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{ 10: テロの架け橋 }

{ 第1話 , 前回: 第9話 }

悪寒はいまや動悸どうきとなって春樹をおそっていた。胸が苦しい。口を閉じることができず、おくから熱い息がれ出てくる。このままたおれてしまいそうだ。

一方で春樹は、自分の様子を天井てんじょうからながめているもうひとりの自分がいることに気づいていた。天井てんじょうの自分は、急にクラクラしたのにはおどろいたけど、このくらいの発作は毎朝起きているじゃないかと、そんなふうに言っている。この場でじっとしていれば、そのうち発作は収まるはずだ。どんなに悲惨ひさんな夢を見ても、ぼくは朝になればとちゃんと目覚めるし、救急車さわぎだって起こしたことはない。

春樹の予測は当った。まもなく動悸どうきが収まってきた。春樹は、半ばムリヤリに息を吸って、一度息を止めた。それからゆっくり息をし、深呼吸をくり返して体中に新鮮しんせんな空気をわたらせた。手あせは残り、心臓は早鐘はやがねを打ったままだけど、問題はなさそうだ。

「部屋の中で……何かが起こっている?」

どうしてそう思うのかはわからないし、理由を考えても意味はなさそうだ。とにかく、そう思うのだ。

わけがわからなかったけど、一つだけ確かなことがあるとしたら、目の前のとびらを開けることで、すべて明らかになるということだ。果たして悪夢の原因となった「何か」がそこにあるのか? それとも変圧器が整然と並んでいるだけで、春樹の思い過ごしだったと判明するのか? 春樹は迷ったけど、「まずは行動を起こさなくちゃ」という秋人の言葉を思い出し、再びドアノブに手をかけた。

かぎがかかっていたら引き返すと秋人に約束していた。かぎがかかっていますように、かぎがかかっていますように……そういのりながら春樹はドアノブを回した。

電気室のとびらは、カチャリと開いた。

廊下ろうかよりもさらに暗かった。何も見えず、春樹はくした。暗闇くらやみに目が慣れるまで待ち、中の様子がわかるようになると、今度は悲鳴を上げそうになった。

部屋は惨状さんじょうと呼ぶべき有り様だった。そこにあったモノ全てが、破壊はかいされていたのだ。本来であれば、変圧器をしまっている筐体きょうたいが、ロッカールームのように整然と並んでいるはずなのに、何もかもがぐちゃぐちゃで、ゆか残骸ざんがいがちらかっていた。

「い……いったい何が?」

春樹は変圧器のひとつに近づいた。ふたがひしゃげ、ムリヤリこじ開けられたあとがあった。操作ばんの上にある計器とスイッチはつぶされ、ケーブルや電子部品も、魚のハラワタのように中から引きずり出されていた。

爆弾ばくだんがこの部屋で爆発ばくはつしたのだと思った。けれど、すぐにその考えは間違まちがいだと気づいた。爆弾ばくだんであれば、とこかべにも爆発ばくはつ傷跡きずあとが残るはずなのに、その痕跡こんせきはなかったからだ。どちらかといえば、子どもがダダをこねて暴れまわったかのようだった。でも変圧器は子どもがこわせるようなシロモノじゃない。それどころか、おとなが数人がかりでハンマーを持ってやったところで、こうはならないというくらい部屋はてていた。

おくに何かが転がっていた。初めそれがなにかわからなかったし、できればわからないまま一生を終えたかった。でも目をそむけるわけにもいかず、確かめるほかなかった。転がっているそれには、見当ちがいの方向に折れ曲がった状態で手足が付いていた。

春樹はをこらえながら、ゆかに散乱している機械の残骸ざんがいけてそちらに進んだ。それのすぐそばに立ち、念のため本当に人間なのか確かめた。生きているかどうかどうかを確かめる必要はなかった。電気室のゆかに転がっているのは、まごうことなき死体だった。

作業服を着た男だった。この電気室の管理人だろうか? つい先ほどまで……部屋がこんな有様になるまで……ここで仕事をしていたのかもしれない。体は仰向あおむけで、パントマイムよろしく珍妙ちんみょうなポーズで転がっていた。顔はよくわからなかった。顔だけが地面の方を向いていたからだ。

部屋が破壊はかいされていただけでも尋常じんじょうじゃないのに、首のねじれた死体があるだなんて、思考の追いつける事態ではなかった。ふりかえってそうとした。ただ、ギーという音とともにとびらがゆっくり開き出したので、春樹は足を止めて変圧器の裏にかくれた。かくれる必要はなかったかもしれないが、そうせざるをえなかった。だって、もしこの近くにだれかがいるとしたら、この人を殺したヤツかもしれない……

