coco no omoide
この記事では私がcoconogaccoのプライマリーコース(2023年後期)に半年間通った中で考えたことや思い出を載せています。
はじめに・志望動機
week1 2023/11/11
課題:自己紹介(所要時間2分)
初回はオンラインでイギリスから参加した。YMSビザに当選していて、11/13までの受け取り期限だったから、ギリギリで入国していた。移住したいけど、物価高くて住める家がない。
自己紹介のスライドを画面に出していたものの、今見返すとデザインはダサいし肩書きや所属に安心したい人間だったんだと思う。
イギリスで泊まっていた宿はあんまり良くなくて、すっごい寒いのに屋外から参加した。日本は夜だったけど、イギリスはお昼間で画面の中で自分の後ろに見える秋空が晴れていて結構良かった。寒すぎて、喋りながら震えていたと思う。
オンラインから参加して得られるものはかなり少ない。当然の如く誰の顔も名前も覚えられなかった。話している内容と声は少しだけ印象に残った。
week2 2023/11/25
課題:①マインドマップ②自分を表現したマインドマップのビジュアル化
ちょうどこの時期に引っ越しすることが決まった。シェアスペースに住んでいたのだけど、家賃の値上がりに伴って解約することになった。新しい家を探していたのだけど、いいなと思ったところに直前に住めなくなったり、あまり馴染みのないエリアへの引っ越しとなる。初期費用なしで相場よりもどれだけ固定費を抑えられるかで住むところを選んでいる。
引っ越し前は部屋がすごく散らかって、うまくご飯も食べられなくて、それでもなんとか自分で通うと決めたcoconogaccoをやり遂げたくて制作を進める。
正解が分からない。完成が見えない。
仕事には正解も完成もある。自分のことを自分で決めるのがとにかく苦手で、どう見えるかを自意識過剰に考えてしまう。
調べたりしてできる限り、好きと思えるものを集めた。
今回はオフラインで参加したけど、初回からこの場に居られなかったのは痛手だと思った。ぽつぽつと喫煙所で喋ったり、近くにいる人に話しかけたりしてみたものの、やっぱりファッション業界風の人たちが本当に苦手。
week3 2023/12/2
課題:リサーチブックの製作
皆の作品が素晴らしかった。量が違う。経験がある人もいれば、初めてものづくりをする人もいる。自分は何もやってこなかったし、堂々と好きなものを言うこともできない。
最後の方に皆の作品を見る時間があって、印象に残った数名を選んで作品の感想や意図を聞くのだけど、その中でアシスタントの方が「覚悟を感じた」と話されていた。たしかに私にも覚悟が伝わってくる。それで私に覚悟はあるのだろうか?と、不安になった。ないわけじゃないけど、できない言い訳ばかりうまくなる。
何をしたら良いのか全く分からなくて、無人島に放り出された感じ。誰かに聞こうにも、自分のことを知らない人だらけなのだから、教えてくれるはずもない。見様見真似でリサーチブックを進める。結局完成していない状態で持って行った。
見せられるものではないのに、丁寧にファイルの中まで見ようとしてくれる人たちの真っ直ぐさに距離を感じて憧れてしまうほど。他の人が持ってきた作品から感じる熱量に、ただただ負けていると思ってしまった。
誰が何を好きなのか、少しだけ見ることができたけれど、これから作品をつくったりするのに一人で進めるには限界があると思った。次はプレゼンをする回なので、それまでに講義の外で話す場をつくろうと思いついた。
そして3回目にしてやっとプライマリーコースのグループラインに参加した。初回がオンラインだったから、講義が終わってから片付けをしている時間があったなんて知らなかった。
プレゼン練習会vol.1 2023/12/12
week3で話しかけた人たちに「プレゼン練習会やろうよ!」と無理やり誘う。一人でつくれる人なら、移動時間だけで無駄だと思う。幸い私が広いスペースに住んでいたから、自宅まで来ていただく形で開催。私を含めて3人で集まった。
自分の好きなものや愛着のあるもの、リサーチブックを見せあって、感じたことをただ話したり、作品を見て気になったことを深掘りしていく。そうして思いもよらなかった一面が見えたり。こうやって集まって話すのは、なんだかいい時間だなと思った。
分からないことを深掘りして議論している人たちを見て、自分はこんなに熱心に物事に取り組んできたことはなかったなと思う。感じたり思ったり伝えたりすることは邪魔になる場所に長くいたことを思い出す。
