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{ 16: 豪華病室 }

{ 第1話 , 前回: 第15話 }

すべて夢だと思いたかった。世界でもっとも夢をにくんでいる春樹ですら、夢のほうがマシだと思った。たとえ自分が焼き殺される悪夢であっても、夢であるかぎりそれは現実じゃない。でも現実で起こった悲しい出来事は、それがいかなることであっても、ぼくの心に深くて長いキズをりつける。ましてや、悪夢以上の現実なんて、えられそうにない。

病院で目覚めたとき、カンパニー・タワーで起こったことは現実だったと春樹はさとった。もし夢であったのなら、我が家の布団で目覚めているのだから。いつものようにバケツ一はい分のあせでシーツをぐっしょりらし、秋人が「またか!」と言いながら、勝手に部屋へと入ってくるのだ。

でも、秋人が姿を現すことはなかった。代わりに、あの光景がまぶたの裏に焼き付いて見えた。秋人が、犬仮面の男に首をつかまれている光景が……あの音だって鼓膜こまくにこびり付いたままだった。秋人の首かられ出たゴキリという音が……

秋人は無事なのだろうか? 秋人だけじゃない。父さんは? ふたりとも無事ではないだろう。でも、生きてさえいれば……

ここはどこだろうと、と春樹は思った。病院でていることはわかるけれど、それ以外なにひとつ状況じょうきょうがわからなかった。やがて意識がはっきりしてくると、春樹はベッドから体を起こした。とたんに部屋のとびらが開いた。春樹が起きるのをずっと監視かんししていたかのようにドンピシャだった。

「やあやあ! 意識をもどしたようだね。よかった、よかった」
 男はずかずかと病室に入ってきた。
「ずっとたままだったから、心配してたんだ」

ボサボサのかみの下にウェリントンの眼鏡……白衣を着ている……どこかで会ったっけ……? やけに親しげだ。中年にもかかわらず、子供のようにくったくのない笑顔……

ぼくは白衣を着ているけど、医者じゃないよ」
 春樹が目を細めてぼーっと見てると、その男は言った。
ぼくのことを覚えているかな? 自然融合しぜんゆうごうを案内してあげただろ」

男は、病室備え付けのデスクに置いてあった春樹のメガネをとってくれた。こわれたはずのメガネは、だれかが修理してくれていた。

そうだ、思い出した……この人は……

「ユウナ……博士ですか?」
 春樹は、メガネを受け取りながら言った。

博士は、にっこり微笑ほほえみながらうなずいた。

博士のすぐうしろに二人組の男がいた。二人は博士のあとについて部屋へ入るなり、とびらを閉めてしまった。護衛だろうか……バン隊長と同じチョッキを着ていて、ともに背が高かった。ひとりは、白髪はくはつまじりの短髪たんぱつで、人質救助のためロビーへけつけた治安隊のひとりだった。もうひとりは、さらに背が高く、その一方で、比べれば細身だった。春樹は、すぎの木のような印象をその人におぼえた。ただ、どんなに屈強くっきょうそうに見えても、身長二メートルをゆうにす大男から再三おそわれたあとでは、ふたりとも平均的な成人男性とたいして変わりないように思えた。

博士は、部屋の片隅かたすみにあったデスクから椅子いすだけ持ってきて、ベッドのそばに座った。護衛の二人組は、そのすぐうしろに立って、だまってぼくのことを見下ろしていた。そんな三人を順番に見やってから春樹は口を開いた。

「ここは?」

「カンパニー・タワー内の病院だ」
 ユウナ博士は言った。

「病院……?」

ほんとうにそうだろうか? メガネをかけてやっと気づいたのだけど、春樹の入院している部屋はやけに豪華ごうかだった。

部屋の隅々すみずみで間接照明がいてあり、そのやわらかな灯りがベッドや椅子いすかげ絨毯じゅうたんに投げかけていた。来客用の(あるいは患者かんじゃる時以外に使うであろう)ソファーが部屋の中央にあり、たなにティーセットとポットを用意している。さらにベッドのマットレスが尋常じんじょうじゃないほどの反発力だと気づくにいたり、ここは病室というよりもホテルのようだと春樹は思った。しかし、ベッドから起き上がるための手すり、各種医療いりょう用モニター、医者を呼びつけるためのインターホンの存在が、ここはまごうことなき病室であることを物語っていた。

いい部屋だと思う。でも、なぜだろうか……居心地がわるかった。こんなにいい部屋なのに、おぞましいほどの寒気がする。いったいなぜ? 

