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ショートショート:「朧夜屋捕物帳~千の顔を持つ男~」
【前書き】
皆様、お疲れ様です。
カナモノです。
個人的に好きなテイストのミステリーの続きを書いてみました。
少しの間でも、誰かに寄り添えることを願います。
【朧夜屋捕物帳~千の顔を持つ男~】
作:カナモノユウキ
《登場人物》
・詐欺師—― "千の顔"を持ち、無数の偽名で生きてきた男。自分の本当の顔を忘れ最終的に"無"へと消える。
・東風(あゆ)── 朧夜屋の店主。
"罪の査定人"として贋作師を追い詰め、「本物になる」という罰を与える。
妖艶で理知的な存在。
のれんをくぐった瞬間、湿った夜の匂いが薄れた。
空気が違う。外とは別の時間が流れているような、そんな感覚。
カウンターの向こう、店主らしき男が湯飲みを傾けた。
「いらっしゃい。」
静かだ。人の出入りが多い店ではないのかもしれない。
俺は軽く咳払いをして、席に腰を下ろした。
「……ここが、噂の店か。」
店主は何も言わず、ただ小さく頷いた。
「朧夜屋……だったか?」
「ええ。」
「妙な噂を聞いた」
「どんな?」
「罪を査定する店、だと」
店主──東風(あゆ)は、湯呑みを置いた。
「誰から聞きました?」
「さあな。噂ってのは、どこからともなく流れてくるものだろ。」
俺は肩をすくめる。
「だが、面白そうだった。自分の"罪"とやらが、どんな価値を持つのか……知りたくなったんだよ」
東風は湯呑みを傾け、しばらく黙った。
「ならば、お引き受けしましょう。」
そう言って、俺を見た。
「まず、お名前を・」
「……名前ね・」
俺は薄く笑った。
「どれを名乗ればいいんだろうな」
東風は微かに眉を上げた。
「それは?」
「俺は……いや、俺たちは、いろんな名前を持ってるんだよ。」
ポケットから、数枚の紙を取り出した。
偽造された身分証のコピーだ。
実業家、刑事、投資家、医者──どれも俺の名前だ。
「ずっとこうして生きてきた。本当の名前なんて、もう忘れたさ」
東風は静かに湯呑みを置く。
「では、"本当の顔"は?」
「……は?」
「あなたの"素顔"です。」
俺は、言葉を失った。
「査定を始めましょう。」
東風は言った。
その声に、妙な重みがあった。
「あなたが奪ったものを、正しく計りましょう。」
俺は思わず笑った。
「奪ったもの、ね。そんな大層なもんじゃない。」
「そう思いますか?」
「ああ。」
「では、お聞きします。あなたの詐欺によって、人生を狂わされた人は何人います?」
「さあな。いちいち数えてねえよ。」
「でしょうね。」
東風は、カウンターを指でなぞった。
「詐欺とは、金を奪う行為ではありません。」
「ほう?」
「あなたが奪ったのは、"人生"です。」
一瞬、胸の奥がざらついた。
こいつ、何を言ってやがる。
「言われなくても分かってるさ。」
「いいえ。あなたは分かっていません。」
東風は、奥から何かを取り出した。
それは、小さな手鏡だった。
「これを覗いてください。」
「……鏡?」
「あなたの"本当の顔"が映ります。」
俺は、鼻で笑いながらそれを手に取った。
そして──
目の前が、ぐらりと揺れた。
「これを覗いてください。」
東風が差し出した手鏡を、俺は鼻で笑いながら手に取った。
何の変哲もない、古びた鏡だった。
「これが俺の"本当の顔"を映すってか。」
「ええ。あなたが今までどの顔で生きてきたのか、それが分かるでしょう。」
「はいはい、お手並み拝見ってわけだな。」
気楽な調子で鏡を覗く。
……そして、一瞬、息が止まった。
鏡の中に映る顔が、"俺じゃない"。
「……は?」
思わず声が漏れる。
鏡に映るのは、俺が今使っている"顔"じゃなかった。
見覚えのない、別の男の顔がそこにあった。
「おい、これ……どうなってんだ?」
「あなたの"顔"です。」
東風は何も変わらない調子で答える。
「は? 何言ってやがる。これは俺じゃねえだろ。」
俺は目を細めて、もう一度鏡を覗き込む。
……いや、違う。これは、"知っている顔"だ。
昔、偽の投資会社を立ち上げたときに使っていた名前の男。
そのときの"俺"だ。
ぞくり、と背筋に冷たいものが走る。
そんな馬鹿な。
俺は思わず鏡を傾けた。
映る顔が変わった。
今度は、別の男がそこにいた。
あの日、刑事を騙って金を巻き上げたときの"俺"だった。
「……ふざけんな。」
手元が震える。
「どうしました?」
「これ、トリックだろ。」
「いいえ。」
「ふざけんな……こんなもの、見せかけだ。」
鏡を強く握りしめる。
「あなたが"見せかけ"の人生を送ってきた結果ですよ。」
東風の声が、静かに響いた。
「あなたは今、誰ですか。」
東風が問いかける。
「……俺は……。」
言葉が、喉の奥に引っかかる。
誰だ?