歪められた自分を信じられなくて、どうしようもなく嫌いで苦しくなった頃に運良く現代アートに出会えたから今ここにいるんだろうな。
week4 2023/12/16 プレゼン
課題: ①ドローイング②リサーチブックを進める
プレゼンの日は大荷物だ。何を話すかはなんとなく決めていたけど、全然練習はできてなかった。順番が後ろの方で、プレゼンしている人へのフィードバックが意外とふんわりしているなと思ったし、時間も厳密ではなかった。最初は講師とゲストの計3人からのフィードバックや質疑応答があったけど、後半になるにつれてかなり時間も押して、2人からの感想になっていった。自分の番になったら緊張してプレゼンというより持ってきたものの説明みたいになってしまった。自分より背の高い人たちが、机の周りにガッと寄ってくるのが、本当に怖かった。焦りしか覚えてない。他の人のプレゼンを見てる側だと、皆かっこいいなぁ、堂々としているなぁと思っていた。もはや他の人の作品をしっかり見る余裕すらなかったし、恥ずかしさばかり残った。
改めて「作品だけ」を見てもらうってとても難しいと思う。coconogaccoは個人を見てくれる印象で、向き合うきっかけになって嬉しいんだけど、どうにか作品に自信を持てるようになりたい願望だけはある。何をつくりたいかも分かっていないのに。ヒトには興味津々なのに、自分は見られたくない。自分の身体から解放されたい。
week5 2024/1/13
課題:①ルーツリサーチを軸としたデザイン②リサーチブックやマインドマップなどをさらに掘りさげる
2024年になった。30才になった。年末年始は連休というか仕事がまったりしていたのに、引っ越しもあって落ち着かない日々を過ごした。新しく住む街は12年住んだ東京の中でも初めての東側で、全く空気は好みじゃないけど、今まで住んできた東京の中でいちばん家賃が安くて広い、個室のシェアハウスに住み始めた。
部屋が狭いというスペースの問題が少し解消されて、心がときめく部屋をつくってみようと思った。昨年末に恋も終わってしまい、友だちと電話していた勢いで新しい部屋にペルシャ絨毯を敷くことを決めた。
年末年始の期間にもまたプレゼン練習をしたかったけど、予定が合わず一人で制作。これでいいんだろうか。誰かの感想や意見がほしいけど、困らせてしまうだろうなと思ったし、時間はあるのに引っ越し鬱みたいな感じで仕事にも身が入らずすっごいしんどかった。
30歳になっても「マインドは永遠の17才」と言ってみる。ただ、海外に移住したかったのに、好きじゃない街に住みはじめたこと。いろいろ迷うのは当然だけど、心置きなく掴める選択肢がいつまで経っても増えない状況に、勝手に追い込まれていたと思う。周りを見ると生き生きとしている人ばかりで、当然の如く海外に進学する未来を選べる環境にいること。
諦めたのは自分だ。けど、諦めなければ生き延びることすらままならなかった20代を振り返って、今の暮らしに満足できるわけがないのに、明確に「これがやりたい、生業だ」というものは”まだ”見つかっていない。この”まだ”が、30代になった瞬間に重たくなってしまった。
今回の授業のことは覚えていないけど、プレゼン練習会に参加してほしい人に声をかけてグループLINEに追加した履歴があった。課題をやっていなくても「この場にいること」が大事だと信じて、なんとなーく休むことなくcoconogaccoに通い続けている。
week6 2024/2/10
課題:①デザイン画100枚②リサーチブックを進める
混み合う年末年始を避けて1月下旬に実家に帰省していた。30才が重たいと感じていたけど、実家に帰ってみると”子ども(娘)であること”を頑張らなくて良くなった気がして、少しだけ軽くなった。「もう30だよ」と言って、過干渉な親をいなすのにはもってこい。
母親が出産直後に書いていた日記を読んだり、昔の写真を見つけたり、不登校になる前にクラスメイトとしていた交換ノートを読んでみたり。改めて自分のことが嫌いにも好きにもなった。今と昔の自分を眺めていると、ありのままの自分ではなくて、歪められた自分と理想の自分がいつも喧嘩しているんだよな。
今回の講義では良いデザインの10ヶ条を学んだり、グループワークで「どんなファッションデザインが生まれるのか」といったディスカッションを行った。
