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月面ラジオ {60 : 廃墟の船 }

あらすじ:月美は、木土往還宇宙船の完成式典に(無断で)参加していた。

{ 第1章, 前回: 第59章 }


あまりの寒さに目がさめた。あらためて布団にくるまったけど、異常なことが起こっていることに気がついて、月美は体を起こした。あたりは真っ暗だった。ここがどこなのかわからなかったけど、医務室で寝ていたことをしばらくして思い出した。非常灯と思わしきオレンジ色の光を除いて、医務室の灯りは消えていた。来た時と同じで、だれの姿もなかった。

静かだった。ホラー映画よろしく、深夜の病院さながらに。

「さむい……」

月美は身震いしながらベッドを這い出た。宙に投げっぱなしだったグローブを見つけて手にはめ直した。それから扉の前に立った。いつもなら自動で開くはずなのに、扉はピクリとも動かなかった。

月美はふりかえって医務室を見た。なんとかして人影を見つけようとしたけど、部屋にいるのは間違いなく月美だけだった。不安が大波のように押しよせた。まず疑ったのは、船の生命維持装置の故障だった。息が真っ白になるくらい寒いのだ。体がだるく、震えがとまらない。気圧も下がっているようだ。おまけに灯りも消えている。

「誰かいませんか!」
 月美はたまらず声をあげた。
「シャマル先生! マーフィー先生! 返事をしてください。」

返事はなかった。

落ち着くんだと、自分に言い聞かせた。生命維持装置がほんとうに故障していたら、そもそも目を覚ますことはなかったはずだ。いまごろ布団の中で冷凍マグロみたいにカチンコチンになっていただろう。でも、医務室が大型冷蔵庫と化しているのを鑑みれば、今が異常事態なのはまちがいない。

最悪の事態が起きているのかもしれない。火事や空気漏れのような事故が発生して、月美だけが避難しそこね、船に取り残されている……そんな事態だ。でも、事故が起きたのなら避難指示のアナウンスと警報が大音量で鳴っているはずなのに……

「粗茶! 聞こえるか? 姿を見せてくれ。」

しばらく待っても音沙汰はなかった。いよいよまずいかもしれない。ネットにつながらないとなれば、助けを呼ぶこともできない。こんな状況となっては、粗茶二号のあの中年声でさえ心の拠り所だったのに。

「なんとかしないと! こんなところにいたら本当に死んでしまう。」

まずはこの寒さだ。毛布をすぐに探した方がいいだろう。医務室なら救命用の毛布があるはずだ。布団でも寒さはしのげるけど、ベッドに固定されているし、持ち運びできる毛布であれば、あとで役に立つかもしれない。厚めの靴下も欲しかったけど、はたして医務室に置いてあるだろうか……

毛布を探し始めた時、月美は思ったほど寒くないことに気がついた。いや、むしろ温かいくらいだった。

「どうしたんだ、急に?」

部屋の気温が上昇したわけじゃない。あたりは暗いままだし、呼気はあっという間に白く凝結する。いったいどういうことだろうと、月美は自分の体を見た。

「そうだった……」

月美はモスグリーンのドレスの下に、簡易版のパワードスーツを着ていたことを思い出した。月美の体温が下がったことを感じ取って、スーツの体温調整機能が動き始めたようだ。

「助かった。」

マニーとハッパリアスに感謝だった。

「そうだ……こいつがあれば、医務室から出れるかも。」

月美は再び扉の前に立った。自動で開かなくたって、木土往還宇宙船のほどんどの扉はムリヤリこじ開けられる。ここに初めてきたとき、ロニーがそう説明してくれた。パワードスーツを着ていれば、月美の力でも簡単に開くかもしれない。月美は扉と壁の取っ手をつかみ、両腕に力をこめた。

なるほどパワードスーツとはよく言ったものだ。月美の体の動きにあわせて、背中の筋繊維が引き締まり、一方で肘や腕まわりの筋繊維も伸縮して、扉を開けるのを助けてくれた。自分の体とは思えないほど力が出た。レスラーの体でも乗っ取ったような気分だ。

扉の向こうで、火災や空気漏れが起こっているのでは……という予感がふと頭をよぎった。何も確かめずに扉を開けるのはかなりうかつだったけど、気づいた時はもう遅かった。扉は、いっきに半分ほど開いてしまった。

タイヤが破裂したときのように空気が漏れ出て、その勢いで月美の体が外に放り出されるようなことはなかった。ドラゴンの口のように扉から火が吹き出し、医務室を焼き尽くすようなこともなかった。廊下も中と変わりなく、暗く、静かで冷たかった。

もちろん隅から隅まで探したわけではないし、これだけ大きな船をすべて探索するのもムリな話だけど、船のどこを見渡したって人の姿はなかった。月美を除いて、船には人っ子一人いない。いったいどういうことなんだ! 