どの名前を言えばいい?
俺は、何者だ?
「……っ。」
鏡を床に叩きつけた。
──割れない。
音すらしない。
ただ、静かにそこに横たわっている。
「何なんだよ、これは……。」
「これは、あなた自身です。」
東風は湯呑みを傾ける。
「あなたは今まで、千の名前を持ち、千の顔を生きてきた。 でも、"本当の顔"を捨ててしまった。」
俺の顔の皮膚が、じりじりと熱を帯びる。
まるで"誰かの顔"が俺の上に貼り付いているような、そんな感覚。
「……冗談じゃねえ……。」
俺は、拳を握りしめた。
「こんなもん、ただの鏡だ。俺の顔は……俺の顔は……!」
「では、今ここで"本当の名前"を言ってみてください。」
東風が、優しく言う。
「……は?」
「あなたが"生まれたときに持っていた、本当の名前"です。」
俺は口を開いた。
……言葉が、出ない。
「……っ……。」
声にならない声が、喉の奥で絡みつく。
まるで、そこに名前なんて最初から存在していなかったみたいに。
「あなたには、もう"本当の名前"がないんです。」
東風の言葉が、静かに落ちた。
俺は無意識に、鏡を拾い上げた。
そこに映る顔は、誰のものでもなかった。
目も、鼻も、口もない。
のっぺりとした皮膚だけが、鏡の中に映っていた。
「……なんだ、これ……。」
息が詰まる。
「これは、あなたが選んだ人生の結果です。」
「嘘だ……こんなことが……あるわけが……。」
「"千の顔"を持った結果、"本当の顔"を失ったのですよ。」
東風は、穏やかに微笑んだ。
俺は、叫び声を上げることもできなかった。
俺は、もう一度、鏡を覗き込んだ。
そこに映るのは──何の特徴もない、のっぺりとした"顔"だった。
「……冗談だろ。」
喉が詰まるような感覚。
呼吸が浅くなり、額にじわりと汗が滲む。
「こんなもん、何かの間違いだ。」
「間違いではありません。」
東風が静かに答える。
「あなたが選び続けた人生の結果です。」
「違う……こんなはずじゃ……。」
俺は、無意識に頬を触った。
だが、手のひらに伝わる感触が"自分のもの"とは思えない。
「俺は……俺は……。」
何かを言おうとする。
だが、言葉が出てこない。
俺の名前は……?
「……思い出せませんか。」
東風の声が、まるで何かを試すように響く。
「うるせえ……!」
叫びながら、鏡を床に叩きつけた。
だが──割れない。
歪むことも、揺れることもない。
ただ、静かにそこに横たわっている。
「……っ……何なんだよ、これは……!」
「これは、あなた自身です。」
東風は淡々と告げる。
「あなたは今まで、千の名前を持ち、千の顔を生きてきた。
その結果、"本当の顔"を捨ててしまったのです。」
「……そんなわけが……。」
「では、証明してみますか?」
東風はそう言うと、俺に向かって、はっきりと問いを投げた。
「あなたの"本当の名前"を言ってみてください。」
俺は、息を呑む。
「……っ……。」
喉が張り付いたように動かない。
頭の奥を必死に探る。
俺の名前は……俺の……。
──出てこない。
「……言えないのですね。」
東風の声が、妙に遠く聞こえた。
足元が、ふらついた。
全身がじわじわと冷えていく。
まるで、自分という存在が"消えていく"ような感覚。
俺は、"誰"なんだ……?
これまでの人生で、いくつもの名前を名乗った。
だが、どれも"借り物"だ。
じゃあ、本当の"俺"は?