機能性でしかないけど、こんな服があったら良いのにって思ったことを話していたら、めっちゃ良いじゃん!と言われてありがたかった。指紋認証しないと脱げない服とか、とにかく攻撃から守ってくれる服があったらいいのに。そんな服は手に入らなくていいから、この身体でも他人からジャッジされたり搾取されたりする出来事がなくなってくれたらいいのに。
あと今回もプレゼン練習会に参加してほしい人たちに声をかけてグループLINEに追加していた。
week7 2024/2/17
課題:デザイン画50枚
ろくに作品もつくっていないのに、プレゼンのこと、プレゼン練習会のことばかり考えている。人と話すのが楽しい。自分とは全く違う環境の人から話を聞いていると、まるで別の人生を歩んだかのように現実逃避できてしまうから会話が好きだ。これを友だちに話したらファッションぽいねと言われたんだけど、結局は自分の人生しか続いていかない。会話が成り立たずに否定ばかりしてくる母親と祖母と暮らしていたからか、いまだに感情の種類を増やしたくて人の放つ言葉や感情に期待して質問ばかりしてしまう。問いを自分にも向けられたらいいのにね。自分のことになるとすぐに結論や成果、共感や賛成をもらえる答えを出さなくてはと焦ってばかりだ。いつも聞いたことに応えてくれている人へ。ごめん&ありがとう。
課題はひっそりとドローイングや絵日記をやっていた。ファッションデザインやる気0。それでもはじめて「ドローイングの色使いがよかった」と言ってくれる人がいた。他の人と間違えとるんやないの?と思いながらも、そこに描いていたのは怒りの感情を出したものだった。そもそも”怒り”って美しいものではないと思わされているからか、ちゃんと見てもらえるとも思っていなかった。けど、描いていておどろおどろしい感情とかぞんざいに扱われたときの経験が少しだけ昇華されて、これでも良いのかなと前向きになれた出来事だった。だからこそ私も人の作品を見て心が動いたら、伝えていこうと改めて思った。
プレゼン練習会vol.2 2024/2/18
待ちに待ったプレゼン練習会!
1時間くらい遅刻したのに一番乗りだった。今回は私の家ではなくて1回目から参加してくれている友だちの家でやることに。最大で同じ空間に8人いた。友だちの家にいたシェアメイトも感想を言ってくれたし、cocoの年間コースに通ってる友だちもゲストに来てくれた。場所が変われば作品の見方も変わる。私は人が多いと周りに意識がとられてゆっくり作品を見れていなかったから、じっくり作品を見ながら感想を言ったり掘り下げたりして意外なエピソードも飛び出したりと。たいへん充実した会になったと思う。何よりゲストで来てくれた友だちの感じたことや理論的な語りが素晴らしかったし、自分の作品のリアクションも興味深かった。プレゼンに備えてどんなことを話すかも、このプレゼン練習会のフィードバックを通して決まっていったように思う。
もっとゆっくり話したかったけど、次の予定がある人もいて、夕方にはお開きになった。
私はプレゼン練習会が終わってから大荷物にも関わらずパレスチナ解放を求めるデモに参加した。歴史や世界の地理や、今起きていることの背景もよく理解していないんだけど、人が殺されていて、虐殺、民族浄化が起きているなんておかしいと思う。それに抗議をすれば、やり方を批判されているのも見かける。デモに参加するとか、情報をシェアするとか、イスラエルの利益に加担する企業を利用しないとか、署名したりeSIMを寄付したり。自分にできることなんて無力すぎて気が遠くなるんだけど、せめて行動する人、声をあげる人に連帯していたい。黙っていて状況がマシになったことなんてないんだから。
week8 2024/2/24 プレゼン
課題:①デザイン画8枚+素材実験②リサーチブックを進める
素材実験は”ゴミ寄りの作品ぽいもの”しかつくれなかった。とにかく手を動かすのは大事と聞いてやる気になったけど、素材や手法をたくさん試すためのお金も時間も余裕がなかった。他の人が使っていて良いなと思ったものを取り入れてみても、うまくいかない。自分で”良い”と思える素材を見つけられないし、手法も知らない。
年が明けてからなんとなくジュエリーをつくりたいと思っていたから、時間を見つけて山梨まで天然石の研磨体験に行ったり、彫金工房でシルバーリングのワークショップに参加した。
