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{ 13: 血のロビー }

{ 第1話 , 前回: 第12話 }

いつも夢で見ているのと同じ光景だった。足元に黒焦くろこげの死体があって、動かない。あたりは夜のように暗く、本当にあの夢の中にいるようだった。電気室で人が殺されたことも、動物の仮面をかぶったバケモノが暴れていることも、すべて夢だと春樹は心のどこかで思っていた。そう思いたかった。でも目の前で新たにふたり死んだ。ひとりはなぐり殺された。ひとりは燃えて死んだ。いまだけは、夢の中のほうがありがたかった。

火事にはならなかったけど、そんなこともうどうでもよかった。というよりも、何もかもどうでもよくなっていた。ここから動くつもりも失せていた。一連の出来事に思考が追いつかず、もはや周回おくれだと感じた時点で、春樹はそれ以上考えられなかった。これからなにをすべきかなんてどうでもいい。秋人と父さんを助けに行く? このタワーから脱出だっしゅつする? どっちもムリだ。もし動物面に出くわそうものなら、今度こそぼくは殺される。やつらに抵抗ていこうする力もなければ、その勇気もないことを春樹はたったいま思い知った。

「ん……?」

気のせいだろうか……ふいにとびらが開いて、それから閉まった音がした。鼓膜こまくかすかにふるわせたその音は、地球の裏で起こったことにしか思えなかったが、「聞こえた」と思ったのは確かだった。春樹は顔をあげた。

だれだろう……?」

少なくともテロリストではないはずだ。あれだけ傍若無人ぼうじゃくぶじんに暴れている連中が、ぼくの存在を気にかけてかくれたりしないだろう。とすると、テロの現場からげてきた人たちだ。自分とおなじ境遇きょうぐうの者が近くにいるかもしれないと気づくにいたり、春樹は再び考える力をもどしていた。

春樹は死んだ隊長のチョッキをさぐった。武器はないかと、春樹は胸ポケットと思わしき穴に手を入れた。牛仮面にしたはずのナイフはいつの間にか消えていたし、仮に焼けげた死体の下敷したじきになっているにしても、それを探り出すつもりはなかった。世界地図の陸地くらいの面積で胸一帯をめていた隊長の血は、すでにかたまり始めていたものの、春樹の手にべっとりくっついた。

ここが暗くてよかったと春樹は思った。もしも明るいところでこれだけの量の血を見れば、トマトにさえおびえる「赤色恐怖症きょうふしょう」の春樹は、気絶したっておかしくない。とはいえ手がまったくふるえていないわけでもなく、バン隊長の遺体を探るのは難航した。まだまだ温かい隊長の胸に手を一分ほどもぐらせ、やっとのことでチョッキの内ポケットから小箱のようなものを取り出せた。なんと、荷物検査の時に隊長に没収ぼっしゅうされた工具箱だった。すこし迷ったけど、春樹はマイナスドライバーだけ取り出すと、ズボンのポケットにしまった。武器にするというよりも、いつも持っているものを身につけることで安心できると思ったのだ。

「まさかマイナスドライバーをお守り代わりにする日が来るだなんて……」

ナイフは別のところで見つかった。隊長の足首にナイフを収めるベルトが結ばれていて、そこに一本だけさっていた。春樹が足元を探ったのは、そこからかくしナイフを取り出すスパイ映画的な演出をしょっちゅう見ていたせいだ。

うすいナイフだった。はさみとつめ切り、それと針金を切るためのニッパー以外の刃物はものなんてとんとえんがないので、これがナイフとして本当にうすいのか春樹には皆目かいもく検討もつかない。けれど、すごくうすいと思った。それに短いし、正直なところドライバーよりもたよりないくらいだ。春樹は、これだけ小さいならおしりることはないだろうと判断し、ベルトの背中側にナイフをはさんだ。

春樹は、バン隊長の顔を最後に見た。こういうときはどうすればいいのだろうか。この場で拝むのか、隊長のまぶたをやさしく閉じるのか、ありがとうございましたと声をかけるのか……

結局なにもせずに、春樹はその場で立ち去った。わた廊下ろうか匍匐ほふく前進でわたっていたとき、春樹は「自分だけは大丈夫だいじょうぶぼくは家族を助けて英雄えいゆうになれる」と信じていた。でもそれはただのカンちがいだ。英雄えいゆうになりたければ、命をける必要がある。カジノのテーブルにたたきつけるべきは、札束やチップなどでなく、ぼく自身なのだ。バン隊長の顔を見て、春樹はそう思った。

停電中だから電子じょうかぎがかからないのだろうか? 社員証を持っていない春樹でも、オートロック式のオフィスにすんなり入ることができた。エレベーターホールにもっとも近い部屋はここなので、さっきのドアの開閉音はきっとここからだろう。

オフィスはもぬけのからだった。デスクは整然と並んでいて、筆記用具やら、書類やら、チョコレートの箱やらがその上に散乱しているものの、テロリストたちが表敬訪問しに来た形跡けいせきはなかった。ここで働いていた人たちは、さわぎと同時にすばやく避難ひなんしたのだろうか? 普段ふだんから、こういったテロ行為こういに対する避難ひなん訓練をしていたのかもしれない。

春樹は、デスクの間をずかずか歩いてオフィスのおくにすすんだ。我ながら慎重しんちょうさを欠いていると思ったけど、今さらかくれする人たちを相手にビクビクしているヒマもない。

