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「デブって悪ですか」の記事を読んで

昨日(7月31日)の毎日新聞の夕刊であるYoutubeのネット広告に対する悲痛の声を取り上げた記事が一面に載っていた。


前々からこういう類いの広告には僕も不快に思っていた。まず、広告の演出があまりにも露骨すぎるのである。こんなものを子供が見たら、大人ならまだしも、大いに嫌な気持ちになるだろう。
そしてもう一つ気になるのが、声だ。
これはどう聞いたって素人声優を使っていることはすぐに納得できる。
内容が内容だけにしっかりプロの声優を使うには気が引けるといった所だろうか。こういうところで既にこのようなネット広告に対する後ろめたさが制作者側にも表れている。どうしようもない。
第一広告というのは商品を絶対に買ってもらうためにあらゆる尽力を尽くすのが本来の姿だ。なので素人声優を使っている時点でその熱意が感じられない。

それはともかく、ここでは「デブが悪い」のかどうかについて考えていきたいと思います。と、その前に比較的類似性が高い「黒人問題」について考えてみようと思います。

日本では黒人問題というのはあまり身近で起こる問題ではないというのがありのままの現実である。だから、日本人である僕がここであまり深い話をするのは適していないと思うのでするつもりは無い。しかしその姿を追いかけることは決して無益な事ではないと思う。

黒人が悪、というが、肌が黒い人間から悪そのものを取り出すことが出来る超人間が果たしてこの世に存在するのでしょうか。答えは"No"である。
なぜなら、黒い肌というのは物体だが、悪そのものというのは目で見ることが出来ない、手でつかむことが出来ない、言わば観念というものだ。
つまり黒人が悪だというのは、そう思う人が悪を作り出しているのに他ならない。つまり自分で悪者にしているのだ。分かりますか。
あいつ(黒人)は悪い奴だ、と思う心が悪を作っているのだから、思うことによって(決めつけることによって)、その人が悪い人間になるのは当然ではないでしょうか。

デブも本質的には同じです。
「デブ=悪」なんて等式は本来成り立つはずが無い。
デブは物質だが、悪は物質ではないからだ。
よく考えもしないでこんな勘違いを起こすぐらいの短絡かつ卑しい人間は根治しがたい病人だと言えるだろう。

とは言っても、黒人問題もそうだが、こういう視覚から来る差別意識はそう簡単には解決できない問題だと思う。
ヘタをすると一生かかる大問題である。
それはもう仕方が無いと割り切るしかない。それは歴史が証明している。それくらい根深い問題です。
僕もよくデブってからかわれていましたので、そのツラさはよく分かります。しかし、差別者側はどうしようもないくらいの病人です。彼らに期待しても無駄です。そういう人たちは放っておいて、身近な人たちで徐々に徐々に、一年で1cm進むくらい地道に連帯を結んで静かな革命を起こす他、人類が進む道はない。
これは果てしない忍耐が必要だが、そろそろ腹をくくる時が来たと思う。

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