エピソード1 (日進月歩 輝&輝の15年)
結成の日
さて、輝&輝の結成は2008年4月6日。
この日は津軽三味線の全国大会が日比谷公会堂で行われていました。いわゆる東京大会です。
この年に2人とも大学入学のために上京し、親元を離れて東京での新生活がスタートしました。
この時代の津軽三味線を弾く10代にとって、同世代の仲間を見つける手段は同じ会に所属するか、このような全国大会に出場するか、という感じだったので大会に出場する私たちは高校時代からメル友でした。メル友。。。
(今はTwitterやインスタで簡単に連絡が取れるので、大会に出る出ない関係なく輪を広げやすくなってるなと感じます。)
大会で久々の再会を果たしキャピキャピと上京したことを喜んでいると、周りの大人たちから一言。
「せっかく同い年だから何か2人でやれば?」
この時の私の心情は、「声をかけるまでにも一苦労だったのに、こんな簡単に一緒に三味線弾く約束なんかして大丈夫か!?」でした。
参考資料↓笑
話の流れから、とりあえず次に会う日と場所を決め、数日後に渋谷で会うことになりました。
それまで私は、同世代の人と三味線を弾くというのは同門の人としか経験がなく、当時は他流派同士で何かをやるということが御法度まではいかないまでも慎重に進めなくてはいけない空気感が漂っていたので、結構な緊張でした。
でも、その辺りぴーちゃんは子どものころから流派を超えて幅広い人たちと交流があり、ノリ良く「面白そう!やろう!いつにする?」と話を進めてくれました。この時代からするとかなり最先端な気持ちの持ち主でした。
ここまでひかりさんにも読んでいただきましたので、直接インタビューしてみましょう。
Q. 周りの三味線仲間(大人)から武田と一緒に何かやれば?と言われた時どう感じましたか?
A. 「おもしろそう!やろう!」
以外何もないね。まじで笑
初めての音出し
渋谷に集合した私たちはカラオケで音を出してみることに。
この時、なんの迷いもなくというかそれしか持ってなかったので私は桐のハードケースを持って東京の街を闊歩して渋谷まで行ったわけですが、後にこのケースとても重いので「桐ケースを持って立川から渋谷まで来た!?」と驚かれていたことが発覚しました。
さて、カラオケで楽器を出してみたものの一緒に弾ける曲といえば津軽三味線の全国統一の合奏曲「六段」くらいのもので、最初は「何をやればいいんだっけ?」状態でした。とりあえず、乱れ弾きをしてみることに。
今まで、大会やCDでぴーちゃんの曲弾きは何度も聴いたことがあったけれど、一緒に弾くとちょっとした間のとり方やふとした時に出てくるフレーズ、ハジキやスクイの奏法の使い所が思いもつかなかったものばかりでとても刺激的でした!!
流派が違うってこういうことなんだ、とその時身をもって感じました。
数回乱れ弾きをして、もちろん最初なので何かまとまるわけでもないのですがこの時はこれだけで大収穫でした。
そして、私たちは次の目標として、名古屋大会のデュオの部に出場しようという目標を立てました。
名前の由来
大会に出場すると決めてからまず1番最初に決めなきゃいけなかったことはユニット名でした。
メールのやり取りでどうする?と何度か相談した気がするのですが、「日本の楽器だし漢字がいいんじゃないか?」ということだけ決まって、電子辞書で思いついた漢字を大学の授業中に入力して検索、検索、検索。(今ならスマホでなんでもできるけれど、この時は電子辞書だったんです。笑)
か:[輝輝(きき)・・・キラキラと輝く様]
っていうの見つけたんだけどどう?
ひ:いいんじゃない!決定!
