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{ 46: 一日楽医院(2) }

ロウとの共同生活を経て、生きる気力を取り戻した春樹は、黒い塔からの脱出を決意をする。しかしその夜、ロウが悪夢にうなされた。泣き叫ぶロウの様子は、かつて、燃え盛る火に焼かれ、処刑される夢にうなされ続けた自分と同じだった。春樹はロウを助けるべく、この街の唯一の医者であるヒトヒラ先生を訪ねた。

前回までのあらすじ

{ 第1話 , 前回: 第45話 }

ロウの口の中に、平たい金属の用具をみながらヒトヒラ先生が言った。

「舌をだして、『アー』と言ってごらん」

ベッドに腰掛こしかけたまま診察しんさつを受けていたロウは、先生に言われたとおり舌を出した。

「アー……」

うつろな表情でうなるロウは、全身が青ざめていて、陶器とうきの人形のように見えた。先生は、ロウの胸に聴診ちょうしん器をあて、手首で脈拍みゃくはくを測り、口やのどの様子を観察し、風邪かぜ患者かんじゃる時にはおよそやるであろう検査を一通り終えた。

「ど……どうですか?」
 ヒトヒラ先生の背後から春樹がおそおそたずねた。
「ロウは大丈夫だいじょうぶなんですか?」

「いたって健康だ」
 ヒトヒラ先生は答えた。
「どこにも異常はない」

「そんな………」
 本来よろこぶべきはずの診断しんだん結果に春樹は少なからずショックを受けた。
「でも、さっきは……」

春樹は、こんな夜明け間近に先生を呼びつけたことに対し弁明するかのようにまくしたてた。

「さっきは、ほんとうにひどかったんです! 悪夢にうなされて、ロウはさけんでいたんです。それが、あまりにひどくって……ロウ、気分はどうだ?」

「最悪だ……」
 ロウは、春樹を見もせずに言った。
「まだ夢を見ているみたいだ」

「わかっている」
 ヒトヒラ先生は、春樹、ロウどちらにともなく言った。
「君たちはウソをついていない。私は、その症状しょうじょうを知っているよ。シュオの見る火の夢のことを……」

「あの夢のことを知っているんですか!」
 春樹は思わず声をあげてしまった。
「毎日毎日見続けるあの地獄じごくのような夢のことを!」

春樹がいきなり乗り出してきたので、ヒトヒラ先生はたじろいだ。ロウもおどろいて春樹を見上げていた。

「え? あ、あぁ……春樹君、いきなりどうしたんだい?」

「教えてください! あの夢はいったい何なんですか? いや……それよりも、あの夢を見ないよう治療ちりょうすることはできるんですか?」

「お、落ちつくんだ!」
 ヒトヒラ先生は、ぶつかりそうになるほどせまってくる春樹をあわててし留めた。
「君は、やけに夢のことに興味をもつんだね? もちろん話してもかまわないが……でも、その前に……」

「その前に?」

「もう朝になった。部屋を出て、屋台にでもさないか?」

「やたい……?」
 春樹はまゆをひそめた。
「どうして?」

「簡単なことだ」
 ヒトヒラ先生は言った。
「私は空腹なんだ。ロウ、気分が悪いだろうけど付き合ってもらうぞ」

「いや……」
 ロウは首をって、死にかけの鳥のような声で返事をした。
きそうだ……」

「いいや、付き合ってもらうぞ」
 なおもヒトヒラ先生は言った。
「しっかり朝食をとることが、体調回復の第一歩なんだ。たとえいてでも食べられるようになったほうがいい。さぁ、ふたりとも行こう」

そういうとヒトヒラ先生は立ち上がり、春樹とロウを強引に引っ張りながら部屋をあとにした。

ヒトヒラ先生が、屋台の調理台から三人前のおかゆと、一盛りのげパンとを運んできた。先生は、青いプラスチック製の椅子いすこしかけると、くだいたナッツをまぶしたおかゆに、げパンをひたしながら食べ始めた。先生にならって春樹もげパンをひたしたけれど、それ以降は手も口も動かせないでいた。自分のおわん呆然ぼうぜんながめているロウが、昨夜食べた饂飩うどんと今にも再会を果たしそうで、そのとなりで朝食を取る気分には、どうしてもなれなかった。

「どうした?」
 ヒトヒラ先生が、先ほどから微動びどうだにしないふたりに気づいた。
遠慮えんりょせず食べるんだ。私のおごりだぞ?」

ヒトヒラ先生は、本日の診察しんさつに必要な体力をもどさんとばかりに朝食をガシガシ食べていた。先生が徹夜てつやをする羽目になった原因が自分たちである手前、その好意を無碍むげにするわけにもいかず、しかたなく春樹はげパンにかじりついた。ロウは、春樹と先生が食べ終わったころになっても、一口だって食事に手をつけなかった。

朝もすっかり開けたころで、中央回廊かいろう東側の大通りに設置された無数の屋台は、仕事前に腹ごなしをしにきた住民たちでごった返していた。みんながみんな、元気いっぱいで、病床びょうしょうのロウに全く気を使わずさわがしくしていることに、春樹は無性に腹がたった。春樹は、かつての自分も今のロウのようだったことを思い出していた。

「ロウ、どんな夢を見たか話してもらえるかな?」
 人心地のついたヒトヒラ先生が、椅子いすにもたれながら話を切り出した。

「ロウ、答えられるか……?」
 ロウが何も言おうとしないので、春樹は心配になって声をかけた。
「気分が悪いならムリしなくていんだぞ?」

それでも、ロウはしばらくして答えた。

「火だ……火で焼かれたんだ……」

ロウの声は、のどおくからなんとかしぼり出したようなか細いものだった。焦点しょうてんがあっているとは到底とうてい思えない視線が、テーブルの上をあてどなく彷徨ほうこうっている。ロウの顔は、本当に今にもしそうなほど青ざめていた。

「夢の中だと……おれは、女の子だった」

女の子だって? どういうことなんだ、ロウ?

