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月面ラジオ {66: 冬のプラットフォーム(2) }

あらすじ:月美は、木土往還宇宙船強奪事件に巻き込まれた。

{ 第1章, 前回: 第65章 }

ふたり並んで階段をのぼりながら、月美はユエと話したことを彦丸にも話した。

「ユエは操舵室にいるよ。」

「だろうね。」

「操舵室はどこにあるんだ?」

「中庭の近くにあるエレベーターから行ける。」

「そのエレベーターは止まっているだろう? ほかに道はないのか?」

「あるけど、その通路も中庭から続いている。どっちにしろ、そこまで行かなくちゃならないんだ。」

「中庭への扉が塞がれているんだ。」
 月美は言った。
「そこだけがどうしても開けられなかった。」

「それはおかしいな。扉は手で強引に開けられるはずだ。災害時に避難経路を確保するためにね。」

「でも動かなかった。」

「となると、ユエが細工をしているのか……」
 彦丸は階段の途中で止まった。
「そうだな……自動扉には、『開く』と『閉じる』の二つの機能があるわけだけど、『閉じる』の機能だけをずっと稼働させているのかも。月美が開けようとする一方で、ユエが閉めていたんだ。」

「それで擬似的にロックしているってことか。解消する方法はあるのかな?」

「すぐには思いつかない。相手はユエだし、一筋縄にはいかないだろう。」

彦丸がまた階段をのぼりだした。月美たちは、広間の最上層までやって来た。缶詰や薬の入ったリュックサックが浮かびっぱなしだった。月美は手を伸ばして、それを回収した。

「この扉の電気を遮断するのはどうかな?」
 扉の前に来ると、月美は言った。
「擬似ロック状態だって解消されると思う。」

「この広間に配電盤があるわけじゃない。」
 しばらく考えてから彦丸は言った。
「それに宇宙船の電気系統にはさわらないほうがいい。止めちゃいけないシステムまで止めてしまったら僕たちは死ぬ。」

「そうか……いい考えだと思ったんだけど。」

「いや、扉の電気を止めるというのはいい手だ。」
 彦丸は言った。
「というかそれしかない。いくらユエでも、電気の通っていないモノにちょっかいを出すことはできない。何かやり方があるはずだ。たとえばだけど、火災が起きれば、その部屋だけを停電させることができる。」

「どうして停電するんだ?」

「消火のためさ。火災の起きた部屋は、火を広げないよう一時的に電気が遮断される。それから空気の供給を止めてしまうんだ。酸素がなくなれば、火はたちまち消えるからね。さすがに船を火事にはできないけど、火災センサーなら騙せるかも。うまくいけば、この扉を開けられるようになるだろう。」

「空気がなくなるのはまずいんじゃないか?」

「電気が落ちたら、扉の向こうに避難できるだろう? 宇宙服と酸素ボンベもあるし、しばらくは大丈夫だ。問題はどうやってセンサーを騙すか、だ。」

「だます必要はないだろう。」
 月美は言った。
「実際に火をつければいい。」

「僕の船を燃やす気かい?」
 彦丸は目を丸くした。

「おおげさだな。」
 月美は肩をすくめた。
「ちょっと焚き火するだけだ。昔キャンプでやってたじゃないか?」

「火を起こす手段がないよ。」
 彦丸は言った。
 明言はしないものの、月美の案に反対のようだ。
「宇宙にはマッチ一本すら持ち込めないって知っているだろ?」

「でもこいつを持ち込んだだろ?」

リュックサックから月美はライターを取り出した。自分のライターを受け取った彦丸は、さらに目が丸くなった。

「どこでこれを?」

「わかってるくせに。」
 月美は言った。
「秘密ってのは上手に隠さないとな。私の同僚がいつも言ってるよ。」

「そいつが誰だかは想像がつくよ。」
 彦丸は言った。
「残念ながらライターは燃料を抜き取っている。」

「補充しておいた。窒素充填倉庫に洗濯用のベンゼンがあるだろ? それで代用できる。」

「火種があっても、燃やせるものがないよ。いっておくけど、広間の絨毯は耐火性の人工繊維だから火はつかないよ。」

「もっといいものがあるよ。」

月美は背中のジッパーに指をかけ、いっきにそれをおろした。月美がいきなりドレスを脱ぎはじめたので、彦丸はあんぐり口をあけた。ただ、目を逸らそうとしたのも束の間、月美を食い入るように見た。月美がドレスの下に妙なものを着ていたからだ。