それにしても、将来の夢みたいなものって、知っているものの中からしか描けないのに、たくさんの情報で溢れている東京はやっぱり良いなと思う。石を削るのにハマったら山梨に移住する未来まで勝手に考えていたのだけど、これだ!とはならなかった。たまたま寄った天然石のお店が親切にしてくれて工房を見せてくれた。ただ、家族経営や販売営業の対応が気に食わなくて、石を扱うことを生業にはできないだろうなぁとあっけなく帰った。シルバーリングの体験はよかった。ただ黙々と銀を叩くと思ったより音が大きくて、時間を忘れて手を動かした。自分にもまだ集中する力があるんだなと、出来栄えよりもプロセスを好きになった。じゃあジュエリーのデザインができるかと言われたらそうではない。
プレゼンの出番は比較的前の方だった。人が作品をプレゼンしている内容のメモをとったり、ゲストの方のフィードバックもメモしていた。初回と比べてお休みの人も多かった気がするけど、今回はゲストも時間管理もフィードバックもちゃんとしていた。
自分の番になって、白い布の”ヒジャブ”を巻いて、プレゼンをした。そのときのフィードバック部分は、録音している。
顔・身体を”隠して”人前に立つと、大丈夫なんだな。大丈夫。
1回目のプレゼンは、緊張とは違って、なんだか焦って怖くて話せなかったのに、今回は大丈夫だった。
どうしてこの作品をつくったのか、しっかり話せたし、質問されたことにちゃんと答えられたり、他に持ってきている作品のことを聞かれても迷わなかった。
ヒジャブにした理由としては、イギリスで「なんでヒジャブ脱がないんだろう?」と思いながらも、いざ部屋にあった白い布で頭からお腹まで包まれてみたら、守られている、見られない、"面と向かうより安全かも”と感じたのだ。
身長が146cmで目が一重で声が高い”身体女性”の自分が日本でヒジャブを着けて生活するのは浮いてしまうけど、戦っても一人では勝てないとわかっているから隠したいのだと思う。できることなら身体男性に生まれたかった。もしくはあと20cm身長が高くなりたかった。
これはsexの話で、genderの話ではない。だって私が求めているのは性の解放ではなくて、性からの解放(liberation from gender)だ。sexは選ぶことも変えることもできない。だから今は隠すことでしか自分を守れない。誰かに守ってもらうつもりもない。何かあったときに一緒に戦ってくれる誰かといるほうがいい。
week9 2024/3/2
課題:①デザインを立体にするなど発展する②リサーチブックを進める
今回はたくさんの雑誌を見た。海外と日本の違いを分析した。海外の雑誌、もっと見てみたい。日本の雑誌は疲れてしまうね。煽られているような文字や表情が並ぶ。私はKERAに載っていたブランドが好きだったけど、いつからか追いかけなくなってしまった。今も追いかけているブランドはない。ただ、リサーチブックを進めようとしている中で”Gareth Pugh”だけは良いなと思った。ファッションのスクールに通っているにも関わらず、だいたいのブランドのことは「私の所得では買えないな・サイズが合わないから着られないな」という目線でしか見てこなかったと思う。今もそれは変わらないけど、Gareth Pughのコレクションは、買えなくても着られなくても「最高や!」と思えたから出会えて嬉しかった。
もっとファッションに対する熱量が高かったら、今頃もう渡英してアシスタントになりたいと動いていたかもしれない。
”モデル体型” ”標準体型”そのどちらでもないから、着こなせる服を選ぶ際の制限が多い上に、年を取るにつれて、ビジネスの場面では特にTPOみたいなものを意識する必要もあり、着るものへの熱量がどんどん下がってしまったように思う。KERA載っているようなブランドを好きだった頃の自分は、今よりも服が好きだった。
作品をつくるにあたって服のことを考えていても”着たいものを着る”よりも”どう見られるか”の方に重点をおいていることに気が付いた。悲しかった。だって、安全じゃないから。悔しくて残念で社会に絶望しているんだなってことに改めて気づいてから”自分が着たい服を自分でつくって着る”はできそうにないと思った。私の言う「着る」は、ランウェイを歩くモデルが着る服ではない。
私は家から駅までの道、満員電車、繁華街、終電を逃して歩く夜道を、少しでも機嫌良く安全に、それでいて何かあれば走って逃げたり、戦える服を選ばされている。客体化の視線と被害にあった後の二次加害すらも受容して、好きな服を選び、ひとりで堂々と歩くことができるの?
