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{ 6: カンパニー・タワー(2) }

{ 第1話 , 前回: 第5話 }

ちょうど昼休みの終わったころだからだろう……カンパニーのロビーは、受付の順番待ちをしている人たちでごった返していた。レセプションデスクの行列に並んでいる間、春樹はだだっ広いそのロビーをただながめて過ごさなければならなかった。だってリク勇太もワン由比も、ぼくと話すことに興味がないようだし、秋人だって明日香あすかとのおしゃべりに夢中になっていた。ロビーをながめる以外、いったい何をしろというのだ? 

ロビー上層のけは、首が痛くなるほど見上げなければならなかった。なんとまぁ天井てんじょうの高いこと……ちょっと大げさかさもしれないけど、五百メートルくらいあるんじゃないか? なにしろ高すぎて、てっぺんがかすんで見えるのだ。

ロビーから上は、すべてアジア・エネルギー・カンパニーの施設しせつだそうな。スーツ姿の人たちが、けを囲むガラス張りのフロアで働いている姿がここからでも見えた。中には、コーヒーのタンブラー片手に窓からロビーを見下ろしている者もいた。

たくさんのわた廊下ろうかけの間にかっていた。がけの上の吊橋つりばしさながらで、高所恐怖症きょうふしょうの人にとってたまったもんじゃないだろう。それがあやとりの糸のように交差し、社員たちがせわしなく行き来している。

「本日はアジア・エネルギー・カンパニーにおしいただき、まことにありがとうございます……」
 ふいに場内アナウンスが鳴ったので、春樹はけから顔をもどした。
「カンパニーの受付では、来訪者のみなさまに身分証の提示をお願いしています。また、オフィスへ上がる際は手荷物の検査をしますので、予めご了承りょうしょうください。安全対策にご協力いただき、ありがとうございます……」

「身分証だって?」
 春樹は声をあげた。

そういえば、前に来た時も受付で身分証を見せた記憶きおくがある。もちろん、シャン春樹、ぼく自身の身分証だ。一年も前のことなのですっかり忘れていた。

「どうするんだ、秋人?」

「おっと、そうだった!」
 秋人はあわてて言った。
「こいつを忘れていた。ほら、春樹……」

秋人はポケットをまさぐると、その中からカードを一枚取りだした。学生証カードだった。

都立中央高等学校進学科 一年
ヤガン晴夫

春樹は学生証をまじまじとながめた。名前の他に、金属フレームのメガネをかけた男子生徒の顔写真が印刷されていた。

「学生証を借りといたんだ」
 秋人は言った。
「今からおまえの名前はヤガン晴夫だ。まちがえるなよ?」

「ぜんぜんぼくと似てないぞ?」

春樹は目を細めて学生証を見たけれど、どこをどう見たところで、赤の他人がぼくに見えることはない。

大丈夫だいじょうぶさ。どっちもかみは黒いし、メガネをかけてるところなんてそっくりだ」
 秋人はった。

「そんなヤツ、ごまんといるぞ! 目とか、鼻とか、もっと肝心かんじんな部分で似ているところはないのか?」

「いいから堂々としていろ、晴夫。ニコニコ笑って胸を張ってれば、だれもあやしまないさ」

「おまえの言うことを聞いたぼくがバカだった……」

秋人のいい加減さにはあきかえるばかりだったけど、それ以上言い合っているヒマもなかった。すでにさんざん待たされたというのに、こうなると行列がはけるのは早かった。春樹たちの前にいた二人連れのアメリカ人(この暑いのにちゃんとスーツを着ている)が、受付をすませて西側のエレベーターホールに向かうと、春樹たちの番がきた。

「こんにちは。都立中央高校のシャンです」
 秋人が代表して言った。

「カンパニーの見学ですね」
 頭の上にまげを結んでいる受付の女性がにっこり微笑ほほえんだ。
「お待ちしていました。みなさまの学生証をお見せください」

秋人たちが順番に学生証をわたすのをながめながら、ぼくのことを都合よく忘れてくれないだろうかと春樹は思った。でも、デスクの横にあった植木鉢うえきばちに急に目をうばわれたフリをしている春樹からまげの女性は目をはなさなかった。