「もしかして……アルのパワードスーツ? 服の下に仕込んでいたのか。」

月美は、ドレスを一番下からめくりあげてから彦丸に手渡した。彦丸は、月美の体温の残る服を慎重に受け取った。

「こいつを燃やせってことか?」

月美はうなずいた。この広間で燃えそうなものといえばドレスだけだった。ホークショット教授にはあとで謝らないとな。せっかくの贈り物を灰にしてしまうのだから。

「シルクか……」
 彦丸は言った。
「でも耐火繊維とのブレンドだね。燃やせるかもしれないけど、ライターの火力ではムリだ。」

この意見も予想どおりだった。月美はリュックサックから今度はウィスキーの瓶を取り出した。

彦丸は、「どこからこれを?」ともう訊かなかった。

「生地にアルコールを含ませれば着火できるはずだ。もったいないけど、緊急事態なんだから。」

「うん……」
 彦丸はうめいた。
 まだ月美の焚き火案に不満があるようだ。
「最初に言っておくべきだったかな。残念だけど、ライターはここで使えないんだ。『使い物にならない』の方が正確かな。見ててごらん。」

彦丸は、ケースの蓋を開けると、着火石をこすってライターに火をつけようとした。瞬間、勢いよく火が吹き出したかと思うと、たちまちに火は消えてしまうのだった。

「無重力ではライターもロウソクも使えないんだ。空気の対流が起こらないから、着火した瞬間に周囲の酸素を使い切って消えてしまう。」

月美は、グローブを嵌めた両手を前に出して、ライターを包みこんだ。

「何をしているんだい?」

「もう一度やってみてくれ。」
 月美は言った。

彦丸がライターの着火石をこすると、今度は火がついた。小さなものではあったけど、月美のかざした手の内側で確かに火の手が上がっていた。彦丸は、今日一番の声をあげた。

「なにをしたんだ?」

「ライターの周りにグローブで磁場を作っている。酸素ガスは常磁性だから磁場の中で動くんだ。無重力でも空気をかき回せるってことさ。さぁ、これで火をつける条件はそろった。」

「危険すぎる。」
 それでも彦丸はためらうのだった。

「その宇宙服はなんのためにあるんだ。ヘルメットをかぶれば大丈夫だ。」

「まったく……宇宙で安全に暮らすために、僕がどれだけの時間を費やしていると思ってるんだ?」

「ライターもアルコールも彦丸のものだろう?」
 月美は言い返した。

それでも彦丸は首を縦にふらなかった。黙ったままの彦丸に月美はしびれを切らした。

「そうだな、火力に不満があるってのなら、純酸素もあることだし、簡易的な爆弾の作り方を今からあんたに……」

「わかった、わかったから!」
 彦丸が、月美を遮った。
「やるよ。僕が火をつけるから、そのグローブの使い方を教えてくれ。」

五分後、ホークショット教授からの贈り物が月美たちの頭上で勢いよく燃えた。彦丸の心配した通り、宇宙で焚き火など、おいそれとやっていいことではないようだ。想像したよりもずっと大きな火の玉ができあがったので月美はたじろいだ。吹き抜けの天井ちかくでドレスに火をつけた彦丸は、爆風に飛ばされて宇宙服の中で悲鳴を上げていた。

火の玉は、周囲の酸素を食らいつくし、まもなくして消えてしまった。もちろん予想した通りではあったけど、月美は内心でほっとした。

警報とブザーが嵐のように鳴っていて、火が消えても止まらなかった。月美たちは急いで扉をあけて、大広間から脱出した。

月美たちは笑いながら中庭へとかけこんだ。

「まさかあんなに燃えるなんて!」
 月美は言った。

「死ぬかと思ったよ!」
 彦丸も腹を抱えていた。

あやうく木土往還宇宙船を燃やしてしまうところだったのに、月美はそれがおかしくて仕方なかった。こんなに笑ったのは中学生以来だった。なんでおかしいのかわからないのに、友だちと笑い始めると、息ができなくなるまで笑ってしまう。昔はよくあった。

やがて捩れたお腹がもとに戻り、二人は中庭の遊歩道を進んだ。あたりはやっぱり暗かったけど、中庭は他の場所と比べてずっと温かかった。

「船の電力が落ちても、ここの気温は変わらない。」
 彦丸が言った。
「せっかくの植物が枯れてしまうからね。」

さすがに暑かったのだろう。彦丸はその場で宇宙服を脱いで、インナースーツだけの姿になった。もしかしたら、月美だけ下着のような格好をさせておくのに気が引けたのかもしれない。おかげで、傍から見れば下着をつけた中年男女が、世界最高の船を闊歩する図ができあがったわけだ。それがおかしかくて月美はまた笑った。

