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月面ラジオ {58 : 式典 }

あらすじ:想い人の青野彦丸を追いかけて、月美は月面ではたらき始めた。そして、彦丸のいる会社「ルナスケープ社」に派遣されることになった。

{ 第1章, 前回: 第57章 }


月美が初めて木土往還宇宙船に乗船したとき、ここはまだガラスとコンクリートと配管がむき出しの広場だった。だだっ広いだけで、とくに思うところはなかった。でも、赤色の絨毯をしきつめ、雪のように鮮やかな壁紙を貼りつけ、シャンデリアで照らし出した今となっては、ただただ感嘆するしかない。

船の大広間でパーティが開かれていた。展望窓の向こうでは星々が輝き、その下でドレスを着た人たちが歓談し、ピアノの演奏に時たま耳を傾けている。五層吹き抜けのホールは招待客で埋め尽くされ、呼び過ぎではと言いたくなるほどの人ごみだったけど、さすが宇宙といったところか、回廊の手すりを越えて宙を漂っている者もいて、なんとか広間に収まっていた。色鮮やかなドレスとスーツとの間で、シャンパンの玉が舞い、きらめいていた。ウェイターがボトルをふると、お酒が泡に包まれた玉となって飛び出すので、まわりにいた人たちは、手元のグラスでそれをすくっていた。夜になると地球がのぼり、間もなくして展望窓から顔をのぞかせた。広場にいる人たち全員が、グラスを掲げて青い故郷に乾杯をした。

史上最大の船、「木土往還宇宙船」の完成式典に月美は参加していた。それも、シルクのドレスを身にまとって。つい一年ほど前まで四畳半の安アパートで月を見上げていたことを思えば、いまこの場にいることが未だ信じられなかった。なのに、月美はホールの隅っこに立っているだけだった。はじめてのパーティーで緊張しているわけじゃない。招待されてもいないのに、勝手に潜り込んでいるから緊張しているのだ。月美は、他の招待客たちにパワードスーツを売りこむためパーティー会場に潜入していた。

「まったく!」
 すでに散々毒づいているのだけど、月美は改めてホークショットに文句を言うのだった。
「なにが、『よろこべ、完成式典に私たちも招待された』だよ。ただの不法侵入じゃないか!」

ルナ・エスケープで招待状をもらったのは、アルジャーノンとホークショットのふたりだけだった。木土往還宇宙船で働いているのだから簡単に紛れこめるだろうという理由で、月美はホークショットにこの会場へ連れて来られたのだ。このあとふたりを手伝って、ルナ・エスケープ社製のパワードスーツを宇宙企業の重役たちに売り込まなくちゃならない。

当のホークショットは、パーティを満喫していた。いったいどんな魔法を使ったらあんなふうに変身できるんだと、月美はしきりに感心していた。いつものパンツルックのスーツを脱いだホークショットは、それはそれは見事に青いドレスを着こなし、彼女の立派な歯にも負けぬパールのアクセサリーを首元で輝せていた。社交用の笑顔を全開にし、今日はじめて会ったばかりの人と友人のように歓談していた。

一方アルジャーノンも盛り上がっていた。この日のために仕立てたはずのスーツを脱ぎ捨て、いつの間にかパワードスーツに着替えていた。音楽にあわせて空宙で踊り、まわりの人たちを笑わせている。ふたりともパーティーに慣れっこなのだろう。会場の隅っこにいるだけの月美とはえらい違いだった。

月美だって、このパーティーを楽しみにしてきた。歯と肌を死ぬほど磨いたし、髪にだって気が狂うほどブラシをかけた。これまでの人生でやってきたブラッシングの総数を上回るのではと思うほどで、おかげでツヤツヤになった。ビルの床という床を拭き清めて、さらにワックスをかけるくらいのつもりで時間をかけたというのに、隅っこで萎縮しているだけの今の状況はあんまりだった。せっかくホークショットからもらったこのドレスにも慣れない。ジーンズにシャツだけの生活があまりにも長く続いたせいで、肩のまわりがスウスウするだけで月美は緊張してしまう。

なによりも、おなじ会場にいるはずの彦丸の影におびえていた。会いたいと思う半面、会いたくないとも思ってしまう。招待客ならまだしも、勝手に入りこんでの再会だなんて、月美の望むところではなかった。