「学生証をお願いします」

「忘れちゃいました、帰ります」とよっぽど言いたかったけど、秋人がわき腹を小突こづいてくるものだから、春樹は観念してヤガン晴夫の学生証をわたした。

まげの受付は、学生証を確認してから、春樹の顔を見た。春樹はにっこり微笑ほほえんだ。まげは、ふたたび学生証に目を落とした。春樹は笑顔をくずさず、直立不動のまま待った。まげの視線は動かず、学生証の上に置いたままだった。やっぱりバレたようだ。春樹の心臓はバクバクだった。ひたいからあせが出てくる。それからしばらくしてまげが何か話し始めたけど、春樹の耳に聞こえるのは、自分の心臓の音だけだった。

「……さん……ヤガンさん……?」
 直立不動のまま固まっている春樹に対し、まげが声を張った。
ヤガンさんっ?

はいっ!
 そういえば、ぼくの名前はヤガン晴夫だったと思い出し、春樹は大声で返事をした。
「な、なにかまずいことでも?」

「いえ……」
 まげはおどろいた様子だったが、すぐに冷静さをもどした。
「ですからお手元のカードをお取りください」

「入館証 ヤガン晴夫 様」と印字してあるストラップ付きのカードが、いつのまにかデスクの上に置いてあった。春樹はあわててストラップのひもをつかんだ。

「おわたししたのは、カンパニーの入館証です」
 まげが春樹たち全員に向きなおって説明した。
「入館証は、常時首から下げておいてください。オフィスに入室する際は、入館証が必要になるのでご注意ください。本日は東とうの見学でございます。みなさまから見て左手のエレベーターにご乗車になって、七十三階までおしください。案内人がお待ちしています」

「ありがとうございます」
 入館証のストラップを首に通してから秋人がお礼を言った。
「さぁ、行こうか」

春樹たちは、東とうのエレベータ・ホールに早足で向かった。

カンパニー・オフィスは、東とうと西とうの二つに別れていた。だから、東とうのエレベーターホールと西とうのエレベーターホールが、レセプション・デスクをはさんでロビーの両側にある。両方ともセキュリティ・ゲートが備え付けてあって、カンパニーの関係者も来訪者も、入館証のカードをセンサーにかざしてからそのゲートをくぐっていた。

それだけじゃない。東西どちらのホールにもたくさんの警備員がいたし、空港のような手荷物検査だってひかえていた。もしゲート内の金属探知機が反応しようものなら、警備員にカバンの中身をまるごとひっくり返される光景を、春樹は一年前にも見ていた。

一難去ってまた一難、次は東とうのエレベーター・ホールの前で荷物検査というわけだ。もちろん入館証を持っている春樹の素性がこれ以上さぐられるわけではないのだけど、それでも不当な侵入しんにゅうの後ろめたさから春樹は緊張きんちょうしていた。

「おい、そのあせを止めろ」
 秋人が言った。
「せっかく受付を乗り切ったってのに、今度こそあやしまれるぞ?」

「もう手遅ておくれだよ」
 春樹は言った。
ぼくあせっかきで、一度出始めたら止まらないんだ」

「まったく、最近また太ったんじゃないか、晴夫さんよ?」

たしかに春樹は運動不足で、秋人に比べればちょっぴり太り気味かもしれないけど(身長は秋人の方が七センチも高いのに、体重は、いったいどういうわけか春樹の方がずっと重いのだ)、ことあせに関してはそれが原因じゃない。あの悪夢のせいだ。処刑しょけいされる夢にうなされ、秋人が「こいつぁ滝行たきぎょうあとか?」と言うくらい寝汗ねあせをかくようになってから、春樹は空調の効いた屋内でも、ちょっとしたことで大量のあせをかく。とくに緊張きんちょうしている時なんか手もつけられない。