月美たちは、歩きながら昔話をした。地球にいたころも、こんな風に話をして森を歩いた。そして、夜になったら星を観測した。ここに子安くんがいれば、人生で一番たのしかった時間を取り戻せたのに、と月美は思った。

昔話が一段落すると、離れ離れになったあとのことを話した。

彦丸は語った。世界を旅していた時、宇宙飛行士のエリンとフンザで出会ったことを。月面で彼女と再会し、結婚し、そして火星で亡くしたことを。ユエとアルジャーノンの話も聞かせてくれた。ユエは幼いころを病院で過ごし、ほんとうの両親とも離れ離れになって暮らさなければならなかった。だからこそ、ユエはだれよりも家族と過ごす時間を大切にした。なのに、木土往還宇宙船の建設が始まって以来、彦丸は家を留守がちになった。ユエの孤独を知っていながら、木星に連れて行かず月に置いていくと決めた。これがユエの反抗の理由だと彦丸は言った。

アルジャーノンもユエと同じような境遇だった。体はユエよりもさらに弱く、彦丸が初めて話した時は、ベッドのシーツを握る自分の手に向かって返事をするくらい内気な少年だったらしい。でも、地球を目指すようになってからというもの、アルは目に見えてたくましくなり、身長もあっというまに彦丸を追い抜いてしまった。

「ここ一年、アルの成長はすごいよ。本当に地球へ降りられるかもしれない。これだけは、ホークショットに感謝だな。もちろん月美にもね。」

彦丸は言った。

「さあ今度は君が話す番だ。」

月美は語った。

「私も月に行きたくて必死に勉強したんだ。子安くんと同じ大学に進学して、そのうち恋人になって何年もつきあった。つきあっていたころは、結婚だって真剣に考えていた。でも、うまくいかなかったんだ。私が月をずっと見上げていたせいだ。」

もうずっと前の話だった。三人でキャンプをしていたころよりも遠い過去のように思えるから不思議だった。

「彦丸がずっと月にいることは知っていたよ。有名人だったからね。でも彦丸のニュースは意識的に避けていたんだ。だから月に来るまで彦丸が結婚していたことも、養子がいることも全く知らなかった……」

月美は、隣から彦丸が消えたことに気づいた。ふりかえると、遊歩道の橋の上で彦丸は立ち止まっていた。

「どうした?」
 月美はたずねた。

彦丸は上を向いていた。

「大きな船だなと思って。」

「何を言っているんだ? 自分で作ったんじゃないか。」

「この船は、いつも人がいっぱいいるんだ。でも今はガランとしている。人がいなくなると建物は本当の姿を見せる。寺とおんなじさ。雑踏が消え、静寂につつまれると、その荘厳さを体感できるようになる。」

私の話なんて聞いていなかったようだ。おまえが訊いたから話したってのに、と月美は言いたかった。

彦丸は、目の前の人間でなく、いつもどこか別の場所を見ていた。それはいまも変わらず、月美のことなんて鼻にもかけていない。でも、「どうだ! すごいだろ!」と言いたげな笑顔で、そんな彦丸だから好きになったことを思い出す。

ふいに水滴が月美の肩を叩いた。見上げると、天井から雨が降り注いだ。

「水やりの時間か……」

二人は中庭の中心にある木の根元に移動して雨宿りをした。

「前もここで雨に降られたんだ。」
 彦丸は言った。
「感激したよ。無重力で雨だなんて。月美がここで働いていると聞いておどろいた。」

「知ってたのか?」
 月美は言った。

「アルから聞いたんだ。うん、たいしたもんだ。」

それからは、黙って雨が止むのを待った。すぐに止むとわかっている。中学生のころのように、「この時間がずっと続いてほしい」とは思わなかった。もう立ち止まらないと決めたんだ。彼のとなりに立てたのだから、次は歩かなければならない。

「星が見えないのが残念だよ。」
 雨の止むころになって彦丸が言った。

「見えるさ。」
 まだ小降りだったけど、月美はかまわず遊歩道に出た。
「雨が止めば、空は晴れる。いつもそうだったろ?」

やがて雨粒が消えた。天井も消えた。天井のあった場所に宇宙が映し出された。満天の星空だ。たとえ映像だとしても、月美にとっては、彦丸と見上げた故郷の空と同じくらい輝いていた。


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