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{ 26: 火葬 }
声が聞こえた。どこかで聞いたことのある声だと春樹は思った。
「おい、きさま! カソーヤ! フタを開けたまま焼けないとは、いったいどういうことだ?」
耳元で怒鳴られているようだけど、春樹の意識がはっきりしないせいで、遠くの洞穴で鳴っている声を聞いているようでもあった。
次に、カソーヤと呼ばれた男の声もきこえた。怒鳴り散らす男に怯えていて、こちらは壁越しに声を聞いているようだった。
「ム、ムチャを言わないでくださいまし……フタをあけたままですと、火力が出ませぬゆえ……余分に時間がかかる上に、骨まで焼き切ることもなかなか……」
「それがどうした? 俺は、この罪人が焼かれて叫ぶ様を見たいのだ」
「そ、そ、そのことなのですが……」
カソーヤはおずおずと尋ねた。
「この者がいったいどのような罪を? ワタシめには、ただの子どもにしか見えませぬが……」
「それを知ってどうする? まさかこの俺に意見をするのか?」
「いえ! 戦士様の決定に物申すことなど何も……畏れ多いことでございます。ただ、いかな罪人であろうとも、死の際には情けをかけるのが手前どもの慣わしゆえ……具体的には、まず薬物を体内に注入して、安らかな眠りを。次に体を清め、綿の衣にその身を包み、そういった然る処置をした上で、火にかけとうございます。生きたまま焼却など、いかにもむごたらしい……」
「こいつは俺たちのカタキだ! 薬で楽にするなど生ぬるい!」
「ひ、ひぃ……!」
男が一喝し、カソーヤは悲鳴のようなうめきを上げた。
「ふん、相変わらずなさけないヤツだ。これしきのことで……」
男は言った。
「だが、まぁいい……フタをしようが、しまいが、苦しんで死ぬことにかわりない。それで、こいつを処理するのにかかる時間はどれくらいなんだ?」
「ほどよく脂ものっているので、十三時間ほどかと」
「なに? そんなにかかるのか?」
「なにぶん、手前どもの施設、オンボロなものでして……」
カソーヤは言った。
「最大火力へ到達するのにさえ三時間も要する始末で、何を焼くにしても余分に時間が……そのくせ、真夏ともなると、この部屋は地獄すら生ぬるいほどの温度に達します。手前どもが、炎の隣で丸一日働きとおしたところで、日に三体の遺体を焼くのが限度でございます」
「ならば施設を新しくしておけばよかろう。このなまけ者めが!」
「お、お、畏れながら、それも予算次第でございまして……」
カソーヤは言った。
「もしも、次の議会で、戦士様みずから予算案を提起していただけるなら、手前どもとしても、たいへんありがたく……」
「はっ! この俺にアルジ様へ意見具申をしろと? 貴様らの職場改善ために? バカな。ん……おい、スイレイ、いったいどこにいく?」
あいも変わらず意識は混濁し、ずっと遠くの場所の会話を聞いているようだったけれど、唐突にスイレイの名前が聞こえたので、春樹の眉がピクリと反応した。
スイレイが、ここにいるだって? なぜ? いや、それよりも、ここはどこなんだ? どうして体が動かない? さっきから焼くだのなんだのと言っているけど、いったい何のことだ?
