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{ 5: カンパニー・タワー }

{ 第1話 , 前回: 第4話 }

どこからでも見ることのできる建てものが、東京にふたつある。

そのうちのひとつが、「カンパニー・タワー」だ。アジア・エネルギー・カンパニーが本社をかまえるオフィスビルで、千メートルくらいある。新宿のど真ん中に鉄骨とガラスでできた棍棒こんぼうをぶっしたような巨大きょだい建造物で、すでにあった無数のビルやマンションを「じゃまだ」という理由で軒並のきなみ解体した上で、そこに建てられたそうな。ほかの施設しせつをわざわざつぶしただけあり、地上から中層階にかけてレストランやアパレルショップ、区役所や図書館があり、はては病院や水族館、屋内庭園、ホテルまでもがタワーの中に作られていた。

五十階から上がやっとカンパニーの本社となり、オフィスはもちろんとして、研究施設しせつや社員の住居もふくまれている。カンパニーで働いている人たちは、その気になればビルから一歩もでなくたって生涯しょうがいを健康的に過ごせる。ビルそのものが一個の街というわけだ。

夏の平日の午後一時、春樹はその街を訪れた。

春樹は、カンパニー・エントランスへの直通エレベーターの中で、窓にはりついて外をながめていた。地上三百メートルの高さともなれば、世界最大の街並みを海のように見渡みわたせた。でも、このタワーと比べると、どの建てものもみつぶせるほど小さく見えて物足りなかった。

タワーを上回る建てものがひとつだけあった。遠く江東こうとう区にあるというのに、このエレベーターからでさえ見上げなければならないほど巨大きょだいな建造物である。カンパニー・タワーを最新鋭しんえいのガラス細工のような建築とするならば、「黒いとう」と呼ばれるその建てものは、まるで鉄の棍棒こんぼうだった。

それは、ビルではなかった。「とう」という名の示すとおり、ただひたすら床と壁を積み上げていくうちに、いつしか空まで届いてしまった代物で、もはや月をもささんばかりの鉄筋のかたまりである。東京のどこからでも見ることのできる建てもの、そのふたつ目だ。

エレベーターがのぼるにつれ、ふもとの森林公園は十円玉くらいの大きさになり、新宿の摩天楼まてんろうさえも足元で転がるオモチャのようなのに、黒いとうだけは変わらぬ存在感で春樹の目に映りつづけていた。遠くにあるのに、まるですぐそばで見上げているようだ。東京で暮らしている人たち全員が、とうを見るたびに春樹とおなじように感じているはずだ。

「わるい子のところには、こわいオバケがやってきて黒いとうに連れ去ってしまう……」

春樹がまだ幼かったころ、母さんは、そんなふうに言ってぼくたち兄弟をしかったものだ。そのおどしがやたらとこわくて、母さんが亡くなって十年経った今でも、春樹はたまにふるえそうになる。あのとうなら、この世ならざる者たちがうろついていても不思議ではないからだ。

黒いとうについて「いったいなにが不思議なのか」とかれれば、答えは「なにもかも」だ。なんとなれば、だれとうを建てたのか、だれも知らないのだ。とうの建造がいつから始まったのかさえ、意見はバラバラだった。だいたい五百年前から始まったという者もいれば、いやいや千年ほど前からこの地にあったと主張する者もいた。なにしろ気がついたらとうは高さを増していて、少なくとも数百年かけて増築されてきたものだから、すでに完成しているのかすらわからないのだ。確実にわかっていることがあるとすれば、高さは千三百メートに達し、カンパニー・タワーよりさらに高いということくらいか。

とうの中に何があるのか春樹は知らない。そこでは「死者が徘徊はいかいする」とも、「テロリストが立てこもっている」とも、「バケモノが人間のマネをして、街を作って暮らしている」とも言われ、奇怪きかいなうわさは絶えなかった。春樹のような未成年は、とうに近づくことすら許されておらず、おとなたちは、とうのこととなると口を閉ざしてしまう。

「黒いとう」で暮らしているのは何者なのか? 死者、テロリスト、バケモノ……いずれにしろ、不吉ふきつな何かだろう。

不吉ふきつといえば、地下鉄で見たあの赤い目……」

おかしな考えがよぎったので、春樹はあわてて頭をふった。それから、あれはまぼろしだったと、改めて自分に言い聞かせた。エレベーターが、五十階の「カンパニー・エントランス」に到着とうちゃくした。

