{ 8: ユウナ博士 }
白衣を着た男が、子どもように笑いながら春樹たちを出迎えた。
「やあやあ、よく来てくれました! 待っていましたよ」
大人なのに……それも、いい年した大人なのに、こうも屈託もない笑顔が出てくるのかと春樹はおどろいた。でも、秋人や他の三人の驚嘆ぶりに比べれば、春樹のおどろきなどモノの数でなかった。
「う、うそだろ……」
と、リク勇太がこぼした。
「遅くなりました」
エレベータから降りると、秋人があわてて前に進み出た。
「時間どおりですよ」
男はにこやかに言った。
「なにかトラブルでもあったのかな?」
「いえ、たいしたことじゃ……班のひとりが荷物検査で質問されていただけです」
秋人は答えた。
「あの、失礼ですが……もしかして、ユウナ博士ですか?」
「いかにも」
その質問を待っていたとばかりに男はうなずいた。
「私がユウナ進です。カンパニー開発部門の統括をしています。君はシャン秋人君かな?」
「は、はい!」
秋人は、ユウナという男の差し出した右手に握手で応えながら返事をした。
秋人の声が少し上ずっているのに春樹は気づいた。めずらしく緊張しているようだ。
「おいおい、本物のユウナ博士かよ……」
リク勇太が言った。
「だれ? 知ってる人?」
春樹は、声を落としてたずねた。
「はぁ?」
とたんに勇太が眉をひそめた。
「あんた、マジで言ってるのか?」
「ユウナ博士よ、ユウナ博士」
ワン由比もヒソヒソ声で口をはさんできた。
「有名人よ。名前くらい聞いたことないの?」
「初耳だけど……」
「うそでしょ?」
由比はおどろいた、というよりも呆れていた。
「いいか、よく聞け」
勇太は言った。
「ユウナ博士はカンパニーを世界有数の企業に育て上げ、このタワーを建てた張本人だ」
「へぇ」
「すごい人なんだから」
由比が引き継いだ。
「それに、秋人のお父さんの上司なんだし、失礼のないようにね。というよりも、あなた、黙っていたほうがいいかも」
「ふたりともずいぶん詳しんだね?」
「あたりまえだ」
勇太はうなずいた。
「将来のことを考えれば、実力者の顔くらい覚えておかなくちゃな。ユウナ博士に気に入られたら、カンパニーに就職できるぞ? 人生安泰だ」
「き、気をつけるよ……」
春樹はできるだけ神妙になってうなずいた。
ヒソヒソ話を切り上げると、勇太たちも前に進んで、順繰りにユウナ博士と握手をした。
ユウナ博士……生意気盛りの高校生がこうも畏まるのだから、ほんとうにすごい人なのだろう。正直なところ、そんな風には見えないのだけど。
なにより博士は若かった。父さんの上司なのだから、少なくとも四十歳は超えているはずだけど、十歳くらいサバをよんだってバレそうにない。いや……へたすれば、まだ二十代でも通用するほど若く見える。博士は、春樹の手もガッチリ握って嬉しそうに上下させた。ボサボサの髪の下にあるウェリントンの眼鏡がとても似合っていると春樹は思った。
「まさか、博士みずから案内してくれるんですか?」
秋人は言った。
「そうだよ」
「光栄です! お忙しいのに……」
「ヒマだから付き合うわけではないのだけど、実のところ仕事があまりなくてね」
ユウナ博士は、照れくさそうに言った。
「職場に優秀な人が多いと、僕はヒマになるのさ。とくに君のお父さんには世話になっている。部長の僕としては、息子さんの企業見学の案内くらい買ってでなくちゃね」
「恐縮です」
秋人は言った。
「ちなみに、父はどこに……?」
「シャン博士は顔を出せないそうだ」
「そうですか。残念ですが、仕事ならしかたないですね」
いかにもホッとしたような顔つきで秋人は言った。春樹も胸をなでおろした。
◇
ユウナ博士に案内されて春樹たちが行き着いたのは、とにかく巨大な空間だった。そのデタラメな大きさにみんな唖然となり、「うわぁ、ひろい」というなんとも締まりのない感想をもらすのが精一杯だった。
「ビ……ビルの中にこんな場所があるだなんて」
春樹は言った。
「サッカーと野球を同時にできそうだな……」
秋人は体をブルッと震わせながら言った。