月美は、いてはダメな場所にいることだけは理解できた。なんらかの理由でみんな船から降りてしまったのだ。勝手にパーティーにもぐりこみ、あまつさえ、医務室で寝呆けていた月イチのマヌケを残して。ドデカい船にいるせいで実感がわかないけど、もしかしたら月美は宇宙を漂流しているのかもしれない。だったらどうなるのだろう? 生き残るのか死んでしまうのかもよくわからない状況だった。焦りと恐怖だけが頭の中をかけ巡っている。

「だれかいないのか! 芽衣! 教授! アル! 粗茶! だれでもいいから助けてくれ!」

月美は、ノドが痛くなるまで叫んだ。

「だめだ、だれも返事をしない!」
 月美は頭をかかえた。

こういうとき、いったいどうすればいいのだろう? まずは偉い人を探せばいいような気がした。船長ならまだ船に残っているかもしれない。いざ有事となれば、船を最後に降りるのは船長だと相場が決まっているからだ。少なくとも映画の中では……だけど。

船長はどこにいるのだろう。やっぱり船長室? それとも操舵室? どちらも行ったことはないし、場所も知らなかった。月美は船内の地図をおぼえていなかったし、そもそも船長室の場所は公開されていなかった。テロ対策かなにかの理由で、船の中枢と呼べそうな場所をルナスケープ社は秘密にしているのだ。船長室までの道のりだって、きっと迷路のように複雑だろう。

とはいえ、月美だって伊達に三ヶ月も船で働いているわけじゃない。どこに何があるかくらい、だいたい想像がつくというものだ。月美は、木土往還宇宙船の探索をはじめた。久しぶりの冒険だった。

木土往還宇宙船のことであれば、月美もずいぶん詳しくなったつもりだったけど、こうやって舞台裏をうろついてみると、知らない場所の方がずっと多いことに気がついた。食堂裏のキッチン、そのさらに裏にある倉庫のような冷蔵庫、薬品の保管庫、大学みたいな科学実験室(なんとなつかしい……)、更衣室や男女兼用のトイレなどなど。どこを訪れても「こんな所にこんなモノがあるのか」の連続だった。

不審者の月美がうろちょろしているのに、それを咎める人はいなかった。ほんとうに誰ひとりいないのだ。セキュリティシステムすらだんまりで、立入禁止の区域であっても今なら扉をこじ開けて入室できた。その中のひとつに、小さな船室の並ぶ区域があった。

ここも月美が初めて訪れた場所だった。小さいながらも小奇麗な船室で、船長室ではなさそうだけど、一般クルーの船室ともちがっていた。一般クルーの船室であれば、もっとこう……雑居部屋のような場所のはずだ。史上最大の船といえど、千人からなるクルー全員に個室をあてがうことはできない。船員のたいはんは雑居部屋で過ごすことになるのだ。月美も仕事で帰れないとき、よくその部屋に泊まっていた。カプセル式のベッドがタンスの棚のように壁に設置してあって、そのカプセルの中だけがプレイベートを確保できる場所だった。

一方で、ここの船室は個室だった。机とベッドを置くのが精一杯のせまい部屋だけど、それでも立派な個室である。少なくとも、棺桶マンションのようなカプセルに詰め込まれるわけじゃない。きっと幹部クルーの部屋なのだろう。月美は、部屋の扉をひとつひとつこじ開けて中を確かめた。どの部屋も人はいなかったし、非常灯以外の電灯もつかなかった。

ベッド付きの真っ白な部屋だった。ベッドといっても、壁をくり抜いた四角い空間があるだけで、寝袋や毛布のたぐいはまだ置いてなかった。船室は使われた痕跡がなかった。それもそのはず、この船はピカピカの新品なのだから。