……答えが、ない。
「あなたは"千の顔"を持ち、"誰でもない存在"になったのです。」
東風の言葉が、重く響く。
いやだ。
俺は、俺だ。
……だが、その"俺"が"誰"なのかが分からない。
鏡を拾い上げる。
そこに映るのは──影だった。
輪郭だけの、黒い影。
「……嘘だろ……。」
息が詰まる。
「これは、あなた自身の姿です。」
東風の視線が、俺の指先へと向けられる。
俺は、自分の手を見た。
──指の形が、ぼやけていた。
何かが、壊れる音がした。
それが"何"なのかは、分からない。
「"千の顔"を持った結果、"本当の顔"を失ったのですよ。」
東風は、静かに微笑んだ。
俺は、もう、何も言えなかった。
足元がふらつく。
目の前の景色が、ぼやける。
「……何なんだよ、これ。」
俺の手は、まだそこにある。
だが、指の形が曖昧だ。
まるで、輪郭が崩れていくみたいに。
違う、こんなの……ただの錯覚だろう?
俺はここにいる。間違いなく、"俺"として存在している。
「……戻せ。」
俺は東風を睨んだ。
「今すぐ元に戻せ。こんなふざけたマジック、俺には通用しねえんだよ。」
「戻す?」
東風は、小さく首を傾げた。
「あなたは、今"誰"なのですか。」
「……っ。」
「あなたが"何者"なのか、どうやって証明しますか。」
証明?
簡単だ。俺は俺で──
……あれ?
"俺"って、誰だ?
「思い出せないのですね。」
東風の言葉が、妙に遠く聞こえた。
「あなたは"千の顔"を持ち、"誰でもない存在"になった。」
「違う……俺は……俺は……。」
声が震える。
「名前を、言ってみてください。」
「……っ……。」
口を開こうとする。
だが、喉が張り付いたように動かない。
頭の奥を必死に探る。
俺の名前は……俺の……。
──出てこない。
「あなたには、もう"あなた"がいない。」
東風の声が、無慈悲に落ちた。
「……ふざけるなよ。」
俺は拳を握りしめた。
「こんなの、ただの催眠術か何かだろ。」
「違います。」
「お前が仕組んだんだろうが!」
カウンターを強く叩く。
だが、俺の手のひらには"実感"がなかった。
まるで、空気を殴ったような感触だけが残る。
東風は静かに首を振る。
「これは、あなたが自分で選んだ結果です。」
「そんなわけ……。」
「あなたは"千の顔"を使い、"千の名前"を騙り、"千の嘘"を紡いできた。」
「……だから、何だよ。」
「そして、"本当のあなた"を捨ててしまった。」
喉が詰まる。
「あなたの"本当の顔"は、もうどこにもありません。」
俺は、ただ言葉を失った。
「査定結果を申し上げます。」
東風は、淡々と告げる。
「あなたの"価値"は、"無"です。」
──"無"。
「存在の重みがない。"あなたという人間"は、最初からいなかったも同じです。」
「……そんなこと、あるわけねえだろ……。」
俺は、目の前の男を睨みつける。
「俺は、確かにここにいる……!」
「それは、あなたがそう"思い込んでいた"だけです。」
「黙れ!!」
叫んだ。
だが、その声が──妙に遠く聞こえた。
俺は店を飛び出した。
路地を駆ける。
冷たい夜風が頬をかすめるが、"肌の感覚"がない。
心臓が高鳴る。
鼓動が耳に響く。
──俺は、いる。まだ、ここにいる。
だが──
すれ違う通行人が、俺を見ない。
「……おい。」
立ち止まり、男の肩を掴んだ。
だが──俺の手は、"空を掴んだ"。
手応えがない。
「な……。」
男は、何事もなかったように歩き去る。
誰も──俺を見ない。
ショーウィンドウの前に立つ。
映るはずの俺の姿が、"ない"。
どこを見ても、誰を見ても、"俺"がいない。
通行人に向かって叫ぶ。
「俺は……ここにいる……!!」
だが、誰も振り向かない。
俺の声が、誰の耳にも届かない。
……いや、違う。
"俺自身"にすら、"俺の声"が聞こえていない。
足が震える。
俺は、いるのか?
"俺"とは、誰だ?
"俺"なんて、最初からいなかった?
いや……そんなはずはない。
だって、"俺"は──
──俺は……
……
…………
……………………
朧夜屋の暖簾が、静かに揺れる。
カウンターの向こう、東風は茶を淹れながら、静かに目を閉じた。
「査定、完了です。」
【あとがき】
最後まで読んでくださった方々、
誠にありがとうございます。
今回も難しかったぁあああああああああああ!
では次の作品も楽しんで頂けることを、祈ります。
お疲れ様でした。
カナモノユウキ
【おまけ】
横書きが正直苦手な方、僕もです。
宜しければ縦書きのデータご用意したので、そちらもどうぞ。
《作品利用について》
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