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月面ラジオ { 12: "月美の青春" }

あらすじ:(1) 30代のおばさんが、宇宙飛行士になった初恋の人を追いかけて月までストーカーに行きます。(2) 中学生の月美は、彦丸という男の子のことを好きになりました。

{ 第1章, 前回: 第11章 }

青野家の屋根に不審な人影があった。
人影を見つけたのは、受験勉強をしている最中のことだった。

月美は、自分の部屋で歴史の教科書を読んでいた。
けれど、大昔の政治改革について勉強しているうちに、いつしか眠りこけていた。
我にかえり、本の枕から顔をあげると、夕日の灯りが消えようとしていた。
部屋は、不気味の帳に包まれている。

「なんで眠っちゃったの! もうすぐ受験なのに!」

自分をののしりながら、カーテンを閉めようとしたまさにその時だった。
数ブロック先にある青野家の屋根に誰かがいるのを見つけた。

外は暗いし、距離もある。
普通なら屋根の色すらわからないだろう。
けれど月美は確かにそこに人がいるとわかった。

月美は目が良かった。
彦丸と子安くんの視力を足し合わせたよりもはるかに良く、二人なら望遠鏡の必要な星だって月美なら肉眼で見ることができた。
二人ともそのことをうらやましがっていた。

それでも人影の正体まではわからなかった。

だれだろう? 
彦丸かな? 
それとも彦丸のおじいさん? 
泥棒かもしれない。
まあ、行ってみればわかるだろう。

月美は教科書を投げて外に出た。
ひややかな空気が体にしみこんできた。
秋も終わりだ。

月美は中学三年になっていた。
彦丸と子安くんと出会って二年が経った。

お邪魔します、と小さな挨拶だけして月美は青野家に入った。
玄関でくつを脱ぐと、階段を昇って彦丸の部屋に向かった。
彦丸のおじいさんは、まだ仕事から帰っていないようだ。
だから遠慮することもなかった。

部屋はまっ暗だった。
彦丸が机に向かって本を読んでいた。
とつぜんあらわれた月美に驚くこともなく、「やあ」と小さな声で出迎えた。

「屋根にだれかいるの?」
 開口一番、月美は言った。

「子安だよ。」

彦丸が顔をこちらに向けた。
机の蛍光灯に照らされた鼻の影がやけに濃く見えた。

「なんで子安くんが?」
 月美は言った。
「それに部屋が真っ暗!」

「どっちも上に行けばわかるさ。」
 そう言うと、彦丸は読書に戻った。

彦丸は、外国語の小説を読んでいた。
「ジュール・ベルヌ」に原文でチャレンジすると言っていたから多分それだろう。
フランス語は、カナダに住んでいたころに習ったそうだ。

二階の窓から外を覗くと、窓のすぐ脇にハシゴがかけてあった。
壁伝いに屋根の上まで続いている。
これを登っていけということだろう。

くつを取って来て月美はハシゴを登った。
屋根の縁から顔をのぞかせると、とたんに「なにこれ?」とこぼした。

「つ、月美さん?」
 子安くんのおどろく声が聞こえた。

月美もおどろいた。
青野家の屋上に物見台が取り付けてあったからだ。
物見台といっても、畳二枚くらいの板を設置しているだけだ。
台風が来たら吹き飛ぶこと請け合いだし、手すりもなくて危なっかしい。

物見台と呼ぶよりも「観測台」の方が正確かもしれない。
板の上に望遠鏡が置いてあった。
月美たちが二年前につくり、それから幾度と無く改良を加えてきた「手作り望遠鏡」だ。
子安くんは板の上に立ち、望遠鏡を一心不乱に覗きこんでいた。

「こんなところで天体観測?」
 月美はハシゴに手をかけたまま言った。

「彗星を探しているんだ。」
 子安くんが手をのばしながら言った。

月美はその手をにぎると、物見台にあがって子安くんのとなりに座った。

「観測の度に登山ってわけにもいかないからね。だからここに物見台を作らせてもらったんだ。」

「これ、大丈夫なの? その……安定性とか?」

「安定性は保証するよ。」
 子安くんが請け負った。
「今日一日だけならね。」

月美はいますぐ降りるべきだと思った。
でもそれは子安くんに失礼だろう。
だから後でなにか用事を思い出してから降りることにした。

「よくあのおじいさんが許してくれたね。危ないのに。」

「え? 許可なんてとってないよ。そんなモノもらえるわけないじゃないか。」
 さも月美が非常識であるかのように子安くんが言った。

やっぱり降りた方が良さそうだと思いながら、一方で月美は彗星も気になっていた。

「昨日発見されたばかりの彗星があるんだ。」
 子安くんは、再び望遠鏡を覗きこんだ。
「観測の難しいやつさ。でも僕たちの望遠鏡ならできるはずさ。」

「見つかりそう?」

「たぶんね。田舎だから光害も少ないし、彦丸も電気を消してくれた。観測条件は悪くない。」

「方角はどっち?」

「この望遠鏡が向いている方だよ。きっとね。」

「きっと?」

「彗星の軌道を自分で計算したんだ。天文台が発表したデータを参考にして。」

「すごいじゃない!」

「計算が当たっていればね。そろそろ見えてもいいんだけどなあ。あ……ああ!」
 子安くんがいきなり声をあげた。
「これは……なんともはや……」

「見つかったの?」
 月美は顔を上げた。

「いや。何も。真っ暗だ。」

「そう。」
 しばらく待たされそうだ、と月美は思った。

物見台から降りるべきかまだ迷ってはいたけれど、月美は結局ここで待つことにした。
子安くんに義理立ているわけではない。
屋根の上にいたい気分なのだ。
手作り望遠鏡で彗星を観測するのは、月美たちの悲願だった。