足音をさせながらだれかが部屋に入ってきた。そのだれかは、春樹がそうしたように辺りを見渡みわたし、それから口を開いた。

「いるんだろう? 出てこい……」

とうてい返事をする気になれなかった。破壊はかいつくされた部屋と死体とを見て、最初に出てくる言葉じゃない。春樹は地べたに座り、ひざを胸にかかえこんで、できるだけ小さくなろうとした。こわれた筐体きょうたいは、春樹の体をかくすには不十分で、おかげで鼻から上が全部はみ出ていた。

春樹は声のするほうに目をやった。暗闇くらやみの中でも、廊下ろうかの非常灯に照らされた男の姿が見えた。やはりというか、なんというか、偶然ぐうぜんここを通った作業員とはとても思えない格好をしていた。

男は、犬の仮面をかぶっていた。仮面は二本の角を生やし、さながらおにを模した犬の仮装といったとろだ。深いシワが山脈のようにヒタイを横断し、寄り目がちで、犬の表情は激怒げきどしていた。男は、春樹がこれまで見たこともないような巨漢きょかんで、身長は二メートルくらいあった。それだけでもビックリなのに、何よりおどろいたのは、その男が真っ赤なかみをしていたことだ。

「赤……?」

春樹はこのままかくれることにした。仮面をかぶり、常人ばなれした体つきで、かみを染めているというだけで殺人鬼さつじんきあつかいするのは早計かもしれないが、それは不審ふしん者を直に見たことのない人の意見だ。春樹だって不審ふしん者にちがいないけれど、少なくとも作業員らしい服を着て、場にもうとした。しかしこの男は、みょうちくりんな仮面をかぶってこの場に参上している。そんなヤツには、ぜったいに見つかっちゃいけない。

さっさと出てこい!

大男が部屋の中に大股おおまたで一歩入った。春樹の心臓はがった。何をされたわけでもないのに、男がこわくてしかたなかった。

「赤いかみ? 首の折れた死体? いったいなんだってんだ!」

そんなふうにさけんで走り出したかった。男の横を全速力でけ、この場からげるのだ。だけど、そんなことできそうになかった。電気室のとびらは、男の巨体きょたいで完全にふさがっている。

春樹がその場で縮こまったままふるえていると、別の声がした。

「おい、そこで何をしている?」

今度は女の声だった。知り合いに話しかけているような調子で、警備員とは思えなかった。

とびらの向こうにその女の姿が見えた。犬面の仲間だと、春樹は確信した。女は、二本角の生えたきつねの仮面をかぶっていた。やはり相手を威圧いあつするおにの形相をしていた。男とちがって細身ではあるものの、それでも春樹よりずっと背が高く、目測で百八十センチくらいありそうだ。それに、クセのある赤いかみを仮面の上で波打たせている。

「閉めたはずのとびらが開いていた。中にだれかがいると思ってな……」
 犬面の男は言った。

「だからなんだ? ネズミなんて放っておけ」
 きつね面の女は言った。

「ネズミじゃない。ここにいるのは人間だ。なおさら駆除くじょする必要がある」

「ネズミと同じで一ひきひき相手にしていたらキリがない。ここにいた者だって殺す必要はなかった」

「人間どもをかばうのか?」

「力をムダ使いするなと言っているだけだ」
 女は言った。
「我々の目的は、ユウナを殺すことだ。そのために準備をし、力をたくわえてきたのだ。お前は自分の役目を理解しているのだろうな?」

「当たり前だ。ちょいとひと暴れするだけだろうが……」

「それだけじゃない。人間どもをのがさないようにつかまえて人質にする。我々が治安隊をひきつけて、 敵の戦力を分散させるんだ。ヤツらとの戦闘せんとうになるまで力をたくわえておけ。わかったな?」

「わかっている……」
 えらそうされるのがかんに障るのだろう、犬面の男はかなり不機嫌ふきげんだった。

その時だった。ジリジリジリというけたたましい音が辺り一帯で鳴った。緊急きんきゅう事態を知らせるための警報で、春樹はその音におどろいて声を上げそうになったけど、すんでのところでこたえた。

動物面のふたりはたがいに顔を見合わせた。

「始まった……行くぞ」
 きつね面の女が言った。

「あぁ……」
 犬面の男がうなずいた。

とたんに二人の姿が消えた。走り去ったというよりも、文字通り忽然こつぜんと消えさった。そのあまりの早さに春樹は自分がまぼろしを見ていたのではと思ったほどだ。だけど、ゆかの死体は消えないまま残っていた。


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