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{ 35: 夕闇の都市(2) }

{ 第1話 , 前回: 第34話 }

それから数日後、春樹は、ロウに連れられて「二十二階の街」を歩いていた。赤い目でいっぱいの街中を、だ。それは、春樹にとって、猛獣もうじゅうのいるおりの中で綱渡つなわたりをするくらい空恐そらおそろしいことだった。

「今日こそ仕事を手伝ってもらうぞ!」

そう言って、自分を外に連れ出そうとするロウに春樹はベッドにしがみついて抵抗ていこうした。にもかかわらず、結局、むりやり引っ張り出されてしまった。がちになりながら、しかし同時にキョロキョロ辺りを警戒けいかいしながら歩いている春樹の背中をロウが思い切りたたいた。

「案外なんとかなるじゃないか!」

「そりゃ……」
 春樹はゴホゴホと咳込せきこみながら言った。
「なんだかんだで、赤いものにも慣れてきたわけだし……」

「トマト作戦が成功したんだな。毎日、湯きしていためた甲斐かいがあったってもんだ」
 ロウは得意げに言った。
「どうだ? いったん外に出てしまえば、どうってことないだろ?」

「そうだね……でもやっぱりこわいよ。もっとはやく歩こう」

春樹は、行き先すらわかっていないくせに早足でロウの前に進み出た。

「ようやく元気が出てきたな」
 というロウの声が春樹の背中から聞こえた。

「こっちだ」

まもなくしてロウは、せまい路地に入った。そこからは、迷宮だった。

建てものにはさまれた路地が、おくまでびていた。路地というよりも、もはや隙間すきまと呼べるくらいせまい道だった。しかも、その小道は右に左にと分岐ぶんきして、途中とちゅうにいくつもの階段をはさみながら、延々とおくまで続いている。

考えてみれば、あたりまえだった。どんなにデタラメに大きくとも、「黒いとう」だってやっぱり建てものなのだ。その建てものの中に街を作るとなると、ビルやアパートはどうしてもギュウギュウめになってしまう。

路地には、住民が窓から投げ捨てたであろうゴミが散乱していた。排水はいすいが水たまりを作っている。上を見れば空調の室外機がモザイク模様をなし、電気ケーブルや水道管がつたのようにかべめぐっていた。この二十二階で初めて目覚めたとき、春樹はゴミ捨て場にいたわけだけど、あの場所も、思い返せばこのような路地だった。

こんな場所であっても、歩行者が少ないわけではない。表通りと同じく、路地にも小さな食堂や雑貨屋がひしめき、おかげで度々だれかとすれちがった。そのたびに相手とかたがぶつかりそうにもなった。ここらは乾物かんぶつ屋も多いようで、ホタテの貝柱を濃縮のうしゅくしたような強烈きょうれつにおいがあたりにめていた。

春樹は、道行く歩行者と、店頭で仁王立ちして客を待ち受ける店主たちが、自分の顔をのぞきんでいるような気がした。ぼくひとみの色が赤でないことに、ここの住民たちは気づくだろうか? もしも気づいてひとさわぎ起きたら、通報されるかもしれない。

通報……果たしてこの黒いとうに警察なるものが存在するのか? いや、警察ならまだマシだろう。万が一にも、動物の仮面をかぶった連中がやってきたらと思うと、ゾッとする。

目的地までまだしばらく歩くらしい。路地は長く、複雑で、自分がどこにいるのか、あっという間にわからなくなった。慣れた足取りでロウが進んでいくのに対し、春樹は、慣れない道をおっかなびっくりで進まなければならなかった。おまけに、グルグルに巻いた電線ケーブルを両わきかかえていたので、ただ歩くにしたって大変だった。先行くロウの背中を見失ったらどうなるのだろう、という考えが頭を何度もよぎった。ロウの部屋に帰る自信はもうなかった。

「今日はいったい何をするんだ?」

ずんずんすすむロウの背中に春樹は声を投げかけた。少しでもかれの気を引いて、置いてけぼりになるのを防ぎたかった。

「話してなかったかな?」
 ロウが背中しに言った。
「電気工事の仕事だよ。春樹はおれの助手だ」

「現場はどこなんだ?」

「このさきのダイセン地区にあるボロっちぃアパートだ。そこの住民が屋上に部屋を増設したから、電線を引っ張ってそこで電気を使えるようにするんだ」

「ペントハウスってわけか。ステキだね」

「ステキかどうかは知らんが、部屋に電気を通すのをすっかり忘れていたらしい。工事が終わった後に気づいたんだとよ。この時期でも、冷房れいぼう扇風機せんぷうきがつかにゃ暑くてとても住めたもんじゃない。先方からは『さっさと工事をしてくれ』とのお達しだ」

