{ 49: 変電所 }

{ 第1話 , 前回: 第48話 }

ロウの部屋に戻もどると、炒いため油と香辛料こうしんりょうの匂においが春樹を出迎でむかえた。

食卓しょくたく……と呼ぶにしては、あまりに小ぶりな折りたたみ式の丸机には、ソース味に炒いためた菜っ葉と、魚肉団子の揚あげものとが湯気を立てていた。ロウは、コンロの火を消すと、今しがた調理していた炒いメシを鍋なべから大皿へと盛った。春樹のお腹がギュルギュルと鳴った。

「遅おそかったな？　ちょうど、晩メシの準備ができたところだ」
　何ごともなかったかのように、ロウが元気に言った。

「もう大丈夫だいじょうぶなのか？」
　春樹は、ロウの様子に驚おどろいて言った。

「あぁ！　先生の言ったとおり病気じゃないからな！　おい、そんな所に突つっ立ってないで、さっさと食おうぜ」

春樹は、ロウ特製の料理を半ば黄ばんでいる小皿に取り分けてから、ベッドの上にあぐらをかいた。椅子いすはない（正確には、椅子いすを置ける場所がない）ので、春樹たちはいつも布団の上で食事をしていた。口の周りが油分ですっかりベタベタになったころ、春樹は、ヒトヒラ先生の薬をロウに手渡てわたし、それからミドさんの話をした。

「あのババァのとこに行けってか？」
　開口一番、ロウが吐はき捨てるように言った。
「うげえ、やなこった！」

「そういうわけにはいかないだろう？」
　自分の養母に対するロウの口の聞き方に多少面食らいながらも春樹は言った。
「昼はともかく、夜はだれかの世話になったほうがいい。ロウは、他に家族がいないんだろう？」

「天涯孤独てんがいこどくってわけじゃないぞ？　俺おれには、兄ちゃんがいるからな」
　ロウは言った。
「イッショウとニショウの兄貴たちのことじゃないぞ。血を分けた実の兄ちゃんだ。俺おれが小さかった頃ころに、父ちゃんと母ちゃんが病気で死んで、俺おれたちは兄弟でいっしょに孤児こじになったんだ」

「そうなの？　じゃぁ、お兄さんは今どこに……？」

「さぁ。この家を出たっきり一度も会ってないからな」

春樹は、ふいに顔をあげた。

「お察しのとおり、上のベッドは、もともと兄ちゃんが使ってたんだ。働ける年齢ねんれいになってから、俺おれたちはこの家で一緒いっしょに暮らしていた。でも、ここを出ていってしまったんだ」

「どうしてお兄さんは、その……」

「ハイタだよ。俺おれの兄ちゃんの名前はハイタだ」

「ハイタは、どうしてここを出ていってしまったんだい？」

「この街が大嫌だいきらいだったからさ。二十二階の街だけじゃない。ハイタはずっと、塔とうを出たいと言っていた。だから俺おれがひとりでも生きていけるとわかったら、その足で出ていってしまったのさ。もう二年くらい前になるかな……？　今となっちゃどこにいるかも分からんが、もしかしたら人間たちに紛まぎれて東京で暮らしているのかもな。春樹が、俺おれたちシュオに紛まぎれ込こんでいるようにさ」

「そうか……ロウにもいろいろあったんだな」

「十四年間も生きてりゃ、いろいろあるさ」

「十四！」
　春樹は声をあげた。
「ロウは、十四歳さいなのか？」

これまでロウに年齢ねんれいを尋たずねたことはなく、同い年か、もしくはひとつ上くらいだろうと勝手に思おもい込こんでいた。でも、まさか三つも年下の子の家に居候し、これまでずっと世話になっていたとは。

「それがどうしたよ？」
　ロウは言った。

「いや、なんでもない……」
　春樹は気を取り直して言った。
「話を戻もどそう。ミドさんだ。下の階の街に暮らしているんだって？　ヒトヒラ先生の言ったとおり、そこで世話になったほうがいいと思う」

「でもなぁ……あのババァのとこに行くのはなぁ……」
　なおもロウはためらっていた。
「春樹、俺おれ、考えたんだけどよ……あの夢のことを恐おそれる必要は、もうないんだ」

「どういうことだい？」

「俺おれは、金輪際、眠ねむらないことにする。そうすれば、夢を見ないで済むだろ？」

春樹は、ロウがさっきからずっと脳天気な理由がわかった。

「それはムリだよ。僕ぼくの経験上……」

「経験？」

「いや、ヒトヒラ先生から聞いた話だよ」
　春樹はあわてて言い直した。
「ずっと起きていることは不可能だ。夢がどんなに恐おそろしくても、眠気ねむけに逆らうことはできない。むしろ夜に眠ねむらないと、余計に辛つらくなるんだ」

「そうか……」
　ロウは、まだ食べかけの皿を食卓しょくたくの上に置いた。
「そりゃそうだよな。行くっきゃないか。親方連にたのんで、二十一階の仕事を回してもらわないとなぁ。春樹は、どうするんだ？」

「僕ぼくもいっしょに行くよ。ロウをミドさんのところまで送り届ける。それからは……その……」

「おわかれだな」
　ロウは言った。
「春樹は、塔とうから脱出だっしゅつするんだものな。でも、問題は大階段だ。俺おれはともかく、春樹が検問を突破とっぱする方法を考えないと……もう一度、火葬かそう屋のフリをしていくか？」

「やめておくよ」
　春樹は首をふった。
「あのローブを着て歩くのは危険だ。火葬かそう屋に対する住民たちの恐おそれを煽あおるのは、とてもまずいことだ。先生の話を聞いて、そう思ったんだ」

「ならどうするよ？　今は取とり締しまりがキツくなってる。ニショウの兄貴たちが、例の探窟*屋を探しているからな。大階段での検問は、春樹じゃ通過できないぜ？」

「他にも道はある」
　春樹は言った。
「隠かくし階段のある場所なら見つけられる……いや、見つける方法を見つけたかもしれないんだ」