そのとおりだった。春樹は、牛仮面と犬仮面の男が燃えて炭になったのを見た。牛仮面は、バン隊長に足をナイフで刺された直後に燃えた。犬仮面は、春樹を殴った直後に燃えた。春樹は、ナイフで犬仮面の首を貫こうとしたけど、刃はヤツの硬い肌に跳ね返されてしまった。同じナイフを使ったというのに、まったく違う結果になったのはいったいどういうことだろうか?
「これからヤツらを倒せる唯一の手段について説明する」
この話を始めるにあたり、それまで石仏か磔刑像のようにピクリとも動かなかった護衛のふたりが、あからさまに動揺して顔を見合わせた。
「ユウナ博士!」
杉の木のように背の高い方が、はじめて声を出した。
「それは、防衛上の機密事項のはずです。部外者の者には……」
ユウナ博士は、「わかっている」とばかりに手を上げて、護衛の男を制した。ふりむきもせずに。ユウナ博士はかまわず話を続け、杉の木はそれ以上なにも言えず、博士の背中を眺める作業に戻らなければならなかたった。
「ここに取り出したるは……」
と、いいながら博士は白衣の内側から革でできた包みを取り出した。
それから包みを開けて、中のものを春樹に見せた。
「二本のナイフだ」
果物ナイフくらいの小さな刃だった。それが二本並び、革のベルトで固定してあった。ふたつにちがいがあるようには思えなかった。
「これに見覚えがあるね?」
ユウナ博士は言った。
「バン隊長が持っていたのと同じナイフです」
「バケモノを倒せる唯一の武器だ。僕たちは、これを『注射刀』と呼んでいる」
「ちゅうしゃ……とう?」
あまりに突拍子もない名前に春樹は首をかしげた。
「なぜそう呼ぶのかは、この武器のことを知ればわかる。二本一組である理由もね」
博士は言った。
「でも、その前にひとつ訊いておこう。春樹君の血液型は何かな?」
「それと武器の話にいったいなんの関係が?」
春樹は訝しげだ。
「関係はない」
と、博士。
「君の血液型はなんだっていいさ。ただし、自分の血液型を知っておくのは、とても大切なことなんだ。君も学校で習っただろ? 輸血の時、まちがった血液型を体に入れたら、その患者は死んでしまうってね。治療をするつもりが殺人になってしまうなんて怖いよね。でも、それがバケモノたちを殺す唯一の手段なんだ」
「どういうとですか?」
「人間と同じように、ヤツらにも血液型がある。『ア型血液』と『ウン型血液』という二種類の型が。そして、不死身であることと同じくらい不思議なことなんだけど……ヤツらは自分の血液型と異なる血が体に入ると、燃えて死んでしまうんだ」
「いったいどうして?」
春樹は驚いて言った。
「さぁ?」
博士は肩をすくめてみせた。
「不思議としか言いようがないね」
「つまりこのナイフには……」
春樹はハッとなって博士の膝の上に置いてあった二本に目を落とした。
「ヤツらの血が塗ってあるということですか?」
「鋭い。刃だけにね」
博士はにっこり微笑んだ。
「正確には、特殊な製法によって、刃の中に血液を練り込んでいるんだ。そして心得ておくべきは、一本の刃にひとつの血液型しか練り込めないという点さ。二種類の血液をまぜると、ヤツらを倒す力が失われてしまうからね。要するに注射刀は、『ア型の刃』と『ウン型の刃』の二種類を用意しなくちゃならないんだ」
「ア型の敵にはウン型の刃が必要で、ウン型の敵にはア型の刃が必要なんですね?」
「そのとおり。君がイッショウという犬仮面の男を刺そうとしたのに、あっさり跳ね返された理由はもうわかるね? 君はア型の注射刀を持っていたんだ。そしてイッショウはア型だったのだろう。同じ血液型だった場合、注射刀も他の武器と同じでヤツらを傷つけることはできない。いってしまえば、ハズレってわけさ」
「でもアタリをひけば……」
「それが必殺の一撃になる。刃をふかく突き刺すことで、ヤツらの唯一の弱点である血液を注入できる。すなわち、注射刀……僕たち人間が、バケモノを倒せる唯一の手段さ」
◇
「さて……」
注射刀の説明を終えたユウナ博士は、その包みを閉じて白衣の内側にしまいなおした。鼻からゆっくりと息を吸い、さらにゆっくりと息を吐いてから、それからまた喋り始めた。
「ここからが本題だ。すでにかなり話しこんでいるけど、次が最後だからもう少し我慢してほしい」
「はい。僕は大丈夫です」
春樹だって満身創痍のはずなのに、不思議と疲れていなかった。僕のケガなんて、秋人がやられたことに比べれば、モノの数じゃないだろう。頭を包帯で締めつけられ、そこがやけにズキズキしたけど、かまわず春樹は前のめりになっていた。秋人をあんな目に合わせたヤツらを不幸にできる話なら、なんだって知りたかった。
「君は疑問に思っているはずだ」
博士は続けた。
「イッショウはどうして燃えてしまったのか? あの男に注射刀は効かなかったのだから、説明と矛盾しているじゃないか、ってね。君たちも知りたいよね?」