「おい、だれだ、おまえ。招待してないんだから、さっさと出て行け。」

そんなふうに言われたって不思議じゃない。

「せめてシャンパンを飲みたいなぁ。」

月美は、「酒を飲むんじゃないよ。一滴たりともだ」とホークショットに釘を刺されていた。「な、なんでですか?」と月美がきいたら、「それがわからないとしたら、おまえは月イチのマヌケだ」とホークショットは答えた。

「そりゃ、飲み過ぎちゃうことだってたまにはあるけどさ……」

月美はぶつくさ言いながら、シャボン玉ならぬシャンパン玉を眺めていた。無数に散らばるあの黄金の輝きの中に、今すぐ飛びこみたいものだ。口に溜まっているツバだけで、あの玉と同じようなものが作れる自信が、いまの月美にはある。

月美は手すりによりかかり、パーティ会場を上から眺めた。アルジャーノンの大道芸でも見物して時間をつぶそう。見知らぬ人に声をかける気もなければ、禁酒令も出ていて、それしかやることがないのだ。

ふと、階段のところに目をやると、おなじ色のジャケットを着た集団が踊り場にいることに気がついた。みんな若くて、アルジャーノンを除けば、この場で最年少の集団だった。

「もしかして月面大学の学生かな?」

よくよく見れば見知った顔があった。芽衣とボーイフレンドのファビニャンだった。ファビニャンが急に顔を上げてこちらを見た。それから芽衣の肩に手を置き何か話した。芽衣も顔を上げた。

まずい、と月美は思った。月美は、何食わぬ顔で会場の奥にひっこんだ。待機中のウェイターの横で苔むした岩のふりをしていたけれど(月美のドレスはちょうどそんな色だ)、芽衣とファビニャンはこちらに近づいてきた。

念願の木土往還宇宙船、その船上パーティーだけあって、芽衣も気合の入れ方がちがった。いつものチェック柄のシャツはどこにいったのだろうか。月面大学のブレザーとブラウスを着た彼女は見違えるようだった。誰に教わったのかきちんと髪を整え、化粧もしているし、ストッキングだって新品を用意したにちがいなかった。

「つ……月美ちゃん?」

芽衣が、ちょっと信じられないといった顔で声をかけた。

「やぁ、芽衣、偶然だな。それにファビニャンも。こんなところで会うとは思ってもみなかったよ!」

月美はふたりを抱きよせて、精一杯明るくふるまった。

「ふたりとも、パーティを楽しんでくれ。それじゃ。」

「ちょっとまって!」
 立ち去ろうとした月美を芽衣は引き止めた。
「この船のクルーの二次試験を通過した学生は、みんな式典に招待されているの。そのことはちゃんと話したでしょ。月美ちゃんこそ、招待されてたのにどうして教えてくれなかったの?」

月美は、芽衣を抱えこんで、ファビニャンに聞こえないところまで引っぱった。

「あまり、大きな声を出さないでくれ。」
 いかにも後ろめたいことを話す調子で月美は言った。
「じつは招待されてないんだ。」

「え?」
 芽衣は顔をしかめた。
「どういうこと。」

「わかるだろう? 勝手にもぐりこんでるんだ。」

「そんなことしていいの?」

「いいわけないだろう」
  月美は言った。
「ちょっとした仕事があって、ここにいなくちゃならないんだ。」

「青野さんに会いに来たんじゃないの?」

「ちがう!」

「会わないの?」

「いまの私の状況って、会った瞬間に逮捕されるかも、なんだぞ?」

「でも、これって千載一遇ってやつでしょ? 青野さんほどの人に会える機会ってそうそうないんだよ。」

「それはそうだけどさ……」

「なに弱気になってるの!」
 芽衣は言った。
「いま行動しないと、きっと後悔する。私、下のほうに行って探してくる。」

そう言うと、芽衣はファビニャンを連れて立ち去ってしまった。

「ファビニャン、手伝って! 二手にわかれて青野さんを探しましょう。そうよ、月美ちゃんに会わせるのよ。ムリヤリにでも……」

「おいおい、勘弁してくれよ。」
 月美は言った。

ちょっとまずいことになったな、芽衣のヤツが先走っている。どこか隠れるところを探しておいたほうがいいかもしれない。そうだな……たとえばトイレとか……

その時、月美は固まった。今のいままで気づかなかったけど、ユエがすぐそばにいたからだ。

たくさんの人だかりができていて(とくに若い男が多い)、台風で言えばちょうど目の位置にドレス姿のユエが見えた。誰もがユエと話したがり、彼女の方に体を向けていた。ユエも笑顔で相手に応え、肩に手を回して頬にキスをしていた。