だれか……いるのか?」

春樹がささやくように声をかけたそのとき、その「だれか」がさけびながら春樹におそいかかってきたので、春樹もがってさけんでしまった。

デスクの下にかくれていたリク勇太は、春樹があらわれると同時に立ちあがり、手近にあった椅子いすを両手で持ち上げた。進学校に通う生徒の中ではとびきり力持ちな勇太でも、重いオフィスチェアは制御せいぎょできなかったようだ。春樹が一歩さがっただけで、椅子いすは空を切って、ゆかのカーペットをたたいた。はねえった椅子いすこしにぶつかったけど、ちょうどクッションの部分だったので助かった(ちなみにクッションは、椅子いすだけでなく、春樹のこし回りにもあった)。

「やめろ!」
 春樹は言った。
ぼくはテロリストじゃない!」

よく見ると、デスクのかげにもうふたりがせていた。暗がりで見えづらいけど、由比と明日香あすかにちがいなかった。勇太をはじめ、三人ともぼくの姿を見てさけんでいた。

「静かに!」
 春樹は、なるべく外にもれないような、それでいて少し大きめな声を出して三人をし留めた。
「うるさいぞ! だまれ、だまるんだ! 大丈夫だいじょうぶだから!」

自分もさけんだことそっちのけで、春樹は三人に命令した。春樹のことを思い出したのか、まもなくかれらの声は止んだ。なにか信じがたいものでも見るかのようにぼくの顔をながめたまま三人は固まっていた。

春樹も落ち着きをとりもどすと、三人の姿を改めて見た。勇太はぼくをにらんでいた。ふるえるかれの手は、無意識のうちに新たな武器を探してデスクの上をさまよっている。由比と明日香あすかは、ゆかにへたりこんだままってぼくを見上げていた。春樹はホッと胸をなでおろした。この三人とまた会えるとは! 今日会ったばかりの人たちなのに、春樹は、はなばなれになった家族と再会したような面持ちになった。

「ど、ど……」
 春樹の頭をはたき割ろうとした時の形相そのままに勇太はたずねた。
「どうしてお前がここに?」

「発電施設しせつして、ぼくは下のフロアにいたんだ」
 春樹は答えた。
「そこで、ユウナ博士の命をねらうテロリストがタワーに侵入しんにゅうしてきたのを目撃もくげきして……みんなが心配でもどってきたんだ。上でいったい何があったんだ?」

「発電施設しせつに、仮面をかぶった人たちがせたの」
 口火を開いたのは明日香あすかだった。
 地面にへたりこんだままだったけど、由比の体をはなしてから、しっかりとした口調で話し始めた。
「その人たち、いきなり暴れ初めて……そこにいた作業員の人たちが次々におそわれた……何がなんだかぜんぜんわからなかった。私たちは、たまたまはなれた場所にいて……融合ゆうごう制御せいぎょ端末たんまつの下にかくれることができて、やつらには見つからなかったの」

「それでどうなったんだ?」

「あのバケモノども、発電施設しせつおくに進んで、別のところに行っちまった」
 明日香あすかが話しているうちに落ち着きをもどしたのだろう、勇太が説明をいだ。
「たぶん、作業員たちをおどして、博士の居場所を聞き出したんだ。おれたち、やつらがもどってくる前にここまでげてきた」

「秋人と父さんは?」
 春樹は言った。
 正直なところ、それだけが本題だった。
「まさかここにいないのか?」

「秋人は、おれたちといっしょに来なかった」
 勇太は言った。

「どうして?」

「シャン博士のところに向かったんだ。シャン博士は、その時にはもう施設しせつから退室していて……秋人は、オヤジに危険を知らせると言って……あいつ、バカだ。仮面のヤツらと同じ方向に走っていっちまった」

「父さんは、ユウナ博士といっしょにいるのか?」

「わからない……」

「そうか……」

春樹は、ため息をつきながら手近にあった椅子いすを引き寄せてそこに座った。それからすぐに自分のマヌケさに気づき、明日香あすかたちにならってデスクの下にうずくまった。頭を高くしたままはなむのも、のんきに椅子いすに座るのも、走ってくる車に気づかないはとと同じくらいけている。勇太もあわててデスクにかくれた。

「さっき、牛仮面の男がこのフロアにいた」
 春樹は声を落として言った。
「君たちもさわぎを聞きつけてここにかくれたんだろ? このままこの場所にいるんだ。だれかが来ても絶対に立ち向かうな。かくれているのが一番安全だ。ぼくは秋人たちをむかえにいってくる」

「まて!」
 と、勇太が言った。
 春樹の身を案じての「待て」というわけでなはないことくらい春樹はわかっていた。
「ここが安全だって? テロリストがこのフロアをうろついていたのに? 現におれたちは、お前に見つかった!」

そう言われると自信はなかった。そもそも安全な場所なんてどこにもないだろう。

「タワーから脱出だっしゅつする気か?」
 春樹はたずねた。

それが由比と明日香あすかの同意をふくめたものかはわからないけれど、少なくとも勇太はうなずいてみせた。

「だったら非常階段を下りればいい。東とうおくにもあるはずだ」

「ふざけるな。仮面のヤツらは、きっと非常階段で移動しているんだ。見張りだっているかもしれない」

「なら西とうに行け」
 春樹は言った。
「あっちの非常階段は、もぬけのからだった。テロリストたちは、ユウナ博士のいる東とうに集中しているんだ。ぼくがここまで来たのと同じ道順で行けば、階段までだれとも出くわさないと思う。君たちだけで行けるか?」

返事はわかりきったものだった。ぼくが三人の立場だったら、安全な道順を知っているぼくにすがりつくだろう。

「君たちふたりはどうだ?」
 春樹は、由比と明日香あすかに顔を向けた。
「タワーから脱出だっしゅつするつもりなのか?」

「ここにいるのはイヤ」
 明日香あすかは言った。

その明日香あすかにつられただけなのかもしれないが、由比もコクコクと首を縦にふっていた。


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