「体調はいかがかな?」
 ユウナ博士が春樹の顔をのぞきんだ。
「医者の話では、君はとてもうなされていたそうだ」

そうか、またあの夢を見ていたのか……シーツとパジャマがあせまみれじゃないのは、ている間にだれかが着替きがえさせてくれたからか? 

「どうしてこんな豪華ごうかな部屋に?」

「シャン博士の身内をないがしろにするわけにはいかないからね、ヤガン晴夫くん」
 ユウナ博士は、にっこりと微笑ほほえんでから言った。
「いや、シャン春樹くんと呼ぶべきかな?」

そうだった……春樹はおでこを手のひらでペシリとはたきそうになった。名前をいつわってカンパニーに侵入しんにゅうしていたことを今になってやっと思い出した。この様子では、思い出すことはまだまだ多そうだ。あまりにショックな出来事の連続で、記憶きおくの一部がんでいるのかもしれない。

「あ、あの……そのことなんですか……」

「君がウソをついていたことを責める気はないよ」
 春樹が何かを言う前に、博士はそれをさえぎって言った。
「そこまでして我が社に興味を持ってくれただなんて、むしろほこらしいくらいさ。ただ、いま気にするべきは、そのことじゃないはずだ」

博士の言うとおりだと、春樹は思った。名前をいつわっていたことも、そのことがばれていたことも、いまはどうだっていい。むしろ秋人と父さんとの関係を説明する手間が省けたくらいじゃないか。それに、ここがどこかもどうだっていい。どうしてぼくは、部屋がホテルのように豪華ごうかであることを気にしているんだ? そんなことよりも、まずくべきは……

「秋人は……父さんは無事なんですか? い……」
 春樹の声はふるえていた。
「生きているのですか?」

ユウナ博士はだまって春樹を見ていた。春樹は、博士が何か言うのを待った。でも、博士はだまったままだった。どうして、なにも言ってくれないんだ? 博士がなにも言わないものだから、春樹はつかみかかりたくなる衝動しょうどうおさえなければならなかった。いや、もしかしたら博士は何かを言おううとしていたのかもしれない。事実、何かを言い始めていたようだ。でも春樹には、博士の口がゆっくりと……まるでかめが歩くようにゆっくりと動いているように思えた。時間が濃縮のうしゅくして、どろの状態になって流れているみたいだった。早く聞きたくもあり、絶対に聞きたくもない……最後通達を待つ時間は、こんなふうにおそくなるものなのか? 

「ふたりは無事なんですか!」
 春樹はたまらずさけんだ。
「はやく教えてください!」

とつぜん大声を出したものだから、博士はビクリと体をこわばらせた。対して護衛のふたりは、すぎの木のような男の片まゆがわずかにピクリとがったくらいで、特別な反応はなかった。合わせて四本の足を病室のゆかに根付かせようとしているかのように、背後でガッチリ手を組んでその場に立っていた。

「落ち着いて、春樹くん」
 博士は言った。
「そんなふうに興奮されちゃ、こっちだって何も言えないよ。一度ゆっくり息をくんだ。その様子だと過呼吸を起こしかけている」

春樹は、言われるがままゆっくりと息をき、なんとか呼吸を整えた。

「そうだ、ゆっくりとして。吸って……もう一度ゆっくりいて……うん、いい調子だ。ふたりとも、生きてるよ」

「生きてる?」
 春樹は博士の言葉をくり返した。

「生きている」
 博士もかえした。
「ただ……もう一度、深呼吸するんだ……うん、落ち着いて聞いてほしい。二人は生きているが、まだ意識をもどしていない。とくに秋人君は重症じゅうしょうだ。このまま目覚めないかもしれない」


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