week10 2024/3/9
課題:①ポートフォリオの全体像を考える②撮影のための制作③リサーチブックを進める
今回は写真集をたくさん見て、写真の歴史を聞いた。私は一応プロというか写真の仕事をしていたこともあるのに、知らないことばかりだった。ただなんとなく”良い写真だ”と思えるものの共通点みたいなものを考えたり”いい写真ってなに?”みたいなことを近くにいた人と話していた。
最後の方に写真を撮るワークがあった。モデルを頼む人もいれば、モノだけ撮る人、自分を撮る人、撮った写真をレタッチやコラージュまでしていたり、いろんな撮影のアイディアが見えてきて発見が多い講義だった。
課題のリサーチブックやポートフォリオは結局全く進んでいない。修了展に参加することは決めていて、展示する作品についてぼんやり考えているけど、なかなか進まない。普段からPCを使って仕事をしているからか、目が疲れてしまう。リサーチでは願わくば液晶すら見たくない。そんな理由で手を止めていたけど、プレゼン練習会の3回目は、日程が決まっている。
どんどん新しい人がグループLINEに増えていく。ただ講義の日に雑談するほどの仲でもない。私みたいに一人で制作に行き詰まっている人がいたら参加してくれたらいいのに。ただ全体のグループLINEに連絡したら意識高い系でキモいだろうか。そもそも、専門性のある学生だったら、私がつくる場など必要ないか。それによく知らない人が来たら今グループにいる人たちは困るだろうか。
グループLINEの中で日程調整や確認の連絡をしても、既読無視が増えた。仕事でもないし、無理することでも、参加必須でもないから、私が気にしないようにするしかない。
プレゼン練習会vol.3 2024/3/17
起きるのも遅くて、テンションが上がらなくて、でもなんとか間に合うように準備をしていたら、家に虫が出た。茶色くて触覚があるやつ。最悪や。参加する人数も前回よりは少なくて、来れるかどうか分からない人もいて、結局3人だった。バラシにしてもよいのではと思いながらも、悪い予感があるならせめて前日に決めて連絡しておくべきだった。予定より1時間半とか遅れて到着。ごめん。
家を出るまでが憂鬱で、でも人に会ったら超元気。大荷物でわざわざ集まってくれて、嬉しいよ。もちろん私のために参加してるんじゃないのは分かってる。
まだ明るい時間だったから、友だちの家の屋上で撮影をした。一応ちゃんとしたカメラや反射板も持って行ったけど、結局iPhoneで撮る。どうやったらもっとよく撮れるか、を考えながらいろんな構図を試すのは楽しい。ただこれも一人だと多分できない。
作品と呼べるかは謎だけど、この日撮影したものは、紙粘土でつくった仮面。つくるというより、ただただ殴って完成したもの。ドローイングで描いていた怒りが、立体になった。
私は学生の頃に自傷癖がついていて、いまだに許せないことがあると自分を傷つけないと気が済まないくらいキツいことが起きる。ここ1年くらいは対人関係のモヤモヤにも何かあれば言い返せるようになってきていたのに、どうしようもなく悲しくて許せない(でも許さなければいけない)ことが起きると、眠れなくて、怒りをどうにか薄めるために、粘土を公園に持っていって、殴って、色を混ぜたりした。
作り終わってから写真を撮った時間は2:43だった。睡眠導入剤も飲んでいて、さあ寝ようと思ったタイミングで、怒りが込み上げてきた。ひとまず、自分を殴らずにやり過ごすことができて良かったと思う。
屋上で撮影したときは、写真を撮りながら、好きな素材や雰囲気を探してみたいと思った。自分が着ない前提のデザインをするなら、やってみたい人物像のイメージがぼんやりとある。
ただ、これはモデルの協力もいるし、リアルなヒトのサイズ感が分からないから、取りかかれずにいる。この人に協力を頼みたい、と思う人は3人思い浮かんだけれど、関係性が結構薄めの方々だから、いきなりモデル頼むと引かれるだろうなと思ったりした。せめて絵を描いたり考えている雰囲気の写真を集めてリサーチブックつくれよな。
2024/3/20 進路相談会
ただ誰かと喋りたくて相談会に参加した。制作に行き詰まっていて、何かアイディアをもらえたらと縋る気持ちだった。具体的な答えをもらえるわけではないものの、改めてcoconogaccoに通おうとした動機と半年間の行動を振り返ったところ、最初のページに載せている志望動機と場をつくることは地続きだった。