春樹は目をあけて、体を起こしたかったけど、そのどちらも叶わなかった。縛られたみたいに体は動かないし、マブタだって金具で固定されたような有様だった。まるで、体中から神経を抜かれたみたいだった。
「待て、スイレイ!」
男が声をあげた。
「くだらぬ話に付き合うほど私はヒマでないんでな」
こんどは、知っている者の声だった。スイレイ……あの狐面の女のだ。
「火葬炉のフタを閉めようが開けようが、どうだっていい。私は先に帰らせてもらうぞ」
「待てと言っている! おまえには、この者の処刑に立ち会う義務がある」
「だからといって、くだらぬ話に付き合う義務はない」
スイレイは言った。
「それに最初から最後まで立ち会う気だってない」
「なんだと? 貴様、アルジ様の命令をなんだと思っている?」
「最優先事項だと思っている」
スイレイは言った。
「だが、おまえに警告しておく。その者の血は、私たち戦士にとって毒そのものだ。たったの一滴でも体内に取り入れようものなら、十三時間どころか、一瞬で灰になるのは私たちの方だ。まさに劇毒の中の劇毒。その者を焼いた煙や灰を戦士が吸った場合、どうなるのか私にはわからない……もし自分の体で試しも良いのなら、この部屋で立ち会えばいいさ。炉のフタをたまに開け、中の様子を確かめたっていい」
しばらくの間、誰の声も聞こえなかった。開いた口が塞がらず、男がその場でワナワナと震えている姿を春樹は想像した。
「おい、カソーヤ」
スイレイが続けた。
「へ、へい?」
「今すぐ炉に火を入れろ。十三時間後、私はこの場に戻ってくる。それまでに仕事を終わらせておけ。いいな?」
「へ、へい!」
カソーヤがきっぷよく返事をすると、扉を開ける音と、その場から出ていく足音とが聞こえた。
「ちっ、スイレイめ……勝手に話をすすめやがって」
やがてその足音が聞こえなくなると、男は舌打ちをした。
「だがあいつの言うとおりだ……おい、カソーヤ、さっさと燃やしておけよ。俺もいったん出ていくが、その間、この部屋にはだれも入れるなよ。いや、もっとはっきり言っておくか。他のことはいっさいせず、この仕事に専念しろ」
「しかし、本日はまだ、他に燃やすモノが……この子に加えて、あと二体ほどありまして……」
「だまれ! この罪人の処分が最優先だ。おまえの時間も労力も燃料も、すべてこいつの火葬に費やすんだ。いいな?」
「へ、へい! では、今すぐに!」
ガンッ、ガシャンッという大きな音が聞こえた。重たい金属のフタを閉めた音だった。さらにもう一度、ガシャン、という音が聞こえたかと思うと、ブォォン、という唸り声にも聞こえる不吉な音が鳴り響いた。
間もなくして春樹は目覚めた。あたりは真っ暗で、なにも見えなかった。
「カソーヤ……」
春樹は、いまだボンヤリする頭で、さきほどの会話に思いを巡らせた。なにやら話し込んでいた三名のうち、気弱そうな男はこう呼ばれていた。カソーヤ、と。
「かそうや……火葬屋……?」
◇
やっと目がさめたというのに、春樹の体は動かなかった。はじめは縛られているのかと思ったけど、そうではないようだ。体を縛りつける器具や縄のようなものはなかった。
春樹は、まもなくして自分が金縛りにあっているのに気がついた。意識はすでに半分ほど覚醒しているのに、さりとて覚醒しきれず、体がいうことを聞いてくれないあの状況だ。悪夢をみているとき、春樹がしょっちゅう苛まれるあの症状だ。
金縛りだって? よりにもよって、こんな時に? うそだろ!
うごけ! うごけ! と春樹は思った。あいつら、僕を焼き殺すと言っていたぞ? いますぐ逃げないと、僕は火葬されてしまうんだ! あの悪夢の所業のように……穴の底で家族ごと焼き払われたあの少年と同じような目にあうのか? 他にどんな死に方をしようとかまわないけど、あれだけは絶対にゴメンだ。それなのに、体が動かないだなんて。うごけ! うごけ! たのむから動いてくれ! 動かないと死ぬんだぞ!
「うごけ!」
春樹は叫んだ。それから大きく息を吸い込んだ。二日ぶりに海上に出て呼吸したクジラのように、長くたっぷりと。
肺にたらふく空気を押し込むと、つぎは息を止めた。心臓が胸を打った。頭と身体の隅々に血がいきわたり、やっとスイッチが入った気がした。もしも体内に伝熱回路とモーターがあるのなら、この火葬炉と同じようにブォォンという起動音が体から聞こえただろう。春樹の意識は、ついに覚醒した。
声は出たぞ。なら、体はどうだ? 春樹は、ためしに左手を握ってみた。目覚めたばかりでほとんど力が入らず、せいぜい赤ん坊の手くらいに丸まっただけだ。それでも、体が動いたのに違いはなかった。
「よし、いけるぞ」
火葬炉のブオーンという音もはっきりと聞こえ出した。オーブンで肉を焼くときに聞こえるあの音だ。
春樹は、体を起こした。そのとたん、額に何かがぶつかって、また倒れてしまった。頭が、木の板に激突したようだ。寝転んだままあたりを探ってみれば、体の両側にも木の板があった。頭上をさぐっても、足元を動かしてもそれはおなじだった。どうやら、春樹は箱のようなモノの中に……いや……認めがたい事実ではあるけれど、ハッキリ言ってしまおう……春樹は、棺桶の中に閉じ込めれているのだ。
「ちくしょう! 僕はまだ生きてるぞ!」
春樹は、木の板をバンバン叩いた。
でも、そんなことでフタが開くほど甘くはなかった。
「あけよ、ちくしょう!」
今度は足でフタをけとばした。それでもびくともしないので、次に無理やりフタを押し上げてみた。すると、メリメリと音がした。あまり頑丈な棺桶ではないようだ。素材はせいぜいベニヤ板くらいのものだったし、フタだって数本の釘で打ち付けた程度だ。これならいけそうだ。万力をこめて両手両足でフタを押し上げると、ベリッという音とともにフタが剥がれ、ついには棺桶が開いた。
急いでフタをどけると、今度こそ春樹は体を起こした。とたんに額が何かにぶつかって、棺桶の中に再び倒れこんだ。今度は激痛だった。棺桶のすぐうえに、石かコンクリートのような天井があった。そうか、僕は火葬炉の中にいるんだった!