とはいえ何もないわけじゃなかった。机の正面の壁に写真がかけてあった。ディスプレイに映っているのではなく、きちんと印刷したものを額縁に入れて飾っている。

なんてことないその家族写真に月美は目を留めた。アルジャーノンとユエが映っていたからだ。黒いパーカーのポケットに手を突っこんで、アルジャーノンがはにかんでいた。ユエも、ジーンズにシャツの姿で気取った様子がない。大きなメガネをかけた女性の写真もあった。登山中に撮影したのだろうか、厚手のセーターを着て、大きなリュックサックを背負っていた。たぶん宇宙飛行士のエリン・エバンズだろう。亡くなった彦丸の奥さんだ。

「ここは彦丸の部屋なんだ……」

船が外惑星に向けて出港しても、ここが変わらず彦丸の部屋のままなのか月美の預かり知らぬところだけど、少なくともいまは執務室として使っているようだ。見知った人間の気軽さで、月美は机の引き出しをあけた。

「私だって、本当はこんなことしたくないんだ。」
 机の中を懐中電灯で照らしながら、月美は誰に対して言うでもなく言った。

生き残るために、やるべきことなら何でもやらなくちゃならない。生き残るための道具や手がかりを……それがいったいどんなものなのか、そんなものが本当にあるのかどうかもわからないけど……とにかく探さなくちゃならないのだ。家探しに大活躍のこの懐中電灯だって、さしあたって資材置き場にあったのを失敬して使っているくらいだ。

あの青野彦丸の机なのだから、この危機的状況を打開する飛び道具的な何かが出てきてもおかしくはない。おかしくはないのだけど、残念なことに、ろくなものは出てこなかった。出てきたものといえば、書類、書類、書類、そして書類の山だ。会議の議事録、設備や機材の品質報告書、資材の納品書、メールの本文をプリントアウトした紙などなど……

「冗談だろ。あいつ、まさか、仕事場でずっと仕事をしていたのか?」

月美は、廃墟の天文台でいっしょうけんめい帳簿をつけていた当時中学生の彦丸を思い出した。

「いまどき書類を印刷しているだなんて。宇宙では紙も貴重な資源だってのに贅沢なご身分だ。」

とはいえ、あいつが聖人君子のように真面目一辺倒かといえば、そうでないことを月美は知っていた。注意深く探せば、書類の束の下に何かが隠されているのに気づいた。

ウィスキーの瓶だった。「バランタイン」と銘打ってある。

「スコッチか。しかもビンテージじゃねぇか。酒の趣味は悪くねぇようだな、彦丸さんよ。」
 月美はハッパリアスの口調をマネて言った。

よくみれば、瓶の口に細い鎖が巻きつけてあり、その鎖からタグがぶら下がっていた。タグには「土星に到着したら開封すること!」と書いてあった。もしかしたら土星の輪でバランタインを一杯引っかけるもりなのかもしれない。土星の輪は氷でできているんだ、とむかし子安くんが教えてくれたのを月美は思い出した。

さて、こいつをどうしたものか。彦丸にとって大事な記念品にちがいないけど、あまり遠慮する気が起こらないというのが正直なところだった。とはいえ、こんな時に酔払ってしまうほど月美も向こう見ずなわけじゃない。とりあえずバランタインの瓶を脇に置いて、月美は再度机の中を探った。机の奥にもう一つ隠されているものがあった。月美はそれを手にとって眺めた。

古びたライターだった。灰色の金属のケースはところどころへこんでいたし、端っこのほうはちょっぴり錆びていた。月美はこのライターを知っていた。中学生のころ、バーベキューのコンロに着火する時に彦丸が使っていたからだ。お父さんの形見だと言っていたような気がする。

形見とはいえ、宇宙では火気厳禁だ。見つかったらただじゃ済まないのに、いったいどうしてこんなものが? 月美はハッとなって慌てて机の中に手をつっこんだ。初めはもとに戻すつもりで、取り出した書類をきれいに並べていたけど、そんなことはもうどうだっていい。議事録だの納品書だのが宙に散乱したけど知ったこっちゃない。月美は、机の中のものをすべてひっくり返すつもりだった。

どうしてライターなんか隠し持っているのか? 決まっている。タバコを吸うからだ。この部屋にタバコがあるからだ。

「彦丸め! なんて悪いやつだ。」

月美は我を忘れて部屋中を探した。ベッドの下の収納から写真の額縁の裏まで手当たり次第だった。十九ヶ月ぶりのタバコだ。たったの一本でいい。ほんの一口でもいいから吸いたかった。できれば一箱くらいほしいものだ。いや、きっとカートンであるはずだ。

