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{ 37: 魔窟の探索者 }

{ 第1話 , 前回: 第36話 }

日もすっかり暮れ、帰りの道が暗くて見えなくなるのではと不安になるころになって、ようやく春樹は東京を見渡みわたせる大穴の広場をあとにした。春樹とロウのふたりは、だまって歩きながら家路についた。三十分ほどかけてアパートまでたどり着くと、春樹は部屋に入るなりロウにたずねた。

「どうして今まであの場所のこと教えてくれなかったんだ?」

「それは……まぁ、あれだ……」

ロウは、ハンチングぼういで二段ベッドの上段に投げ入れると、くたびれた様子で下段のベッドに腰掛こしかけた。それから頭をワシワシときながら続けた。

「おまえが、あの場所から飛び降りるんじゃないかと思ってな。大丈夫だいじょうぶだと確信できるまでだまっていたんだ」

なるほど、確かにそのとおりだ……そう思ったものの、春樹は口に出さないでおいた。もちろん今となっては飛び降りる気なんてさらさらないけれど、以前の春樹ならそうしたところで不思議じゃなかった。

「春樹……」
 ロウが急に顔をあげて言った。
「ほんとうに帰りたいのか? ここにいたければ、いつまでも……」

「ありがとう」
 春樹は、ロウの正面に立った。
「ここでの暮らしは楽しいよ。ロウには感謝している。君が助けてくれたから、ぼくは生きることができたんだ。でも、もう家に帰らなくちゃ……この先、どんなにつらいことがあったとしても。家族と会いたいんだ。弟にも」

「お前は、ここに来る前のことを話したがらない。だからくわしい事情なんてわからないけどさ……でも、言わせてくれ。春樹の弟は死んだんだろう? 自分でそう言っていたじゃないか?」

「死んだと、聞かされただけなんだ……」
 春樹は言った。
ぼくつかまえていた連中は、ぼくにそう思わせたい理由があったからね。今までは、連中の話を信じていた。弟が死んだとおももうとしていたんだ。だってその方が楽だから。希望なんてないほうがよかった……」

「生きている確証はないんだろ?」

ぼくは、弟が……秋人が死んだってあきらめたくない。とうから脱出だっしゅつしたら、そのことを確かめるんだ……だから教えてくれないか?」
 春樹はロウの目を見据みすえながら続けた。
「このとうのことを。君たち赤い目の一族は、いったい何者なんだ?」

ロウは、キョトンとしながら、その赤い目で春樹を見つめた。まるで幽霊ゆうれいでも見つけたかのような表情だった。

「ど、どうしたんだ?」
 春樹は、面食らってたずねた。

「こっちこそ『どうしたんだ』だ。春樹はおれたちのことを何ひとつ知らないくせに、今まで一度も質問しなかったじゃないか?」

「知るのがこわかったんだ」
 春樹は言った。
「真実を知るのには覚悟かくごがいるって、父さんはいつも言っていた。だけど、もう覚悟かくごを決めたよ。ここから脱出だっしゅつするためにも、ぼくは知らなくちゃならない」

「わかった。おれの知っていることを教えてやるよ。そのかわり、今夜はお前がメシを用意しろよ?」

「いいよ。いつもおごってもらってばかりじゃ、悪いからね」

その夜、ロウから話を聞き出すことはできなかった。ロウのように鉄なべをふるって野菜をいためようとした春樹が、火力の調整を誤って、あやうく部屋を火事にしかけたからだ。それで大さわぎになって、話を聞くどころじゃなかった。

「しかたないだろ……」
 と、春樹はなべからこぼした野菜くずをゆかから拾いながら言った。
「プロパンガスのコンロって、火力の調整が難しいんだから……」

「だからって火をつけた途端とたんなべをほっぽりだしてげるんじゃない!」
 ロウがカンカンになって言った。

ぼくは火も苦手なんだ! とくに赤く燃え上がる火が!」

というのがことの顛末てんまつだった。なかなかうまくうまくいかないものである。

春樹は、次の日もロウと仕事に出かけた。ロウに言わせれば、とうから脱出だっしゅつする決意を固めたところで、それが仕事を休む理由にならないらしい。やとわれの身のつらいところである。

いったい何の因果か、この日の現場は火事場のあとだった。回廊かいろう南側の大通りに面したアパートの外壁がいへきで、そのかべには、部屋に電気を届けるための電線がこれでもかとめぐらされていた。ただし、配線の一部は破損しており、焼けげたあと壁面へきめんに残っていた。通りを行き交う者たちも「あらら……」といった顔でその前を歩いていた。火事の原因は一目瞭然いちもくりょうぜんだった。

