折り合うということ
どうしても上手く事が運ばないと嘆くことは誰にだってあるでしょう。
もうイヤ、何もかも面倒になった、極端なことを言うと、死にたいと思う人もいるかと思う。
しかし彼、彼女らは一つ大事なことをしていない。
それは考えるということです。
そもそもこの人達の頭では「全てのことは自分の思い通りに事が運ぶ」と思い込んでいるようだ。
思い通りになるとは一体どういうことだろう。
腕を上げようと思うと上がる。下げようと思うと下がる。初速はこれくらいで角度はこれくらいに設定すると物体はどこどこに落ちると推測できる。
お母さんにアレ取ってきてと言うとその通りアレを持ってきてくれる。といったところかな。
しかし、これらが上手くいかないケースもある。
突然からだが動かなくなったり、突風が吹いて物体が巻き込まれたり、お母さんが心身に疲労をためていたり、機嫌が悪かったり、などなど数え上げると十本の指では足らなくなる。
なぜこんな障害が起きるのか。
障害と書いたが、しかし、このような表現は適切ではないかもしれない。
障害というと差し障りになり、さらに、害にもなるということだ。
ここでは人間の思い通りにならないことが障害になるという前提がある。
この前提が誤りである。
そもそも人間には分からないことが圧倒的に多いのです。
言い換えると、思い通りにならない事は地球上に存在するビルの数より多いのです。
僕たち人間は生まれたときには、既にこの世界に対して大大大遅刻者です。
そうでしょ。僕たちが生まれたときには、社会も文化も国家も言葉も慣習も伝統も生物もあらゆるものが既にそこにあります。
だから僕たちは学ぶわけですよね。学ぶにはそれを知らなければ学ぶ事ができません。知っているものを学ぶ事はできないわけですから。
そして学ぶには知りたいという欲求が無ければできません。その現場では。人は謙虚にならざるを得ません。
なぜなら知らないものというのは自分を超えた未知なる何者かの事なのですから。
人は謙虚さを備え未知な者と対話をします。これが知ろうとする人の現場です。折り合うということは相手の声に対して耳を傾けるという誠実な心のことです。決して言いなりではありません。
余談ですが「ムカツク」と「怒る」という言葉は似ているようで全く違います。
「ムカツク」は相手に対して本来なら怒りとして相手に向かうものをそれを出さずに自分の中に溜め込むことです。ここでは相手に働きかけるのではなく、単に自分の生理的な現象で終わります。「胃がムカムカする」という言葉はまさにこれです。「ムカツク」はここから来ています。
相手と向き合えない故に自分にストレスを与え、非常に健康に悪いです。
これに対して「怒る」というのは自分の中にモヤモヤを溜め込むのではなく、しっかり相手に投げかけて、相手と向き合い、対話することをいう高度な技術です。
恋愛なんかは一番分かりやすいです。恋愛とは男と女という自分の思い通りになんてとてもいくはずがない全く訳が分からない異質な者どうしで相手の心を知ろうとする永遠の道程に他ならないと僕は思います。
僕の場合は社会に対して折り合うことが全く出来ませんでした。
しかし今ではその原因がハッキリします。
「社会は自分の思い通りになる」という前提が無意識のうちに頭を支配していたからです。
本当はそんなことはないのだと自分の無知を自覚し、そして知ろうと行動し、相手に耳を傾けるという折り合う心を持つことが出来て、今では以前の自分と比べると身体がスッキリしています。