「カートン! カートン!」

頭の中がお祭り騒ぎの様相を呈してきたわけだけど、魚の群れのようにまとわりつく書類の束をかきわけて、部屋中を行ったり来たりしているうちに、月美は冷静さを取り戻すのだった。

結局、タバコは見つからなかった。残念だったけど、それでいいとも思った。せっかく禁煙セラピーに通いつめ、催眠療法に頼ってまでタバコを断ったんだ。今さら台無しにするのはもったいないじゃないか。

「私は宇宙にいるんだ。」

月美は部屋をあとにした。ライターとアルコールは何かの役に立つかもしれないので、持っていくことにした。散乱した書類はもうどうしようもなかったので、ほっておいた。

それから一時間ほどかけて船内を探したけど、船長室と思わしき部屋は見つけられなかった。当然のように誰ともすれ違わなかったし、仮に人がいたとしたら、もはやそっちの方が驚くべき事態だ。

月美が寝入っている間に船が廃墟になってしまったようだ。子どものころ廃墟の建物に出入りしていたことを思えば、ちょっぴり懐かしい気持ちにもなったけど、死ぬかもしれないのであまり気楽なことも言ってられない。

どうしてこんな事態になったか考えても時間のムダだろう。考えたところでわかりっこないのだから。だから、月美はとにかく歩く(正確には、泳ぐ)ことにした。リュックサックを見つけ(これは月美が雑居部屋と呼んでいる船室のカプセルの中にあった忘れ物だ)、それに手持ちの道具と、食料庫で見つけた宇宙食と水、薬品棚で見つけた薬やらビタミン剤やらを入れた。無重力なので重さを気にせず詰めるだけ詰め込んだ。孤立した時に何が必要なのかはだいたいわかる。まさかこんなところで山でキャンプをしていた経験が役に立つとは。ここは山でなく宇宙なので、本当に必要なものかどうかいまいち自信はないのだけど。

月美は貨物室までやってきた。広いところだった。ジャンボジェット機から客席と床板をすべて取っぱらって作ったような円筒状の空間だ。火星の衛星基地に届ける物資や、惑星向け小型観測船や、その他計測装置を保管するための場所だと聞いている。いまは、作業員たちの生活品が置いてあるだけのようだ。ダンボールが、すみっこに山積みになっている。宇宙開発がこれだけ進んでも、ダンボールとクラフトテープの有用性は変わらないらしい。

そんなことよりも、月美は気になるものを見つけた。小型の宇宙船が貨物室の奥に停泊していた。

この小型船で脱出する考えがちらりとよぎったけど、残念ながら月美は免許を持っていなかった。この期に及んで無免許運転を気にしているわけじゃない。船の動かし方がわからないのだ。

「ん……?」
 小型船の周りをうろついているうちに、月美はふと思い立った。
「この船、見覚えがあるぞ。」

白い箱のような宇宙船だった。三つのノズルが、イボのように船尾にくっついている。せいぜいトラックほどの大きさしかなく、地球衛星軌道と月衛星軌道を往復する何千もの貨物船のひとつだとわかる。船体のほとんどが、コンテナ着脱式の貨物スペースだった。一人乗りのコクピットはせまく、乗用車の運転席くらいである。

「やっぱり! こいつ三〇七型機だ。」

行方不明になったあの船と同じ型だった。コックピットの横の壁に「ルナスケープ・三〇七」としっかり書いてある。

「無人船だときいてたけど、人も乗れるんだ。まさか例の船ってことはないよな?」

気密室のハッチが開きっぱなしだった。運転手があわててトイレに行って、ついドアを閉め忘れたといった具合に。月美はハッチから三〇七型機の中にもぐりこんだ。もしかしたらこの船の通信装置が使えるかもしれないと思ったからだ。その予感はドンピシャだった。月美がコクピットの席に座ると、あぁなんと懐かしい、あの中年声が聞こえた。

「やぁ月美、こんなところで何をしているんだい?」

粗茶二号は、月美のすぐとなりを漂いながら手をふっていた。仮想空間にログインができた。つまり、月にいる人たちと通信ができるということだ。

「粗茶! ホークショット教授につないでくれ! いますぐ!」
 と、月美は言った。


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