秋人たちは、先にエントランスホールに到着していた。秋人もふくめて男ふたり、女ふたり、あわせて四人が春樹を待っていた。

人混みの中でも秋人たちはすぐに見つかった。世界に名だたる企業きぎょうなだけあって、ここは空港かと見紛みまがうばかりに人であふれていたけれど、学生は秋人たちだけだったからだ。秋人は、カフェのテラス席で同級生たちとコーヒーを飲んでいた。春樹の到着とうちゃくに気づくと、大げさに手をふった。

春樹は、無意識のうちに秋人から借りたネクタイに手をばした。そのことに気づくと、あわてて首元から手をはなした。緊張きんちょうからエレベータの中で何度も結び直したせいで、ネクタイの結び目は石のように固くなっていた。春樹は、これから弟の高校の生徒のフリをして、企業きぎょう見学をする予定なのだ。

「春樹! こっちだ!」

そんなこと言われなくたってわかっているのに秋人は声を上げた。たのむから今はぼくの名前を呼ばないでくれと思いながら、春樹はあしでそちらに向かった。

紹介しょうかいするよ!」
 春樹が空いている席に座ると、秋人が言った。
「右から順番に、リク勇太、ワン由比、それからステファン明日香あすかだ」

リク勇太は、秋人と同じくらい背の高い青年で、肩幅かたはばもあるので何かスポーツをやっているのだろう。真ん中のワン由比は、背の低い女の子で、かみは短めでおとなしそうだ。対して、秋人のとなりに座っていたステファン明日香あすかは、かみが長かった。

明日香あすかは、ただひとり春樹に向かって笑いかけていた。その笑顔に見とれていたせいで、他のふたりが「よろしく」だの「はじめまして」だの口々に挨拶あいさつをしていたのを春樹は聞きのがしていた。

「こっちは、シャン春樹だ」
 秋人が春樹のかたに手を置いた。
おれの兄貴で、ビル設備マニアだ」

「はじめまして、兄の春樹です! 趣味しゅみはボイラー、特技は配電ばんです」

だれも何も答えず、シーンとなった。勇太と由比のふたりは「はぁ?」と言いたげで、明日香あすかだけは笑顔のままだったけど、口元がやや引きつっていた。

「おい、ぜんぜんウケないぞ?」
 春樹は言った。

おれのせいにするな」
 秋人は言った。
 それから仕切り直すように手をたたいた。
「さぁ、おたがいをよく知ったところで、受付をすませよう。レセプション・デスクはどこにあるんだ?」

「もう一つ上のフロアだよ。あそこのエスカレーターで上ったら真正面にレセプションがある」
 春樹は言った。

「ここに来たことがあるの?」
 明日香あすかたずねた。

「おう、一年前にも来たんだ」

と、春樹は答えようとしたけれど、急に話しかけられてびっくりしてしまい、「い、イッち……」みたいにまごついていたら、代わりに秋人がそう返事をした。エスカレーターに向かって歩き出した明日香あすかの背中をボーッと見つめていると、秋人が春樹のかたをつかんで引き寄せた。

「どうだ? いいコだろう」

「うん、そうだね……」

おれたち、つきあってるんだ」

「はぁ?」
 春樹は声をあげた。
「聞いてないぞ!」

「いま言っただろう?」

それだけ言うと、秋人はスタコラ進んで明日香あすかのとなりを歩いた。

「あ、秋人のやつ……」
 ふたりの背中を見ながら春樹はうらみがましく言った。
ぼくをおどろかせたくてだまっていたな」

エスカレーターでは、秋人と明日香あすかが並んでに乗った。ふたりの後ろを歩いていた春樹は、ワン由比に道をゆずった。

「お先にどうぞ」

「ありがと」

由比は、春樹に笑いかけながらエスカレーターに乗った。なんてステキな笑顔なんだ、どうして今まで気づかなかったんだろう……と春樹は思った。続いてエスカレータに乗ろうとすると、すかさずリク勇太が割りこんできて、由比のとなりに立った。それから、春樹のことなんかすっかり忘れて、ふたりで話しこんだ。

「まあね……こうなることは初めからわかっていたじゃないか」

ひとり納得したようにつぶやきながら、春樹はエスカレーターに乗った。


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