プレゼン練習会、作品を見せ合う会…名前は何でもいいんだけど、講義の日程だけしか人と話さなかったら、私がつくる作品の数はもっと少なくなっていたと思う。終わってからご飯に行くほど仲の良い人はそんなにできなかった。
もうすぐプライマリーコースを卒業する。修了か。次で最後の講義だって実感がないし、あっという間の半年間だった。それにまだ展示も待っている。
作品を見せ合う会は、できることなら卒業してからも毎月開催したいと思う。同じ課題があって、アウトプットはバラバラでも、なんとなく目的を持って集って対話できたのはすごくありがたかった。ただ、おもしろいと思い、思われ続けられないと、友だちでいられないよね。つまらん作品しかできてない気がして、そんな自分と共に時間を過ごしてもらって、勝手に申し訳なくなる。
装うことの愛おしさ、もう少し感じてみたかったな。
前に他の学校に2ヶ月ほど通ったり、見学もしたことがあったんだけど、そこではあんまり伝えたい欲を感じなかった。トークイベントみたいな雰囲気で、誰かが誘ってそれを引き受けて、自分から伝えることを始めたかったわけじゃないと思ってしまう場。参加している人同士のコミニケーションも生まれなかったし、つまらない場だった。
私が教えてほしい、学ばせてください!と声をかけて、動いてくれる人はいるんだろうか。もちろん謝礼はお支払いするけど。どんな方法ではじめるかはまだ見えていないけど、主催者と参加者では少し振る舞いが変わるよな。半年の間で3回開催した場でもちょっとだけ思い悩むことはあったけど、自分も参加していたから楽しめた。楽しいって大事。誰かが参加してくれることに期待すると苦しいだけなので、誰も来なければ一人でも開催するぞ。
私が前に住んでいたところでは特に目的がなくても"集まった人たちでただ飲む"という会があって、定期的に開催していた。そこの空気感がすごく好きだった。それは主催の人の作品をおもしろいと思って集まってくる人たちが素敵だったから。私の作品やヒトガラをおもしろいと思ってくれる人が1人でもいたらいいな。まずは自分でよいと思えるものをつくろうね〜。
week11 2024/3/23
①作品の写真を撮ってくる②集大成のポートフォリオを進める
最後の講義もいつもと変わらずはじまった。建築のことをざっと教えてもらった。あんまり建物の外観には興味がなかったけど、こんなにも何かの影響を受けたように見える建物はおもしろいと思う。一人でつくりあげたお墓「シュヴァルの理想宮」実際に見てみたいな。建物も服と似ているようで、そもそも住むこととか、長く使うとか、あんまり考えられてないのかもしれない。グループワークでは「ファッションの未来・ファッション表現にどんな可能性があるか」等を話し合った。
格差とかAIとか虐殺。ファストファッションがなくなったらどうなるんだろう。結局いつも選ぶことができる側がただ強い。欲しくても選べなかったことを数えるととんでもなく悲しい気持ちになるけど、ないからつくろうって手を動かしはじめるのも悪くない。
week12 2024/4/6 プレゼン
プレゼンの前日。ポートフォリオができてない。やる気もない。まとめることができない。そういえば月末月初が一番忙しい仕事をしていた。それに新しい仕事もスタートするかもで、資本主義の人間としてはめちゃくちゃ好調に思えるこの頃。だけど、今ぜんぜん楽しくない。豊かじゃない。私は放っておくとすぐに「効率・自立・価値」みたいなものを理由に仕事だけして安心したくなる。
自分と向き合うのをまだ怖がってるのかも。仕事でも生きることでも個人の活動でも”本気の日々”が昔はあった。それが今はなくなってるのが勝手にダメだと感じてる。
ふと利害関係なしに信頼してる2人のことを思い出して、この人たちは私が「森で息絶えて動物か植物の餌になりたい」みたいなことを言い出しても笑ってくれるんだろうな。ほんとそんな感じで、願わくば消えたいし落ち着かないからまた引っ越ししたくなってる。
制作をはじめようものなら、今までの否定の声が脳内でうるさい。本を読みながらちょっと心動いてたのにいざ自分のことを考えようとしたらすぐ現実の沼に戻される。先に行動して追いつく方法でしか手を動かせない。作品のクオリティは低い。でも仕事を放ったらかして昼間の時間に制作するのは不安だったけど楽しかったよ。もっとやってみたいと思う。メディアも決まってないし何を表現したいのかもその時々によって変わるけど、ポツポツと見せても恥ずかしくないものが作れるようになるとよいよね。レベル低すぎてどうやって人に自分の作品の話していけば良いのか分からんけど。