ユエも月美に気づいたのか、目が合ったような気がした。たぶん気のせいだろう。それに、どっちだっていいことだ。ユエが私に気づいたところで、話しかけてくることなんてないのだから。でも、そう思ったのもつかの間、ユエが人だかりを抜けてこちらに向かって歩いてきた。

「うそだろ……」

月美の緊張がピークに達した。仮にこの船に不審者がいるとしたら、それを最初に見抜くのはユエのような気がしてならなかったからだ。いや、もしかしたらもうバレているのかもしれない。月美は逃げ出したいのを堪えてその場で待った。

真紅のドレスを着たユエがやってきた。それもうっとりするようなココナッツとバニラの香りを引っさげて。威風堂々とした出で立ちだった。金属のマネキンを思わせる手足、糸杉のようにまっすぐな背筋、漆のような黒髪、突風のような眼差し……ユエの何もかもが攻撃的で、でも、それがたまらなく人を惹きつけた。このパーティーがユエひとりのために開催されたと言われても月美は疑わなかっただろう。

「久しぶり。」
 ユエは言った。
「あなたも招待されていたのね?」

「ま、まぁね。」
 どうしてこんなにも怯えなきゃならないんだと思いながら月美はうなずいた。

「たのしんでる……とはいかないみたいね。飲まないの?」

「禁酒中なんだ。」

「そう……」
 ユエが手に持っていたグラスを宙に置いた。
 すると近くにいたウェイターが「失礼します」と言って、すかさず回収していった。
「残念ね。あなたがお酒を飲むと面白いってロニーから聞いてたから。」

「お恥ずかしいかぎりで……」

月美は頭をかいた。ユエはその手をマジマジと見ていた。

「それはなに? オペラ・グローブにしては大きいわね。」

「これか?」

月美は、肘の近くまで伸びる長い手袋を着用していた。両手をあげてそれをユエに見せた。

「そんな上品なものじゃないよ。パワードスーツの付属品なんだ。手を触れずにモノを動かせるグローブさ。革の手袋っぽく見た目を変えているけどね。ほら、アルジャーノンもつけているだろ?」

月美は階下を指して言った。ちょうどアルジャーノンが、パワードスーツのグローブで、コーヒー・タンブラーを回転させるいつもの宴会芸を披露しているところだった。彼を取り巻く人だかりから感嘆の声と笑い声が聞こえた。

「ユエも一着どうだ? 社長の家族だし安くしとくよ。」

「いらないわ。」
 ユエはきっぱりと言った。
「まさか船の完成式典でパワードスーツを売る気なの?」

「そのつもりだけど?」
 月美は答えた。
「私もドレスの下にパワードスーツを着ているんだ。普段着の下にも着られる簡易版スーツだ。地球帰還者のリハビリのために開発したやつさ。アルたちが見込み顧客を見つけたら、ここでドレスを脱いで、スーツとグローブを紹介しに行くんだ。」

「相変わらずわけのわからないことをしているのね、あなたたちは。」
 ユエは呆れた様子だった。
「まぁいいわ。私もそろそろ……」

ユエは、この場を退散する理由を探し始めたようだ。ユエの視線は、月美以外のだれかに向いていた。けれど、グローブ以上に気になるものを見つけてしまい、再び月美に目を向けるのだった。