あたりは真っ暗だった。火はまだ点いていないとホッとしたのもつかの間、足元で何かが真っ赤に輝いているのが見えた。この火葬炉があと何分で燃え盛るのか、春樹の与り知るところではないけれど、火が灯ったのはまちがいなかった……
春樹は、体が炉の壁にこすれるのに構わず、薄っぺらな棺桶の中から這い出した。炉の床にドスンと落ちると、灰が巻き上がって思い切りむせ返った。ひどい匂いだった。焼けた骨の匂いがするのは当然として、爪や髪の毛をライターで焼いた時と同じ匂いがあたりに充満していた。石の床はヒンヤリとしているけれど、これからここがオーブンのようになると思うと、胃の中身を内蔵ごと吐き出しそうだった。心臓が、空襲警報のように早鐘を打っていた。
春樹は這いずって、火葬炉の出口に寄った。だけどすぐに壁にぶつかった。いや、壁じゃない。フタだ。それもとびきり重たいフタ……炉を密閉する金属のフタだった。
「開けてくれ!」
春樹は寝そべったまま思い切りフタを叩いた。
「たのむ! 助けてくれ!」
何の反応もなかった。外からは何も聞こえず、炉の中ではブォォォンという大きな音が変わらず鳴っている。ふいに足元が熱くなったような気がした。もしかして、僕の足が焼けだしたのか? 人体の焼けた匂いがしたようで吐きそうだ。
「お願いします! 開けてください! なんでもしますから!」
もはやなりふりなんてかまっていられなかった。春樹は泣け叫びながら金属のフタを叩いた。叩いたところでびくともしないので、しまいには爪を立ててフタを引っ掻いた。
「いやだ! こんな死に方はいやだ!」
そのとき、何かが手にぶつかった。いったい何だと顔を上げたら、金属の取っ手のようなものがフタに付いていた。あまりに慌てていたものだから、すぐ目の前にあったのに全く気づかなかった。
「と、取っ手……なのか? 中からでもフタを開けられるのか?」
それがなんだろうと、どうでもよかった。頼みの綱なんて他にないのだから。春樹は、それを思い切り引っ張ってみた。火葬炉に光が差しこんだ。春樹は体重をかけて、フタを引きずり下ろした。
フタは重く、途中でつっかえた。春樹が死ぬ思いで押し下げても、最初に動いた以上にはなかなか開かない。
「あけ、あけ、あけよっ! このクソブタ!」
呼吸すら忘れて、フタを引きずり降ろそうとした。「呼吸を忘れた」というよりも、むしろ過呼吸を起こしたようで、しまいに苦しくなった。フタは動かない。頭がクラクラする。心臓が胸の中で何度も爆発していた。血液の代わりに恐怖と悪寒が体中をかけめぐった。
ガコン、と音が鳴った。
光がさらに差し込んだ。フタが半分ほどあいて、やっと自分の頭が入るくらいの隙間になった。春樹は、そこに体をすべりこませた。途中、大きく膨れたお腹がフタに引っかかったけど、それでもムリヤリ這い出すと、五十センチほど下にあった床に墜落した。
「で、出れた!」
頭から落ちたせいで後頭部に激痛が走ったけど、あまり気にならなかった。そんなことよりも、たったいま湖の底から昇ってきたように息を吸い込まなければならなかった。それから、灰だらけになった体を丸めて、春樹は泣き出した。両手の指を見ると、あわせて三枚も爪がはがれていた。