「どうやったら緊張きんちょうをほぐせる?」
 秋人はたずねた。

「どうでもいい話をすれば、気はまぎれると思う」
 春樹はリュックサックからタオルを出しながら答えた。

鈴子すずこさんのズロースの話とか?」

「やめてくれ」
 春樹はタオルで顔をふきながら話題をかえた。
「カンパニーの警備は、どうしてこんなに厳重なんだろう?」

平日昼すぎの訪問者は多く、それでも時間をかけて手荷物検査をしているものだから、ゲート前もたくさんの人が並んでいた。ゲートはあわせて三つあり、一番左側が社員専用のゲート、残りのふたつが春樹たちのような訪問者用のゲートだった。リク勇太、ワン由比、ステファン明日香あすかの三人は右側のゲートの列に、春樹と秋人は真ん中の列に並んで検査の順番を待っていた。

「そりゃ、決まってるさ」
 秋人は言った。
「テロ対策だ」

「テロなんて起こったことないのに……」
 春樹は、行列にため息を付きながら言った。

「起こらないようにしてるから起こってないんじゃないか?」

「そう言われれば、まぁ、そうかもしれないけどさ……でもさ、いったいだれがカンパニーでテロを起こすんだ?」

とうの連中じゃないか? 黒いとう潜伏せんぷくしているテロリストたちさ」

「はあ……」
 春樹は、またため息をついた。
「そういえば、秋人は『テロリスト派』だったか。ほんとうにそんなのがいると思っているのか?」

「なら、『バケモノ派』の春樹は、あそこにバケモノがいるってまだ信じているのか? いまだに母さんの『とうからオバケがやってくるぞ!』がこわいんだろ?」

「なんだって?」
 春樹はカチンとなった。

「おっと、列が進んだぞ」
 秋人が春樹をさえぎって言った。
「歩け、歩け」

「まったく……」
 まだ文句を言っている途中とちゅうだったけど、秋人にされてしぶしぶ春樹は前に進んだ。

「まぁテロリストだろうが、バケモノだろうが、たいした問題じゃないさ。ゲートの向こうを見てみろよ」

秋人が言っているのは、訪問者の荷物検査や監視かんしをしている五人の警備員たちのことだ。たしかにかれらは警備員なのだろうけれど、そう呼ぶにしては物々しい雰囲気ふんいきだった。というよりも、おっかなかった。

みんな若いし、背が高い。かみもきっちりかりこまれているし、行列を見るときの視線はするどかった。武器こそ持っていないけれど、警備員と言うよりもまるで軍人だ。かれらが身につけている黒に近い紺色こんいろのチョッキは異様にごつく、いかにもその中に武器をかくしていそうだった。

「あいつら、ただの警備員じゃない。『治安隊』の隊員だ」
 秋人は言った。
「カンパニーの私設戦闘せんとう員で、対テロの特殊とくしゅ部隊だ。みんな強そうだろう?」

「うん、そうだね……」
 春樹はうなずいた。

普段ふだんはカンパニーの警備をしているし、要人の護衛だってやっている。毎朝父さんを車でむかえに来て、このカンパニーまで送り届けているのは、あいつらなんだ」

「へぇ……」

春樹は、顔を上げてそちらを見た。治安隊の隊員も、春樹たちを見ていた。にらまれているような気がして、春樹はあわてて視線をそらした。まさかとは思うけど、ぼくがヤガン晴夫でないことがバレてしまったのか? 

「まぁ、心配しなさんな」
 秋人は言った。
「テロリストが来ようが、バケモノが来ようが、治安隊の手にかかればあっという間に血祭りさ」

「ち、血祭りはいやだなぁ……」

秋人は、春樹が汗だらけの理由をもう忘れてしまったようだ。これからカンパニーに不当に侵入しようとしているのは、当の春樹だということを……


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