◎
プレゼンが終わった。いつでもどこでも、自分が一番下だと思ってるから、1回目のプレゼンみたいになるんじゃないかって不安しかなかった。
発表は最後の方で、途中でめちゃくちゃ頭痛がしてきて一回休憩よりも前にコンビニに散歩に行ったりした。ほんとに疲れるというか空気が重たく感じることもあった。
それでいざ自分の番になってみると、何を話そうかほとんど決めていなかったのに、半年間のまとめや作ったもののコンセプトみたいなことは伝えられたように思う。
何も分からないまま作っていたマインドマップのビジュアル化から隠すこと(隠していたこと)に気づかせてくれたのはプレゼン練習会の中での会話だった。
それで自分が良いと思って出した写真を、良いと言ってもらえた。伝わることを想定していなかっただけに、めちゃくちゃ嬉しかった。言い訳しながら少ない時間でもやってきたことを認められたようだった。私ももっとやってみたいし見てみたいと思う。
他の人を見ているとクオリティも高くて世界観が出来上がっていて話しかけるのも憚られるくらいすごいと思っちゃうしやっぱりファッションの人たち怖いって今も思ってる。
ただ山縣さんをはじめcocoにいる人たちは信頼できるなと思えたから今回はヒジャブを被ったり仮面で隠すことをせずに人前で話すことにした。
世界観はまだまだまとまってないしこれからどんなメディアで表現していくのかも分からないけど、作品で想いが伝わる経験をもっとしてみたいと思った。これでは終われないよなと思う。
あとがき・修了展を終えて
4月から5月末まではあっという間だった。coconogaccoが終わったという実感がなかった。講義が終わってすぐ山梨県の富士吉田で修了展の搬入・設営があって、数週間経ったらすぐに撤収。
貴重な展示の機会だったのに、アーカイブに使えそうな写真は撮っていなかった。今思うと撮っておいた方がよかったはずだけど、展示場所は選べなかったし、直前に何度も変わった。備品の貸し出しもないから、吊るすとか掛けるための資材は近くの100均で揃えたもの。
設営に来れない人の作品は私から見ると最初は放置されていた。プレゼンで作品についていろんな想いを聞いていたからこそ、ぞんざいに扱われているようで、楽しみにしていた気持ちが消えてしまった。
善意で動くことはできるけど、頼まれてもいない、責任のない立場だということにとても揺らいだし、こういうときは自分のことだけをやるのが正解だと分かっている。私は自分の作品より場の方が、誰かの作品を見る方が、好きなのかもしれないなって思ったりもした。それはおそらく作品のクオリティが低いから、今は見てもらえることも伝わることもあまり思い描けないのだと思う。
2024年前期は手数を増やすためにもドローイングコースに通い始めてみた。改めて、プライマリーでの経験は尊いと思った。学生であればやり方次第でcoconogaccoと同じくらい充実した日々になる可能性もあるだろうに、実際はそうじゃないらしい。
ただ私と同じように初めてものづくりをする人や自分と向き合いたい人にこそ通うことをおすすめしたいと思う。
こんなに熱心に生きてる人がいるんだって、若さもあるけどわざわざ学歴にならない場所で学ぶってすごいことだと思う。他の学校で同じ熱量は見たことがなかったし、もちろんファッションとアートでこれからの未来を担う若者もいるだろう。
修了展があるのは後期のメリット。私も通えるか分からないけど後期のプレアドに向けてポートフォリオを作ろうとしている。修了展があることで制作のモチベーションになったけど、終わってみるといろいろな意味で疲れてしまった。また通いはじめた頃の期待みたいなものや自分の可能性を開くような体験ができるかは、通い続けないと分からない。
ただ、今はもう次につくりたいと思っている作品に取り掛かっていて、この半年間はまず自分でも集まって話し合える場をつくることにした。
経歴が特殊ではあるけれど、どんな生き方をしていても、何歳からでもつくることはできること、仕事とは違って表現だから見られる辿り着ける景色があるんだろうなぁとぼんやり思ってるから、それをもう少し深めてみることにします。