アウトプットとは自分ゴトかもしれない/自分ゴト的コラムマガジンを始めよう
”GWに自分のやりたいことやろう”と自分ゴト的コラムを始めることにした。
エッセイ、コラム、どちらに該当するかわからないけど、自分の感じたことや考えていることを言葉にして、読まれる場所に置いてきたかった。
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最近ちょっとしたかすり傷をおった。
そのことを旦那さんに話すと「みんな自分が1番だから」
と一言。
彼らしくて、でも、ちゃんと私のことをわかってくれて慰めてくれているのが伝わってきて嬉しかった。
かすり傷の理由は自分にも問題もある。
私だって自分が1番のようなふるまいをしてしまうし、多様性を認め、まとめるための協働力が足りない、それに、考えていることを整理して相手に伝える分析力や言語化力が圧倒的に足りない。
「すごい」とか「めっちゃ素敵」みたいな同じ言葉をずっと使い続けてしまう。
すごく感性が合う人とは合うけど、違うタイプの人に伝えるための説明力みたいなものが追いつかなくて、お互いに伝わらない存在になっている。
noteの世界も、これからの時代の新しい価値観も私には魅力的ですごく期待感が高まっているのにそれを説明するための表現の数が少なすぎる。
自分が良いと思っていることを分析して構造化して誰かに伝えることができなくてフラストレーションと違和感が自分の中に溜まっていってモヤモヤしてた。
エッセイやコラムでそれが鍛えられるかわからないけれど、なんとなく頭の中を整理しながら言葉にする練習にはなるはず。
最近、音声配信を始めた。これも伝える練習をするためだ。
とっさに話を振られて自分の考えが表現できないこと、人前で話すのがグダグダなのを直すためにトレーニングになると思った。
同じように内省とアウトプットして、手帳とにらめっこをして日記を書く練習をしても自分のための覚え書きのようになってしまう。
<伝わるように伝える>ができるようになるには次のステップかもしれないけど、読まれる場所におくことで、少しは伝える力を磨くことになると信じて。
Facebookはソーシャルな日記的過ぎて、直接書き込むのは私事すぎるし、Twitterだと壁打ちになってしまう。それに文字数の制限に別のエネルギーを使ってしまう。
だからnoteにしようとなった。
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そうそう。最近アウトプットって言葉がイマイチわかりにくいなと思った。
「アウトプットしなきゃ」って使う時、何を<アウトプット>としているのか人によって違うのではないか。
イベントレポートを書くこと、発信すること、実際にやってみること。
それぞれアウトプットに当てはまる気がする。
でも、私の言葉にすると、アウトプットって自分の外側にあるもの、情報や人、経験などを通じて学んだことや感じたことを【自分ゴト化】して、言葉にしたり、書いたり、行動に移したりすることだと思う。
ストレングスファインダーの1位が収集癖の私は、インプット、集めることが大好きで、それをため込むのが大好き。
そして、それを誰かに教えるのも大好き。
でも、教えるときに自分ゴト化していないと、うまく説明できず、そのまま誰かの言葉を誰かの言葉のまま伝えるか、あいまいな言葉で伝えるというフラストレーションが始まる。
だからきっと、アウトプットとして自分ゴト的コラムを書き始めるところから、始めてみるのはなんとなく理にかなっているような気もする。
ほら、遅いインターネットでも個人の物語ということや、澤まどかさんがVoicyで個人の単位ということも
(なんとなく・・・ってつかっちゃった)
noteがごちゃつくかもしれないのですが、自分ゴト的コラムのマガジン始めます。