月面ラジオ {62 : さまよう船 }
あらすじ:木土往還宇宙船の完成式典に(無断で)参加した月美は、ひとり船に取り残された。
◇
木土往還宇宙船の送迎船が三隻、続けざまに港に着陸した。船尾から吹き出る炎が、港の地面を焼いた。月面港の到着ロビーでその様子を眺めながら、芽衣は式典のことを思い出して子どものようにはしゃいでいた。
クルーとしてではないけれど、あの木土往還宇宙船に乗船できたのだ。その興奮、まだ冷めやらぬと言ったところで、たぶんあと一週間たっても熱はこのままだろう。今からでもあの船に戻りたいものだ。そして、船内を思う存分に探検するのだ。もちろん、それは叶わぬ願いというものだろうけど。
ロビーは、完成式典から帰ってきた人たちでごった返していた。みんなドレスを着たままで、まるでパーティの二次会だと芽衣は思った。
「宇宙から帰ってくると、月の重力でも面倒くさいのね。体が重く感じるわ。」
「それは君が食べ過ぎたせいだよ。」
というくだらない会話が所々から聞こえてきた。芽衣とファビニャンがさっき全く同じことを言ったのは内緒の話だ。
先ほどの三隻が、最後の送迎船だったようだ。それからしばらくたっても後続の船は到着しなかったし、ロビーにいる人数もだんだんとまばらになってきた。
「そろそろ帰ろうか?」
芽衣といっしょに港を眺めていたファビニャンが言った。
芽衣たちがロビーを去ろうとした時だった。誰かが声をかけてきた。
「芽衣! 待ってくれ!」
ふりかえると、スーツを着た長身の男がこっちに向かってきていた。アルジャーノンだ。そのうしろに背の低い女の人がひとり、体の大きな男の人がひとり、それから、青いドレス姿の六十歳くらいの女性がいた。ドレスの女の人はたしか……
「ドローレス・ホークショーだ。」
電脳秘書のトム猫さんが、芽衣にこっそり耳打ちをした。
「ルナ・エスケープ社の副社長だ。」
「わかってるわ。」
芽衣はささやき返した。
「さっきのパーティで話したばかりなんだから。」
みんなルナ・エスケープの社員のようだ。他の二人は普段着のままだったので、アルジャーノンたちを迎えに来たのだろう。まえに月美ちゃんが話してくれたマニー、ハッパリアスという飲んだくれの同僚にちがいない。だって、すでに酔っ払っているのだから。
「どうしたの、アル?」
アルジャーノンも他の人たちも、なんだか慌ただしかった。
「月美がいないんだ。」
アルジャーノンが言った。
「いないってどういうこと?」
「最後の送迎船に月美が乗っていなかったんだ。どの船にも乗っていない。僕たちは最初の船に乗ってきたから見落とすはずがないんだけど。連絡しても、まったくつながらない……月美は君と一緒じゃなかったのか?」
「いいえ。」
芽衣は首を横にふった。
「てっきりあなたたちと一緒だと思っていたけど?」
アルジャーノンの言う通りなら、考えられるのは急病かなにかだ。月美ちゃんは木土往還宇宙船で治療をうけているのかもしれない。思い返してみれば、確かに体調は悪そうだった。あの状態の月美ちゃんをトイレに残しておくべきではなかった。今さらながらそのことを後悔した。ただ、病気だとしても連絡が取れないのは不思議だった。それとも、本当にのっぴきならない状態といえるほど体調を崩してしまったのだろうか?
「アル!」
そのとき、男の人が芽衣たちのもとにやってきた。青野彦丸だった。
「どうしたんだ?」
ホークショット教授が言った。
「ユエを見なかったか? どこを探しても見当たらないし、連絡もとれないんだ。」
「ユエだって年頃なんだ。」
ホークショット教授はやれやれとため息をついた。
「パーティーのあとだしねぇ。」
マニーはニヤニヤしていた。
「詮索は野暮ってもんだ。」
ハッパリアスもうなずきながら言った。
「それこそ連絡を入れてくるはずだ。」
青野さんは言い張った。
「ユエなら、帰りが遅くなる理由を適当にでっち上げる。余計な詮索をされないためにね。」
「ネットコンタクトを切ってるんじゃないか?」
ホークショット教授が言った。
「ユエは、仮想空間中毒者だ。ネットから三分断絶しただけで発狂する……ん?」
青野さんは顔をあげた。
「どうしたんだ、アルのやつ?」
アルジャーノンが、いつの間にかロビーの窓際に立っていた。月の砂漠でなく、宇宙を見上げている。
「どうしたんだ?」
青野さんがアルジャーノンの肩に手をおいて言った。
「ユエは、まだ船に残っているんじゃないかなって思って。」
「どうしてそう思うんだ。」
「なんとなくさ。」
「残って何になるんだ?」
「さぁ。」
青野さんはその思いつきを特に気に留めた様子はなかった。アルジャーノンの肩から手を離して言った。
「残っているわけないよ。今夜はほとんど人がいないし、仕事だって休みだ。とにかく、駐車場まで探しにいってみるよ。もしユエを見かけたら、僕が探していたと伝えてくれ。」
「わかった。」
なおもアルジャーノンは宇宙を見上げたままだった。
「月美ちゃんがいないのと、ユエがいないのって、何か関係があるのかな?」
青野さんが行ってしまったあと芽衣はたずねた。でも、アルジャーノンは何も答えず、宇宙を見続けていた。
「どうしたの?」
芽衣は、上の空のアルジャーノンに尋ねた。
アルジャーノは黙って上空を指さした。
白く輝く光が頭上に見えた。星のようだけど、星ではない。それは、地球を除き、ここから最も明るく見える光だった。一定の速度で移動しながら月の黒い空に横線を引くその光は、木土往還宇宙船だ。太陽の昇っていない夜間なら、船は肉眼でも見えた。星より明るいくらいで、他の人工衛星とあまり区別はつかないけど。