このドーム状の大空間は、地下の駐車場に来たかのように肌寒く、うす暗かった。それに、むき出しのコンクリートの匂いで満ちている。
「ここは?」
明日香が、はるか頭上の天井を見上げながら言った。
「『自然融合エネルギー』の発電施設さ」
ユウナ博士が言った。
発電施設は、九本のコンクリートの柱に支えられた直方体の空間だった。柱の一本一本は、へたすれば小型のテナントビルに匹敵するほどの大きさで、春樹はこの部屋の中にもうひとつ別の建てものを建てているんじゃないかとさえ思った。
「みなも知っての通り、カンパニーの核となる事業は発電だ」
博士は続けた。
「我々は世界にさきがけ、自然融合というクリーンで、安全で、かつ莫大な電力を生み出す技術を開発した。電力の供給先はこの国にとどまることなく、アジア各国も対象としている。我々の事業は、まさに世界を支えているというわけだ」
「この部屋にずらりと並んでいるのが、発電機ってわけですか?」
秋人はたずねた。
巨大な炉のような機械が、柱の間にいくつも設置されていた。
「そのとおり」
ユウナ博士は答えた。
「ただし発電設備のほんの一部でしかない。これらは『自然融合炉』というんだ」
春樹たちは、目の前にある得体のしれない機械……博士が自然融合炉と呼んだ機械に目をうばわれていた。機械というよりも、黒くて巨大な寸胴鍋といったほうがいいかもしれない。直径はゆうに十メートルを超え、周りを一周するだけでも三十秒くらいかかりそうな大鍋である。高さだってビルのフロア二階分はあり、ちょっとした家のようにすら見えた。そして、このドームの中に同じものが等間隔で延々と並んでいるものだから、なかなかに壮観である。ざっと数えただけでも五十基はありそうだ。
「自然融合エネルギーのいいところは、高い効率性にある」
ユウナ博士は続けた。
「みなここは広いと言うけれど、大都市に電力を送るとなると、本来はもっと大きな発電所が必要になる。たとえば水力発電なら山にダムを作るわけだけど、それに比べればビルのフロアなんて猫のヒタイくらいのものだろ?」
たしかに、と秋人たちはうなずいた。リク勇太なんて、そんな話ぜったいに興味ないはずなのに、バネでも仕込んでいるのかというくらい頭を上下に降っていた。
「加えて我々カンパニーは、他の発電手法では簡単に解決できなかった大きな問題も解決した。これが最も重要なことなんだけど、わかる人はいるかな?」
春樹たちの中からすっと手があがった。秋人だった。
「電力需要と供給のバランスというやつでしょうか? 自然融合炉は、発電量の調整に非常にすぐれ、バランスがいいと聞きました」
「正解だ!」
博士が手を叩いた。
「優秀だね。シャン博士が、息子自慢をするだけのことはある」
「いえ……」
秋人は申し訳なさそうに首をふった。
「ここに来る前に読んだカンパニーのパンフレットにたまたま書いてあっただけで……実はよくわかっていないんです」
「それに正直だ」
それでも博士は感心したようにうなずいた。
「発電事業の要は、必要な電力の量を算出し、そのとおりに送ることなんだ。必要な時に、必要な分だけ。多すぎてもダメ、少なすぎてもダメ。なぜそうなのか、わかる者はいるかな?」
シーンとなった。
「君はどうだ?」
博士は勇太を見てたずねた。
「わかりません……」
博士にアピールするチャンスだっただけに、勇太はくやしそうに首をふった。
博士はそのとなりにも目配せをした。明日香も由比も肩をすくめるばかりだった。
「わかる人はいるかな? 都立中央高校の生徒は優秀だときているぞ?」
「周波数変動を防ぐため……ですか?」
答えたのは、春樹だった。ユウナ博士の顔がこちらに向いた。春樹は、博士が初めて自分を見たような気がした。
「君は? えぇと、もう一度名前を聞いてもいいかな」
「はい、シャン・ハッ……フルパっフ!」
秋人が落とし物をひろうフリをして思い切り足を踏んづけてきたので、春樹は奇声をあげた。
「ハッフ……え?」
「ヤ、ヤガン晴夫です!」
春樹は慌てて言い直した。