くらいのやり取りでユニット名が決まりました。
何とズボラな2人…笑
しかも、最初は「輝輝」だったんです。
活動して数年経った頃に総画が31画の方が良いということで一筆書きで書ける「&」を追加しました。[輝輝。]とか[輝☆輝]も候補に出てましたが、やっぱり[輝&輝]で正解だったと思っています。
完全にかっこつけるための後付け理由ですが、&を追加したことにより「他流派で学んだ私たちが新たな輝きを生むために」という感じもより引き立ち、KIKIというのは海外でも発音しやすいようで今ではたくさんの方にKIKIと呼んでもらえることがとても嬉しいです。
まぁ、最初の二十代半ばくらいまでは演奏に出かけると必ず「てるてる」と呼ばれ、「KIKIなんです」と説明しても鼻で笑われたり、バカにされたりするような雰囲気の中で出演しなくてはいけないという状況もあったので、今KIKIという名前が世界に広まったことは誇りに思います。
人前で弾きたい
ユニット名が決まったところで次は曲作りです。
津軽三味線奏者は個性が大切なのですが、最初に作った「輝&輝」という曲は、2人の持ち手の応酬といったところでしょうか。
最初のメロディーをリハーサルの時に持ち寄ったらあっという間に曲が完成しました。
お互いの持つフレーズ感がとても斬新で、普段使わないツボ運びもあり、真似をするだけでかなり良い練習になりました。
曲ができると次の目標は人前で弾くということです。でも、この時の私たちはまだ自分たちで舞台を作るノウハウを全く知りませんでした。
地元ではなんとなく周りの大人たちにチヤホヤされ、人前で弾く機会をあてがってもらっていたので気がつきもしませんでしたが、当たり前にぼーっとしていると人前で弾く機会が全く訪れない。東京で自分たちで舞台を作るとなるとどうやればいいのか全くわかりませんでした。
しかし、不思議なもので弾きたいアピールをしていると周りが気にかけてくれて、高校の同窓会東京支部なるものがありそこで演奏させてもらえたり、他大学のイベントに呼んでもらえたりしました。
熱意が人との出会い運も引き寄せて、ありがたいことにちらほらと演奏させてもらえるようになっていました。
中でも、とても印象的だった演奏を紹介したいと思います。
入谷、魔の11ステージ
大学一年生の時に、「早稲田大学のイベントで演奏を見ました」という方から連絡をいただいきました。
その方は早稲田の卒業生で年は私たちの5つ上、つまり当時は24歳で町おこし的なイベントの運営に携わっている方でした。「入谷の商店街を盛り上げるためのイベントで街のあちこちで音が聞こえるという企画」に参加してほしいというお誘いでした。
ステージに飢えている私たちはとにかく何でも出たいので、一つ返事で参加することを決定。
しかし、細かい内容も聞かずOKしてしまったので、15分を11ステージもやることになるとは気付いてもいないのでした。
このイベントは、入谷商店街にある喫茶店や居酒屋、銀行前など、様々な場所を巡り演奏を数日間繰り返すというものでした。あるときはコンビニのおでんの前で演奏し、ある時はスーパーの牛乳の前で演奏しました。
私たちは別々の大学に通っていたので、授業の合間をぬっての出演。なので、どちらかが早く始めて、途中で合流というスタンスで一日8〜11ステージを三日ほど演奏していました。
しかも入谷という街が下町芸人が多く集う街ということも知らず、安易に足を踏み入れてしまい、当時浅草の民謡酒場追分で働いていた本田浩平さんが自転車に乗ってふらっと現れた時には驚きのあまり目が点でした。まだその頃そんなに深い交流もなかったので、ちゃんとした挨拶もできないままとにかく恥ずかしかったのを覚えています。
たった15分ほどだったのですが、持ち曲がない私たちにとってそれが×11回となるとネタがすぐになくなりました。
今思うと本当にただただ未熟で情けないのですが、このイベントを通して東京で仕事をする心得みたいなものを学ばせてもらった気がします。
東京には本当に色々なチャレンジをしている人がたくさんいて、自ら新しいものを作っていく人たちで溢れている。
この後この出演オファーをしてくださった方は、これから輝&輝がどうやったら良い活動ができるかということを一緒に考えてくださり、仕事獲得のための宣伝パンフレットを作る案をくれました。
今思うと、全員若かったので、本当にすべてが試行錯誤。パンフレットにどんな情報を載せるかということだけでとても悩んだ記憶があります。今の時代ならテンプレートを検索してパパッと作れそうなものですが、頭をハテナだらけにしてとりあえず一歩踏み出す感じは、それはそれでとても貴重な経験だったかもと今は思えます。
宣伝させてください!
かっこ悪いと思いながらも只今【ちょー必死コンサート宣伝月間】なので、コンサートお知らせをさせてください!ぜひ足を運んでいただけたら非常に嬉しいです!!!
よろしくお願いします(土下座)
津軽三味線 輝&輝 15周年コンサート 「日進月歩」 東京公演 太陽編
日時:2023年7月23日(日) 13:15開場/14:00開演
場所:紀尾井ホール小ホール
チケット:一般5000円 学生(小〜大学生)3000円 *未就学児無料
出演:輝&輝(津軽三味線)
福士豊桜(民謡)
瀧北榮山(尺八)
佐々木忍弥(津軽三味線)
■イープラス購入ページURL
https://eplus.jp/sf/detail/3840860001-P0030001
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津軽三味線 輝&輝 15周年コンサート 「日進月歩」 名古屋公演
日時:2023年8月27日(日) 15:00開場/15:30開演
場所:のぶながホール
チケット:一般4000円 学生2000円 *未就学児無料
出演:輝&輝(津軽三味線)
正調津軽三味線(津軽三味線)
福士豊桜(民謡)
伊藤辰哉(キーボード)
鈴木良教(パーカッション)
■イープラス購入ページURL
https://eplus.jp/sf/detail/3848820001-P0030001