「なんて雑な仕事なんだ!」
 春樹はさけぶようにして言った。
「ボヤで済んだのが奇跡きせきだよ。ちゃんと計画をたてて配線しないからこうなるんだ。電線ケーブルはどこもかしこもグチャグチャで、しかも引火してくれと言わんばかりにホコリだらけだ。いくら雨が降らないからって、建物の外に配線するのも非常識だよ。停電がやたらと多いのは、そのせいだなんだぞ」

「文句を言うな」

ロウは、うんざりした調子で言った。そして続くかれの一言は、春樹に衝撃しょうげきあたえた。

「おかげで、おれたちがおまんま食えてるんだ」

前の業者の粗末そまつな仕事のおかげで、ぼくたちはこうして仕事を得ている? その事実に気づくにいたり、春樹は愕然がくぜんとなった。だけど、文句をいったところで始まる物語などない。さっさと終わらせてしまおうと、春樹は作業にとりかかった。

「ところで、ロウ、電気メーターはないのか?」
 修理に必要なケーブルの長さを目測で見積もりながら、春樹はふいにたずねた。
「前から思っていたんだけど、この街のどの建てモノにも電気メーターが見当たらないんだ」

「電気メーター? なんじゃそりゃ?」
 ロウは首をかしげた。

「電気の使用量を測るための機械だよ!」
 なんで知らないんだ、とばかりに春樹は言った。
「住民たちが電気をどれだけ使ったのかを測るためのモノだ。こういう配電施設しせつには、必ず電気メーターがついている。だって、電気料金の請求せいきゅうに必要だろ?」

「電気を使うのに、なんで金がかかるんだ? 電気なんての無限にいてくるだろう」

「なにをいっているんだ?」
 春樹はさらにおどろいた。
「電気がネズミみたいに増えるわけないだろう? なら、この街の電気はいったいどこからくってんだ?」

「そりゃ、おまえ、発電所だろうよ」
 ロウは、当たり前だとばかりに答えた。

「このとうにも発電施設しせつがあるのか?」

「あるよ。たしか、四十九階だったかな? その階まるごとが、発電所だって聞いたことがある」

四十九階と聞いて、春樹は口をあんぐりと開けた。この二十二階ですら、地面が拝めないほどの高さだと言うのに、まだ上があるというのか? 

「ロウはそこまで行ったことがあるのか?」

「まさか。そんな遠くまで足を運べるわけがない。それに、発電所なんぞの何がおもしろいんだ?」

「おもしろいに決まっているじゃないか!」

春樹は大声で抗議こうぎした。まさか発電所がつまらないものだと侮辱ぶじょくされるだなんて。

「あぁ、でも、発電所は上にあるのか……行ってみたかったなぁ」

おれはごめんだね!」
 ロウは急に身震みぶるいして、工具を手ににぎったまま自分の体をかかえた。
「想像しただけで、寒気が走る。下手すれば、命にかかわるぜ」

「ただの社会科見学だ。なにをおびえているんだ?」

「発電所のことじゃない」
 ロウは、いつになく真剣しんけんな調子だった。
おそろしいのは、そこまでの道中さ。春樹は、ここしか知らないから実感がわかないんだろうけど、このとうにゃ、やばい場所がいくつもあるんだよ。足をれたが最後、生きては出られない『死の階』がな……」

唐突とうとつに飛び出た不吉ふきつな言葉に、春樹はごくりとツバをんだ。

「一番やばいのは『四十七階』だ」
 ロウは、続けた。
「四十七階には、だれも住んでいない。昔は、この階と同じで街があったんだけど、今では廃墟はいきょになっている。その廃墟はいきょは、地獄じごくとつながっているそうだ。というよりも、地獄じごくとつながったせいでだれも住めなくなったんだ」

「じ、地獄じごくだって?」
 春樹は声をあげた。
「ほんとうに、そんな場所があるのか?」

「あぁ」
 ロウはうなずいた。
「それから、いかにも春樹をこわがらせるようなオドロオドロしい調子で続けた。廃墟はいきょには侵入しんにゅう者を地獄じごくに引きずりこむ何者かが徘徊はいかいしているらしい……」