「くわしく説明できるかな、晴夫君?」
「はい」
春樹はうなずき、颯爽と言った。
「電流の周波数は、発電機における発電量と電力消費量のバランス、すなわち需要と供給のバランスで決まります。周波数変動は、その電力消費量に変化に対し、発電量をうまく調整できなかったときに発生します。周波数の変化は、周囲のさまざまな電気系統に影響をあたえ、最悪、停電のような事故につながります。近年だとニューヨークの大規模停電がその事例でしょうか……」
「そのとおりだ!」
ユウナ博士は興奮して声をあげた。
「電流の周波数を常に一定に保つことが、安定した電力供給の肝なんだ。そして、この自然融合発電のメリットは……」
ユウナ博士は、真っ黒な自然融合炉を見上げた。
「たった一基の発電ユニットでも、一国の電力をまかなえるほど発電できるにもかかわらず、細やかな出力調整を光のような応答速度で行える点にある。自然融合炉のスイッチをポチッと押すだけで、シンガポールへの送電量が一瞬であがるんだ」
博士は、それこそ自分の子どもを自慢するかのようにイキイキとした様子で語った。
「感慨ぶかいですね」
春樹はうなずいた。
「すばらしい、よく勉強しているね。カンパニーで就職活動をするときは、面接官に今日のことを話すといい」
ユウナ博士は手を叩いて喜んだ。
「秋人、おまえの兄貴は何者だ?」
リク勇太は、こそこそしながらたずねた。
「言っただろ、ビル設備マニアだって」
秋人は誇らしげに答えた。
「電気・水道・ガスで春樹の右に出る高校生はいないよ」
「ユウナ博士、質問してもいいですか?」
明日香が手を上げて言った。
「もちろん、僕に答えられることなら何だって答えるよ」
ユウナ博士は言った。
「あ、わからないことがあるわけじゃないよ。僕はここのことをすべて知っている。でも企業秘密は教えられないってことさ」
「あれはなんのためにあるんですか?」
明日香は、自然融合炉のてっぺん辺りを指さして言った。そこには、金網の渡り廊下があった。渡り廊下は、春樹たちの頭上を縦横無尽に走っていて、すべての炉と炉の間を橋渡ししていた。
「あれは、作業用の通路だよ」
博士は言った。
「機械の点検や、発電の材料を炉に投入する時に使う」
「上からも見学できますか?」
「残念だけど、あの渡り廊下は作業員以外立ち入り禁止なんだ。発電中に近づくのはあぶないし、上はここよりもずっと暑いんだ。とくにあの配管は触っただけでも大火傷するから、ぜったいに近づいちゃいけないよ。といっても、ここからじゃ手は届かないけどね」
博士が言っているのは、頭上の鋼鉄のパイプのことだろう。すべての炉のてっぺんからたくさんのパイプが伸びていて、目をよく凝らしてみれば、それらが天井で合流し、蜘蛛の巣のように複雑な配管を巡らせていた。おそらく炉で発生した蒸気かガスを発電機のタービンに送るためのパイプなのだろう、と春樹は思った。
「あれはなんですか?」
由比が炉の中腹を差してたずねた。
「あの丸いやつです」
春樹はまた上を向いた。いままで気づかなかったけど、炉の壁のまんなかあたりに円形のフタのようなものがついていた。
「点検用の窓だね」
あそこから炉の中の様子を確認するんだ。
「ユウナ博士は答えた」
確認するもなにも、窓は高さ五メートルくらいのところにあって、とても中をのぞけそうにない。それにきっちりフタもされている。点検のときは、ハシゴ付きの作業台でも持ってくるのだろうか……
「どうしてあんな高いとろこにあるんですか?」
由比はまたたずねた。
「ひとつは、あの高さが点検するのに都合がいいからだ」
博士は答えた。
「それと、部外者が勝手に中をのぞけないようにしている」
「つまり中をみることは……」
「炉の中は企業秘密だ」
「そもそものエネルギーの供給源はなんなんですか?」
つぎは秋人のたずねる番だった。
「水力発電なら水、火力発電なら石油や石炭。なら自然融合発電は?」
「自然だ」
博士は答えた。
「具体的には?」
「企業秘密だ」
「ありがとうございました」