急に博士がふり向いたものだから、護衛のふたりはキョトンとして顔を見合わせた。
「バドワ隊員、あの場にいた君が、例の報告をしたんだよね?」
「はい」
直立不動のままバドワと呼ばれた男が答えた。
男の声に春樹は面食らった。父さんよりも野太い声を出せる人がこの世にいるだなんて、思ってもみなかったからだ。この白髪まじりの短髪の中年から出てくる声は、これまで春樹の聞いたことのある声でもっとも低く、太いものだった。
「我々の部隊がロビーを包囲した時、二本角の犬仮面がいきなり燃えました」
バドワは続けた。
「そのそばには、負傷した子供が二名。床には、注射刀が一本。人質は多数いましたが、みな離れた場所に収容されていました。誓って、だれも注射刀を射ち込んでいません。野郎は、自然発火したんです」
「わかってる。君の話を疑っているわけじゃない」
博士は言った。
「もちろん最初はなにかの間違いだと思ったけど、検死の結果も、現場検証の結果も、目撃者の証言も、すべてバドワの報告と一致している。イッショウは、注射刀なしで燃えたんだ」
「でも、それはありえないことなんですよね?」
春樹はおずおずと言った。
「普通では起こりえないことだ」
ユウナ博士は言った。
「考えられることはひとつ。あのとき……イッショウの運命が消し炭になると決まったとき、特殊なことが起きていたということだ。春樹君、ヤツが君にした仕打ちを憶えているかな?」
「僕に?」
春樹はキョトンとしながら答えた。
「えぇと……顔を殴られました」
ヒタイから上が包帯ぐるぐる巻きになっていて、鼻先を指がかすめるだけで激痛が走るのは、そのせいだ。
「でも、それだけです」
「確かに殴られただけかもしれない」
博士は続けた。
「でも、それが問題なんだよ。イッショウは君を殴ることで、とあるモノに触れる羽目になったからね。すなわち、君の返り血だ」
「ぼ、僕の血が……」
春樹は愕然とした。
「ヤツをこ、殺した?」
とたんに、ふたりの護衛が春樹の方に進み出た。
「まさか、このガキ……!」
「博士! 離れてください!」
さすがカンパニーの誇る治安隊といったところか、目にもとまらぬ速さだった。バドワが博士を椅子ごと引き寄せて僕から離し、杉の木のような男が、さらに一歩踏み込んでこちらに迫った。ふたりとも、片方の手をチョッキに伸ばしていた。彼らがポケットの中から取り出そうとしているモノは、春樹にだって容易に想像ができた。
「やめるんだ!」
ユウナ博士が声を張った。
ふたりともその場でピタリと止まった。
「か、彼は人間だ!」
ほとんど羽交い締めに近い形で、バドワの腕に抱えられた状態で博士が言った。
「それぐらいわかるだろう? もしヤツらの一員なら、そもそも治療をする必要はない。ひたいが割れることもなければ、鼻だって折れない。そうだろう?」
バドワたちは、その場で固まって春樹を見つめていたが(換言すれば、いつでも注射刀を取り出して、春樹に突き立てられるよう構えていたが)、やがて冷静さを取りもどし、数歩退いて元の場所へと帰った。博士もヤレヤレと文句をいいながら、椅子を戻して座り直した。ただ、何もかもが元通りというわけではなく、バドワに引っ張られたせいで博士のネクタイは骨折したような状態だったし、背後のバドワたちも、いまや決して目を逸らすまいとばかりに春樹を睨んでいた。
「す、すまなかったね、春樹君」
博士は、ゲホゲホと胸を抑えながら言った。
「彼らを許してほしい。あまりに職務に忠実な者は、時として他者を傷つけてしまうものなのだ」
どちらかと言うと、そっちのほうが被害は大きかったのではと、むせ返るユウナ博士を見て思ったけど、春樹は黙ってうなずいた。
「さきに明言しておこう」
博士は言った。
「君自身がいちばんわかっていることだろうけど、君は人間だ。ただの人間だし、普通の人間だ。もちろん高校生離れした特殊な教養があり、行動力もあり、勇気もあることはわかっている。でも、決して特別じゃない。どこにでも転がっている一般人だ。本当に普通なんだ。だから安心してくれ」
「よ、よかったです……」
どう反応すればいいのかわからず、春樹はあいまいにうなずいた。
「念のため医者にも検査させたが、人間として疑うような結果は一切でなかった。ちょっとお腹まわりが……運動不足であることは、まぁ、否めないそうだが……許容範囲だろう。血液ですら、人間のものとなんら遜色なかった」
「だったら、僕の血がいったいなんだっていうんですか? わけがわかりません!」
「ある特殊な条件下においてのみ、君の血は必殺の武器になる」
博士は言った。
「それを今から証明してみせる」
博士は、ナイフを閉まっていたのと反対側の胸ポケットをさぐり、白衣の中からあるものをとりだした。注射だった。注射刀ではなく、ただの注射である。先端に恐るべき針がついている、あの注射である。