「こ……このとうはいったいなんなんだ?」

「あぁ、そうだった、その話の続きをしなくちゃな」
 ロウが、何やらうらみがましい様子で言った。
「春樹がボヤを起こしたおかげで、昨日はおれたちシュオやとうのことについて話せなかったもんな。怪談かいだん話なんてしている場合じゃない……」

「か、怪談かいだん? 今のは作り話なの?」

「作り話じゃないさ。おれが子どものころから、大人たちはみなこんな風にいうんだ。『四十七階だけはダメだ、ぜったいに近づくな……』ってな。まぁ、おれはそんな上の階まで行ったことないけどな。行こうと思っても行けないんだ。遠すぎて。この目で確かめようがない真実ってヤツさ」

「そのことなんだけど、ロウ……前から気になっていたことがある。なんで今までかなかったのか、自分でも不思議なくらいなんだけど……」

「回りくどいな。さっさと言え」

「『黒いとう』では、階と階の間をどんなふうに移動するんだい? 『アパートのひとつ上のフロアまで電線をばしに行く』という話じゃなくて、『別の街に行く』という意味での移動だ。やっぱり、階段みたいなものがどこかにあるのかい?」

「このビルに階段はありますか?」なんて質問は、もう金輪際しないだろうなと思いながら春樹はたずねた。

「あるよ、大階段が」
 ロウが言った。
「『大階段』ってのは、名前からじゃ想像しにくいだろうけど、すっげぇ大きな階段だ。別の街に移動するとき、おれたちは大階段を使う」

「やっぱり階段があるわけか……」
 春樹は言った。
「でも、大きくても、小さくても、階段は階段だ。のぼるか、おりるか、それだけだ。このとうがどんなにデタラメな高さでも、歩いていれば、そのうち着いちゃうんもんじゃないのか? その四十七階にも、発電所にも。当然、地上にだって……」

「それは、階段がつながっていればの話だな。大階段は、フロアごとに途切とぎれているんだ」

「それはつまり……」
 春樹は、つかの間考えてから言った。
ぼくが大階段を使ってひとつ下の階に降りたとしても、階段はそこで終わっている。そして、さらに下に続くべつの階段を探さなくちゃならない……ということか?」

「ご明察」
 ロウは言った。
「そして、それがなかなか骨の折れるのは、この街を見ればわかるだろう? なんとなれば、黒いとうのどこを切り取っても、ただただひたすら広い。しかも、ほかに大きな問題がある」

「というと?」

「大階段には、検問所があるってことだ。わかるか? 検問所だ。あやしいヤツを見つけて、つかまえて、牢屋ろうや送りにする心温まる場所だ」

「そこは、ぼくみたいなのが……君たちと比べてほんのちょびっとひとみの色がちがう可能性があるかもしれないぼくが……通れるところなのか?」

「通ろうとした途端とたん、おまえがつかまることに給料の一年分をけてもいい。さらに滞納たいのうしている家賃二ヶ月分を上乗せしてもかまわん」

「ほんとうに、そんなに大変なのか?」

「あぁ。なにしろもともと貧乏びんぼうな上、近ごろ扶持ぶちが二倍に増えたもんだから……」

「家賃のことじゃないよ。『人間』が検問をけるのは、ほんとうに不可能なのか? そいつを知りたいんだ」

「さぁな」
 ロウはかたをすくめてみせた。
「なにしろ検問破りなんてやったことねぇからな。『何ごとも試してみなくちゃわからない』って立派な言葉もあるが、自分の身で試すヤツは少ないだろうよ。おれはおすすめしないね」

「やっぱりこのとうに人間がいたらダメなのか?」

「この街の住民は、おれといっしょにいる限りおまえの正体なんか気にしやしないよ。あやしいヤツなんざ、この街にゃ数え切れないほどいるからな。もちろん人間をきらっている者も住民の中にはいるさ。一方で、人間よりもこわがられている者もいれば、きらわれ者もいる。たとえば、おれの部屋のとなりに住んでいるチャウって工場主もみんなからきらわれている。犯罪者がかくれ住んでいる地区だってけっこうある。この街に人間ひとりまぎんだところで、いちいち気にしてられないってのが現実さ。でも、検問所を通るとなると、話はべつだ。少しでもあやしいやつは、すぐにしょっぴかれる。なにしろ門番ってのは、しょっぴくのが仕事なんだ」

「そうか……まいったな。よそ者のぼくは、階段を降りることすら難しいのか……」
 春樹は、頭をかかえた。

「正規の道ならな。ロウが言った」

「どういうことだと、春樹は顔をあげた」


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