真本音とは何か(2/5)
前回のインタビューでは竹内氏の経歴や「真本音」についてお話を聞いてきました。今回は「真本音度合い」を高める必要がある理由について詳しく聞いていきます。
4.なぜ真本音度合いを高める必要があるのか?
岡山 :「真本音度合いを高める必要がある」とのことですが、なぜ高める必要があるのですか。
竹内: 「真本音度合い」を高める必要がある理由は、大きく分けて3つあると思っています。
※「成熟」とは「もう成長し尽くして熟れた状態」ではありません。真の「成熟」とは「自分の未熟さを真に悦べる状態」であると考えられます。
5.人生の納得度を高めることができるから
岡山 :「人生の納得度を高めることができるから」とはどういうことですか。
竹内: 人生の納得度を高める上で必要なことは3つあると考えています。1つ目はご自身の価値判断の基準が比較軸ではなく絶対軸であることです。2つ目は主体的に人生の選択を行うことです。3つ目は他人にベクトルを向けられることです。
まず、1つ目の価値判断の基準についてですが、「真本音」のような絶対軸に基づいて生きていると、一つひとつの選択に納得感を得ることができるので、どんどん幸せになっていきます。また、「真本音度合い」が高くなればなるほど周囲の環境がどんどん変わっていき、新しい刺激や経験が増えていくので人生がさらに楽しくなると思います。
一方で、「反応本音」に基づいて生きていると、他人との比較や周囲の環境などの外部からの影響を受けながら人生を歩んでいくので、意識的にあるいは無意識的に「人生このままでいいのか?」と悩み続ける場合がほとんどです。そのような方のほとんどは、人生の納得度が低いと感じられています。
特に、価値判断の基準が比較軸のままでは幸せにはなれないと考えています。一方で、「真本音」のような絶対軸を持つと人生への納得度は高まっていくものだと考えています。
5-1. 価値判断の基準が比較軸ではなく絶対軸を持つと納得度が高まる
岡山 :「比較」という言葉についてですが、私自身も比較軸に基づいて生きている人をたくさん見てきましたが、いつも苦しそうに見えていました。改めてこの「比較」についてどのように考えていますか。
竹内: 今の社会は画一的なスキル偏重社会のように見受けられます。終身雇用制度が無くなり会社が個人を守ってくれなくなったことから、「もっとスキルを見につけて生きていけるようにならなければならない」と1人ひとりの意識が高まっていると思います。
個人で生きていく力を身につけること自体は良いことだと思いますが、今の社会はその意識が行き過ぎているように感じます。
「もっと価値を出さなければいけない」や「もっと成長しなければいけない」などの意識がまるで強迫観念かのように染み付いて、苦しんでいる方が大変多くいます。その結果、自分自身の価値や人生の選択を他人との比較や社会の評価軸の中でしか考えられなくなってしまっていると思います。
比較軸のまま生き続けると、いつまで経っても自分自身の価値や選択、自分の人生そのものに心から納得することができません。私が左脇腹に激痛が走って動けなくなったように、いずれは限界を迎えるものだと思っています。
岡山 : 特に、若手社会人が「もっと早く成長しなければ」あるいは「もっと早く成功しなければ」と焦りを感じているように見受けられます。竹内さんにとって本来あるべき「成長」とはどのようなものでしょうか。
竹内: 成長には2種類あると考えています。1つは「膨張」です。具体的には自分自身の価値や願いに気付かぬままいつまでも目に見えるスキルや他人からの評価を追い続けるでしょうか。
ただし、「膨張」でもスキルは身に付いていくと思います。一方で、自己犠牲的に行われることがほとんどなので、いずれ肉体的あるいは精神的に限界がきてしまうものだと考えています。今の世の中で言われている「成長」はほとんどが「膨張」に該当すると考えています。
もう一方の「成長」は「進化」です。「真本音度合い」が高まれば高まるほど、外部の影響に左右されることが無くなります。次第に自分の自然な状態に戻っていくので、ゆくゆくは落ち着いていきます。「真本音」を高めれば高めるほど謙虚になっていくので、どこまでも「成長」していきます。
また、余分なことにエネルギーを取られることがなく、自分の願いである「真本音」に基づいて動いていくので、エネルギーがどんどん溢れていきます。結果として身を置かれている環境で成功される方が多いです。
この自然の状態に戻り、エネルギーが高まり成熟していく様を「進化」と呼んでいます。
「真本音」のような絶対軸で生きれば生きるほど、人生への納得度が上がり、「進化」に繋がると考えています。
5-2. 主体的に人生の選択を行うと納得度が高まる