ダイセン地区の現場につくと、そこはロウのアパートに負けずおとらずの粗末そまつな建てものだった。入り口の階段にはスナック菓子がしの空きぶくろが落ちているし、建物内のかべに設置してある各部屋の郵便ポストは、半分くらいこわれていた。廊下ろうかもホコリとシミだらけだ。まさにボロアパートの面目躍如やくじょといったところか。

ホコリくさい上に、せまっ苦しい。この点も、やはりロウの住居とおなじだった。郵便ポストがさっと数えられないほどかべにギッシリなのを見ると、たくさんの部屋が建物にギッシリまっているのだろう。

「ここは何階建てなんだ?」

春樹はアパートを見上げながらたずねた。まるで鉛筆えんぴつをおっ立てたような細い建てもので、せまっ苦しさが目につく一方で、高さはそれなりだ。

「さぁね」
 ロウは、かたをすくめてみせた。
「たぶん十階建てじゃないか? ダイセンは古い地区だから、それくらいの建物がほとんどだ」

とうの二十二階に街があって、その街に十階建て屋上ペントハウス付きのアパートがあるわけか。なかなかややこしいじゃないか」

ロウがアパートのおくに進んでいった。春樹も両わきしたの電線ケーブルをかたの上にかかえ直してロウに続いた。

配電盤はいでんばんはどこにあるんだ?」
 春樹はたずねた。

おくだ」
 ロウは答えた。

「一階にあるのかい」

「そうだ。さっさとこっちに来い」

「ここから屋上まで電線をばすわけか……たいへんそうだ」

配電盤はいでんばんとは、発電所から電気を受け取る機械で、アパートの各部屋の電気は、その配電盤はいでんばんが供給している。春樹の初仕事は、配電盤はいでんばんからペントハウスまで電線をばす工事というわけだ。

ロウに案内され、現場の配電盤はいでんばん目撃もくげきした春樹は、「こいつは大変なんてものじゃないぞ」と思わずこぼしそうになった。ビル設備マニアの春樹のあずかり知る配電盤はいでんばんとは似ても似つかない代物だったからだ。

なんとなればかべ一面に電線のケーブルがめぐらされている。しかもどのケーブルをとっても、こんがらがっていないものがない。細いへびか極太のミミズが無数にからまり、のたくっているように見えた。あまりにもきたないし、古い。春樹の目測では、五〇年ほど前からし、し工事してきたようなケーブルの混線具合だった。徹頭徹尾てっとうてつびザツな仕事で、しかもほこりだらけで、いつ何時ここから電気がれて火災が起こっても不思議じゃない。

「さて、客の部屋に新しい電線を通すわけだが……」
 ロウは言った。
「どこから電気をちょうだいしようかね。最近、このアパートに空き室が出たはずなんだ。そいつんちの電線ひっこぬいて、おれたちの新しい電線とえるのが一番はやいんだが……」

「それは、いまぼくたちが決めなきゃならないことなのか?」
 春樹は言った。

「なにしろ仕事なもんでな」

「いや、ぼくが言いたいのは……その、なんというか、工事計画的なものはないのかってことだ」

「部屋に電気を通すだけだぞ。なんで計画が必要なんだ?」

「せめて、配線図はないのか?」

「あるかもしれないが、おれは持ってないな」

「いいのか? 無許可で工事して?」

「住民の依頼いらいで仕事をしているんだから、許可ならあるさ」

「そうじゃなくてさ……もっとこう……ビルの管理会社とか、施工しこう会社とか、電力会社とか、色々話を通すもんじゃないのか?」

「は? なんで?」

ロウは、心底不思議そうな表情で春樹を見ていた。ビル設備管理マニアで、高校生ながら電気設備にもくわしい春樹にとって、いたって常識的な提言をしたつもりだった。でもロウの顔を見る限り、このとうではどうもそういうわけではないようだ。

「なんでもない。気にしないでくれ」
 春樹は言った。

「さっさと工事をすませるぞ」
 ロウは気を取り直して言った。
「午後から別の仕事があるからな。昨日からフグタのばあさんちの部屋の電気がつかなくなったらしい。どうせだれかが勝手に工事をして、ばあさんちの電線をっこいたんだろうよ」


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