「それって……」
 ユエの視線が、月美の手から顔へ移った。

「私の顔に何かついているのか?」
 ユエがジッと見つめるものだから、月美は不安になってたずねた。

「顔じゃない。耳よ、耳。耳についてるそれは何?」

ユエが気にしているのは、月美のイヤリングだった。小指の先ほどの小さな砂時計のイヤリングだ。月の砂がガラスの中で輝いている。

ユエほどの者が注目するだけあって、ただのイヤリングではなかった。よくよく見れば、耳に直接着けているのではなく、耳たぶのすぐ下で装具が浮かんでいた。

「超伝導体を仕込んでいるんだ。」
 月美は言った。
「ほら、無重力だとこの手のイヤリングって収まりが悪いだろ? すぐに浮かび上がっちゃって、変な感じになる。ならいっそのこと耳からぶら下げないで、耳の下で浮かばせたらどうだろうと思ってね。この船の磁場コントロールシステムの開発に私も関わってるからさ、ちょいと試させてもらってるんだ。無重力で雨を降らせるのに比べれば、そんなに難しいことじゃないよ。」

月美はくるりとその場で回転した。すると、砂時計も月美に付き従って動いた。

「こんなこともできる。」

月美が指先で軽く叩くと、砂時計がその場でひっくり返った。

「へぇ……」
 ユエはおどろいた様子だった。
 というよりも、そんな顔初めて見たんだけど、感心しきっていた。
「悪くないわ。むしろそっちを売ったほうがいいんじゃない?」

特段盛りあがったというわけではないけれど、こんなに長くユエと話したのは初めてだった。「悪くない」と言われたのも(たぶん褒めてくれたのだ)初めてだった。正直なところ、積極的に話したい相手ではなかったけれど、案外仲良くなれるのかもしれないと月美は思った。

「おたくのお父さんにもらったヤツなんだ。」
 月美は言った。
「じつは青野彦丸と幼馴染なんだ。」

「知ってるわ。」

ユエが言った。これには月美も驚いた。青野彦丸と幼馴染であったことは、アルジャーノンにもホークショットにも話していなかった。

「あの人のアルバムを見たの。その中の一枚にあなたが映っていた。会わないの?」

どいつもこいつも、なんでそんなふうに私をけしかけようとするんだと月美は思った。

「べつにいいさ。あいつも忙しいだろうし、私なんか相手にしてくれないよ。」

「せっかく会いにきたのに?」

「今日はパワードスーツの営業に来たんだ。」
 月美はイライラしながら言った。

「ウソね。」

「どうしてウソだと思うんだ?」

月美はユエをまっすぐ見据えた。ユエも月美から視線をはずさなかった。いまになって赤いアイシャドウがドレスと同じ色だということに気がついた。

ユエは、自分の耳を人差し指の先で触った。

「あの人のことを思っていなければ、そんな安っぽいイヤリング、わざわざ着けてこない。贈り物だって私に伝える必要もない。そうでしょ?」

月美は自分の顔が熱くなるのを感じた。ユエに何もかも見透かされて、それが心底恥ずかしかった。

「あなたは何のために月にきたの?」
 ユエは言った。
「そうやってあきらめる言い訳を探してずっと生きていけばいい。」

言うだけ言ってしまうと、ユエは月美のもとを去った。月美は呆然となってユエを見送った。

腹がたった。はっきりと見下されていると思ったからだ。ユエのところまで駆けていって、「お前に私のいったいなにがわかるんだ」と言いながらぶん殴ってやりたかった。さすがに殴らないにしても、何かひとこと言い返すんだ。でも、そんなことできるわけがなかった。もしそれができるのなら、あんなふうにバカにされることもなかったし、こんなにも悔しい思いをすることもなかっただろう。

それから月美はぼんやりしながら時間をつぶした。何も考えず、ただボーっとしていた。ウェイターが「大丈夫ですか?」と声をかけてくれたような気もしたけれど、月美は曖昧にうなずくばかりだった。「何のために月にきたの?」というその言葉だけが、くり返し頭の中で鳴っていた。

「私は……」

その時、大きな拍手と大歓声が聞こえ、月美は我に返った。

「いったい何だ?」

周りの人たちが、ホールの吹き抜けに歩みよって、手を叩きながら誰かを迎えていた。月美も階下の広間を見わたした。人垣の中からひとりの男が出てきた。式典の参加者全員が見守る中、男はゆっくりと階段をのぼった。

月美が二十五年ぶりに見る青野彦丸の姿だった。


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