岡山 : 人生の納得度を高める上で必要なことの2つ目である、「主体的に人生の選択を行うこと」とはどのようなものでしょうか。
竹内:まず誰しもが生まれた時から人生の願い、つまり「真本音」を強く持っていると考えています。そして誰しもが人として「進化」したいという進化欲求を持っているとも考えています。
誰でも子供の頃はあれもこれもやりたいと好奇心が旺盛です。また、何か1つでも達成するともっとできるようになりたいと躍起になっていたと思います。
ところが、成長していくにつれ、親の影響や周囲からの目、ベキ論(もっといい学校に行くべき、今の活動は将来稼ぐことに繋がらないからいけないなど)等の外部の影響を受け続けることによって、本来自分の望んでいた選択を諦めることが習慣化していくと考えています。
今までサポートしてきた方の中でも、主体的に人生を選択していくことを諦めていた方は特に人生に納得していないようでした。
一方で、中には昔から無意識的に「真本音度合い」が高い方もいます。そのような方は人生の重要な場面で「真本音」に基づいて意思決定をされてきています。彼らはやはり人生の納得度が高いです。
大抵の方は人生を歩んでいく過程で「反応本音」が形成されていき、本来の願いが分からなくなってしまいます。そうするとなかなか人生の選択を主体的にするのが難しくなっていきます。
そこで、私の「真本音」に基づいたサポートは、「本来の自分」を思い出してもらうことを意識しています。そうすることによって、本来の願いに沿って自分の人生をより主体的に選んでもらうことを意図しています。
岡山 :「反応本音」で生きることが習慣化しすぎてしまっている場合、自分の本来の姿や願いを思い出すことが難しいのではないかと考えていますが、いかがでしょうか。
竹内:おっしゃる通りだと考えています。変わらない人は本当に変わらないです。
変わらない人というのは「自分の人生をより良い方向に変えていこうという意志がない人」です。残念ながら意志のない人には、他者が何をやっても影響を与えられません。
しかし、「変えていこう」「変わりたい」という意志がある人は、少しの刺激やサポートで劇的に変化することが多いです。
また「変わろうとしない人」に影響を与えるのは難しいですが、“場”に影響を与えることは可能です。
例えば、「変わろうとしない人」の多い組織があったとしても、そこに「真本音度合い」の高い人がいれば、その人が“場”に影響を与えることができます。
“場”のムードが変わり、そのムードに影響されて「変わろうとし始める」という事例はたくさんあります。
だからこそまずは、「変わろうという意志のある人」つまり「少しの刺激で変わる可能性のある人」から優先的にご支援させていただくことを意識しています。
5-3. 他人にベクトルを向けられると納得度が高まる
岡山 : 最後の要素の「他人にベクトルを向けられること」についてはいかがでしょうか。
竹内:まず人は誰かに貢献せずに真の幸福感を得ることはできないと考えています。私たちホモサピエンスは集団で生存してきました。
集団の中で助け合うことが習慣化されてきたからこそ生き残った種であると考えた時に、他人や集団に貢献することに喜びを感じることが、既に遺伝子レベルで刻まれていると考えられませんか。
つまり、私は人間は本能レベルで“社会的”な生き物と考えています。どれだけ自分の価値判断の基準が絶対軸で主体的に意思決定を続けていたとしても、最後の最後に違和感として残るのは、「果たして自分は本当に他人や組織、社会のためになれているか?」という疑問ではないでしょうか。
岡山 : 今の世の中では「好きなことだけして生きる」ことが大切にされていると感じていますが、どのように考えていますか。
竹内:好きなことをすること自体は良いことだと思います。一方で、誰かに価値を与えているという感覚がなければいずれ苦しくなるのではないでしょうか。
これは約30年前の話ですが、人生の目的を見つけるために海外へ旅に出ることを決意し、しばらくの間バックパーカーとして放浪していました。
最初の半年くらいは楽しかったものの、それ以降はどこの国に行っても無気力になってしまい、まるでただ水族館の中から魚をずっと眺め続けているような感覚でした。
その時に感じたことは、人は誰かに価値を与えていると感じていないとどんどんダメになってしまうということでした。他者や社会に価値を提供しないと人間は真っ当ではいられない。コミュニティに貢献するのが人間の本能であると強く感じました。
好きなことを中心に生きていくことは良いことですが、誰かに貢献している感覚がなければ真の納得感は得られないと考えています。
次回の第3話は、成熟には素質の発見が必須である理由を詳しく紹介します。