春樹はおどろきのあまり、大声をだしてしまった。ロウが自分と同じ夢を見ていたものだとおもんでいたからだ。春樹だって、夢の中で見ず知らずの別人になって体を焼かれるわけだけど、少なくとも自分は女の子じゃなかった。

「君は夢の中で別人になっていて、体を焼かれている……女の子として? それって……」

ここでヒトヒラ先生が手を上げて春樹をし留めた。春樹は、ハッとなって屋台の椅子いすに座り直した。座り直してから、自分が無意識のうちに立ち上がっていたことに気がついた。

「続けてくれ」
 ヒトヒラ先生は言った。

おれは、ボロボロの服を来た連中になわでしばられて、火をつけられた。やめてくれとさけんでも、だれも助けてくれなかった。そして、おれの体が……女の子の体が燃えだして……」

ここで、ロウはブルッ体をふるわせた。自分の両かたかかえながらも、なんとか最後の言葉をしぼりだした。

「死んだ……夢のはずなのに、現実に起こったかのようだ……今だって、生きている実感がまったく持てない。むしろ……あんな苦しい思いをするくらいなら……死んでしまいたい気分だ」

春樹は、何も言わずにロウを見やった。

ほんとうなら、こんな風に言ってやりたかった。自分も同じ症状しょうじょうで苦しんだことがあって、ロウの気持ちはよく分かる、と。たとえ苦しくとも、本当に死ぬわけじゃないから気を持ち直すんだ、とも……でも今この場でそう伝えるのは、ロウを余計に混乱させそうな気がして、春樹は何も言えなかった。

ヒトヒラ先生も、なにやら考え事をしているようにだまっていた。

「そうか……」
 やがて先生は顔を上げて言った。
「やはり思いすごしではなかったか」

「さっき、先生はロウの見た悪夢のことを『シュオの夢』と呼びました」
 春樹は言った。
「シュオの夢とはいったい何なのですか?」

「私たちシュオの祖先が、かつて人間たちに殺された時の光景だ」
 ヒトヒラ先生は言った。
「時をえ、私たちはその時の有り様を夢として見るんだよ」

信じられない……とは言わなかった。春樹だって、赤の他人として殺される夢を一年以上も見続けてきたのだから。ただ、春樹はシュオなるものの子孫ではないはずで、その点がちがっていた。

「その夢は、シュオであれば、みんな見るものなのですか? 黒いとうの住民たちは、毎晩ロウのように苦しんでいるのですか?」

「まさか」
 ヒトヒラ先生は首をふった。
「夢を見るのは、おおむね十代の子どもに限られるし、子どもだからといって必ず見るわけでもない。というよりも、めったに見られるモノじゃないんだ。ロウのような症状しょうじょうが現れるのは極めてまれだ。そうだな……この夢を研究する者の中には、『選ばれし者の見る夢』と呼ぶ者もいる」

「えらばれしもの……どういう意味ですか?」

「夢を見たシュオは、ケモノの戦士になるんだ」
 ヒトヒラ先生は言った。
「悪夢は、戦士として生まれ変わる前兆だ」

「さて、朝食も済ませたことだし、私はそろそろ行かねば……」
 ヒトヒラ先生が立ち上がって言った。

「えっ?」
 春樹は顔をあげた。
 今しがた先生がとんでもないことを言ったおかげで、思考が数秒間止まっていたようだ。
「どこに行くんですか? だって、まだ話が……」

「もう診察しんさつの準備を始めなければ」
 ヒトヒラ先生は、春樹をさえぎって言った。
「他にもたくさんの患者かんじゃがいるからね」

「そんな! この状態のロウを放って行っちゃうんですか?」

「私にだって優先順位というものがある。ロウの場合、昼間は普段ふだんどおりに過ごせる。しかし、他の患者かんじゃはそうはいかない」

「でも……」

春樹はロウに目をやったが、ロウはなおもボンヤリしたままだった。ヒトヒラ先生がここにいることにも、話の途中とちゅうで帰ってしまうことにも、まったく関心がないようだ。

「ロウ、つらいだろうけど、いつもどおり過ごすんだ。悪夢を見ることは病気ではないんだよ」

病気ではない? そのひと言に春樹は憤慨ふんがいした。毎夜殺されるのがどんなにつらいことか先生にはわからないんだと、ロウの代わりに言ってやりたかった。でも、そんなふうに反論したところで得るものは何もないだろう。ヒトヒラ先生の言っていることに、間違まちがいはないのだから……

症状しょうじょうを楽にする薬を処方してあげよう」
 だまんだままの春樹とロウを見比べながら先生が言った。
「他では手に入らない特殊とくしゅな薬だ。病院の診療しんりょう時間が終わったあとに取りにおいで。その時なら、シュオの夢についてもう少しくわしく教えてあげられるよ」

春樹は、ロウの様子をちらりと見たが、相変わらず石のように固まったままだった。

「ありがとうございます」
 何も返事をしないロウの代わりに春樹が応えた。
ぼくが行ってもいいですか? この状態のロウを連れて歩き回るのは、やっぱり……」

「かまわないよ」

そう言うと、ヒトヒラ先生はニコリと笑ってその場から立ち去った。

結局ロウは、朝食に一口も手をつけられなかった。残ったおかゆは、すっかり水を吸いこんでグチョグチョだった。春樹は、屋台の店主にたのんで手付かずのげパンを紙に包んでもらうと、その包み紙とロウのかたとをかかえて部屋にもどった。


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