でも待っているうちに退屈になってくる。
だから月美は自分の育った町をながめた。
道路標識以外に何もない、いつもの町だった。
いまの月美の気持ちを映すような退屈な場所だ。

でも、ふたりと出会ってから空を見ることが増え、夜空がきれいな町だと知った。
もちろん天体観測に最適かといえばそんなことはないけれど、たまに泣きたくなるくらいきれいだと思う。

「子安くん、いいかな? 訊きたいことがあるの。」
 月美は言った。

「なに?」

「彦丸が最近学校に行ってないって、ほんとうなの?」

「そうみたいだね。」
 子安くんは望遠鏡の角度を調整しながら言った。
「急にどうしたの?」

「いい気なものだなと思って。」
 月美は頬を膨らませた。
「だって、私は二人と同じ高校に行くために一生けんめい勉強してるんだよ? 朝から晩まで机にしがみついて死にそうだよ。」

「彦丸だってただサボっているわけじゃないさ。東京まで出かけて、大学の講義を聞きに行っているみたいだよ。」

「大学?」
 月美はおどろいた。
「どうして大学なんかに?」

「高校の授業だけじゃ物足りないんだろう。ほら、彦丸の興味は宇宙工学とか、そこらへんだから……宇宙に行く準備を着々と進めているってことさ。」

「宇宙……」

彦丸が宇宙に行きたいというのは何度も聞いていたけれど、それでも改めて聞くと月美はショックだった。
だって、彦丸が宇宙に行ってしまうだなんて。

「そんな、どうしよう? 私も宇宙工学を勉強したほうがいいのかな?」

「落ちついて、月美さん。順番ってものがあるだろう? いま、受験にも四苦八苦と言ってたじゃないか。」

「どうすれば宇宙にいけるのかな?」
 月美はかまわず続けた。
「私もおなじ勉強をしたほうがいいのかな?」
 月美は、宇宙に行くことが自分の義務であるかのような思いだった。
「子安くんはどうするつもりなの? 彦丸のように宇宙を目指すの?」

「僕は宇宙には行かないよ。」

子安くんが間髪おかずに言い切ったので、月美は少し面食らった。

「宇宙には興味ないからね。」

子安くんの悲しそうな目が月美を見つめていた。
彗星を見つけられないようだ。
休憩しようと言って、子安くんは月美の横に座った。

いつもそばにいるはずなのに、月美は子安くんが隣に座ると緊張した。
さっきハシゴを登るのに手をかしてくれたけど、その時だってドキリとした。
子安くんと手を握り合ったのは始めてだったのだ。
運動不足の高校生らしく体はヒョロっとしているけど、それでもその手のたくましさに月美はおどろいた。

「子安くんは将来どうするつもりなの。」
 月美はたずねた。

「工学を学んで、天体望遠鏡のメーカーを立ち上げる。」
 子安くんが宣言した。
「オリジナル・ブランド。世間を驚かせるような新商品を開発するんだ。」

「すごい!」
 月美は声をあげた。
「それ、すごく楽しみ。」

「僕の望遠鏡が、天文ブームに火をつけるんだ。大人になったころは月の開発も全盛期で、みんな建設中の月面都市を見たがるはずさ。僕の開発した望遠鏡でね。だから彦丸にも月で頑張ってもらわなきゃ。」

子安くんは立ち上がって、また望遠鏡を覗ききこんだ。

「べつに宇宙に行きたくないわけじゃないんだ。」
 子安くんは、望遠鏡の方角を調整しながら続けた。
「僕にだって欲しいものがある。でも、それはたぶん宇宙にはなくて、この地球にあるんだ。それが地球にあるかぎり、僕は宇宙に興味がない。」

「ほしいものってなに?」

「月美さんだよ。」
 子安くんは、望遠鏡を覗きこんだまま言った。

月美は絶句した。

「それって……」

やっと声をしぼり出したけど、それ以上は続かなかった。
子安くんもそれ以上は何も言わずじまいだった。

しばらくして子安くんが叫んだ。

「み……みえた! 計算通りだ。」

「え?」

「彗星だ! 計算通りの場所に現れたんだ!」

「ほ、ほんと?」

月美もつられて声をあげた。
まるで何かをごまかすかのように、できるだけ大きな声をだした。

子安くんは脇にどいて、月美に望遠鏡をゆずった。
覗いてみると、瞬く星とはちがう、うっすらとした天体が視界の中に浮かんだ。
彗星は、何かが弾けて、煙を吹いているかのようだった。

「彦丸! やった! 計算通りだ。」
 子安くんが屋根の下に向かって叫んだ。

「なんだって!」

彦丸があわててハシゴをのぼってくる音が聞こえた。
子安くんと望遠鏡と月美……
それだけでも、この物見台はギュウギュウなのに、彦丸が上がってきたらどうなるのだろう、と月美は思った。

子安くんが何を言いたかったのかは、彗星発見でウヤムヤになってしまった。

子安くんの欲しいものが私? 
それってつまり……


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