「もう戻ってきたのね。」
芽衣は言った。
「三十分で月を一周するからね。」
ファビニャンは言った。
「いまちょうど僕たちの頭上に船が来ている。」
アルジャーノンが言った。
「でも、ちょっぴり軌道がずれているみたいだ。」
「どういうことだ?」
ホークショット教授が言った。
「船の通過時刻が、僕の計算より十七秒ずれているんだ。さっき上を通った時も十三秒ずれていた……」
「で、でもそれって……」
アルジャーノンの言いたいことはわかったけど、芽衣は口ごもった。
理解はできても信じられないことだった。
「船が加速してるってことか?」
ファビニャンが引き継いだ。
「そんなことあり得ると思うか?」
だれもうなずかなかった。それはアルジャーノンもおなじだった。
「仮に動いているとして……」
ハッパリアスが言った。
「いったい誰が運転しているんだ?」
「というより、動かそうと思って動かせるものなの?」
マニーが訊いた。
「無理だ。」
ホークショット教授が言った。
「あれだけ大きな船だ。動かすともなれば、正規の訓練を受けたクルー百人は必要だろう。現実的じゃない。」
「でも動いているのね?」
芽衣は言った。
「見た限りではね。」
と、アルジャーノン。
「あるはずの場所に船がない……」
芽衣は言った。
「まえも同じことがあった。ルネスケープの船で……」
「芽衣、三〇七型機のことを言っているのか?」
ファビニャンはおどろいて言った。
「いくらなんでも船の規模がちがいすぎる。それに、ルナスケープの発表ではもう解決したことだろう? もし木土往還宇宙船のシステムに同じ問題があったとしても、アップデートは終わっているはずだ。」
「そのアップデートは誰がやったの?」
芽衣はたずねた。
「ユエだ。」
アルジャーノンは答えた。
それからみんな押し黙ってしまった。お互いがお互いの目を見合わせるばかりで、何も言えなかった。でもみんな同じことを考えていたはずだ。それは間違いない。
沈黙を破ったのは、ホークショット教授だった。
「月美と連絡がとれた。」
みんなホークショットの方にふりかえった。
「つなげるぞ。」
教授がそう言うと、芽衣たちの仮想空間に月美ちゃんの姿があらわれた。緑色のドレスを着たままだった。
◇
「教授!」
月美ちゃんは声をあげた。元気そうだけど、ただならぬ様子だった。
「ん? どうしてみんな集まってるんだ?」
月美ちゃんはキョロキョロとみんなの顔を見比べた。
「芽衣とファビニャンまで……でも、よかった。みんな生きていたんだな!」
やはりただごとではないようだ。
「月美ちゃん、どこにいるの?」
芽衣は言った。
「心配してたんだよ。」
「まだ木土往還宇宙船にいるんだ。」
月美ちゃんは慌てていた。
「様子がおかしいんだ。私以外だれも船にいない。あたりは寒くて、真っ暗で……月にも帰れないんだ!」
「落ち着いて、月美ちゃん!」
芽衣も負けずに声を上げた。
「船が動いているってことない?」
「船が?」
月美ちゃんはキョトンとした。
「動いているとは思えないけど……正直、中からじゃわからないな。」
たしかにそのとおりだった。あれだけ大きな船だ。加速を始めても、月の衛星軌道から脱出するだけで一日以上必要なはずだ。船内からわかるわけがない。
「わかった。すぐ迎えに行くから。まずは……」
しかし芽衣の言葉が届くことはなかった。なんの前触れもなく、仮想空間から月美ちゃんが消えてしまったからだ。
「月美ちゃん!」
芽衣はふりかえった。
「どういうこと?」
「わからん。」
ホークショットが教授が言った。
「急につながらなくなった。」
「トム猫さん!」
芽衣は言った。
「もう一度月美ちゃんにつなげて!」
「だめだ。」
スーツ姿の猫が、首をふりながら、さっきまで月美ちゃんのいた場所にあらわれた。
「ネットワークから切断されたみたいだ。」
「そんな……」
そのとき、ファビニャンが芽衣の肩を指先で叩いた。ふり向くと、青野さんが戻ってきていた。芽衣たちのところにかなり急ぎ足でやってきた。
「ユエは見つかったの?」
アルジャーノンがきいた。
「いや……」
首をふる青野さんは、さきほどとは違って血相を変えていた。
「それよりもへんなんだ。」
「どうしたの?」
アルジャーノンは言った。
「さっき、船医のシャルマを見かけたんだ。」
青野さんは説明した。
「なんで当直なのに月にいるんだってきいたら、当直はマーフィーだと答えた。ただマーフィーはいまラグランジュ城で休暇中のはずなんだ。それでマーフィーに連絡したら、いまの当直はシャルマだと答えた。何かおかしなことが起きている。僕はいったん船に戻って様子を見に行くつもりだけど……ん? みんな、いったいどうしたんだ?」
アルジャーノン、ホークショット教授、マニー、ハッパリアス、ファビニャン、そして芽衣と、この場にいる全員が青野さんを凝視していたので、面食らったようだった。
「船医だけじゃないと思います。」
芽衣はおずおずと言った。
「いま、船にはだれも乗っていないんです。月美ちゃんと……ユエを除いて……」
青野さんは、芽衣が何を言っているのか理解できていない様子だった。顔をしかめているのか、睨んでいるのか、よくわからない表情でこちらを見返した。とうぜんだろう。私だって、自分の言っていることが信じられないのだから。
ユエが、木土往還宇宙船を動かしている? それもひとりで? とうてい信じられないことだった。