小説:シネマ・コンプレックス04

   3 『彼女』の運命

 彼女を初めて失った僕の気分は、酷く沈んだが、なんとかそこから浮上し、いつもどおりの生活に戻りつつあった。

 しかし、何かがおかしいと気付くのに、大した時間はかからなかった。

 また、とある時間軸の彼女が亡くなった。休日に友人と遊びに出たときの交通事故だった。  
 悲しみにくれている僕に、他のモニターの異変が目に入る。彼女のアパートの部屋が燃えていく。彼女は在室中だ。他の部屋の住人の、火の不始末が原因となった火事だった。逃げ遅れ、彼女は亡くなった。
 他の時間軸でも川で溺死、バルコニーからの落下死、通り魔による刺殺等で、次々に彼女は命を落としていく。
「なんなんだ、これは…」
 最初の異変が起こってからは、まるでドミノでも倒れるように、次々と全てがおかしくなっていった。彼女の全ての時間軸が、急激に『死』へ向かって収束していく。一部の例外なく、どの時間軸の彼女も、大きな時間差もなく命を落としていく。
「なんで、どうして……!」
彼女が命を落とすたび、モニターは砂嵐の画面になる。いまや部屋のほとんどが砂嵐になっていた。見ていたモニターが砂嵐になるたびに、他のモニターに目線を移す。しかし、次から次へと、モニターは彼女の笑顔ではなく、惨劇を映し出す。最下段にあったモニターが最後の一つとなった。
「いやだ、やめてくれ、いかないでくれ」
モニターにすがりつき、泣きじゃくった。しかし、そうこうしているうちにもそのモニターからはザーという無機質な音しか聞こえなった。

 部屋には砂嵐の音と、僕の鳴き声だけが響いていた。

     *

 「彼女が死んだ?そんな、珍しいことでもないだろう」
クロノスがモイラの仕事場を訪れ、今までにあったことを語りだすと、開口一番そう言われた。
「それが、全ての時間軸で、なんだ。全ての時間軸の彼女が、1週間の時差も無く、ほぼ同時期に亡くなっている。およそ、二十八歳五ヶ月までにだ」
と、付け足すとモイラはすこし眉をひそめる。
「病死?がんとか」
「いや、そういった、前もって死期が定まっている死に方は1つも無かった。例えば病死にしても肺炎とか、インフルエンザとか…そういう、突発性のもので、他は大体事故とか事件とか…。彼女に原因があるものは、一つもなかった」
「全部見たのか?」
「全部見た」
迷い無く答えたクロノスに、モイラは大きくため息を吐いた。
「…呆れた。君が人間なら、とっくに発狂していただろうさ。大好きな人間の死を延々と見つづけるなんて」
クロノスはその言葉に、「でも」、と前置いて言う。
「僕が人間なら、どんなによかっただろう。人間なら、彼女の運命を死以外に分岐させることが出来たかもしれない。僕は神だから、人間世界の事象に手を出すことが出来ない。ただ死という結末に向かっていく彼女を、見守ることしか出来ない。悲劇だとわかっていても、その脚本に線一本書き足すことさえ、僕には出来ないのだから」
「きみ……」
 モイラは何かを言いかけたが、上手く言葉にならなかったようで、口をつぐんだ。
 
 僅かな静寂の後、クロノスは息を整える様に深呼吸をした。そして、まっすぐな目でモイラを見つめる。
「だから運命の神、今日はお願いにきた」
「言いたいことは、なんとなく解った」
「話が早くて助かる」
迷いの無いクロノスの瞳に少し気圧されたように、モイラは点いていないモニターの方に視線を向ける。
「彼女の過去に遡って、全ての分岐点から運命を分岐させろって言うんだろ?」
「頼む」
クロノスの言葉に、モイラは静かに溜息を吐き、向き直る。
「はぁ。運命を分岐させるのだって、簡単なことじゃないんだぞ?」
「解っている。この通りだ」
 深く頭を下げ、頼む、と、搾り出すような声でいうクロノスの様子に、今度は小さく息を吐いて、モイラは「解ったよ」という。
「仕方ない。他でもない君の頼みだ、やってみるよ」
「恩に着る!」
「しかし、理解しているとは思うが、私が出来るのは運命を分岐させることだけ。その運命が何に繋がっているか、までは解らない。いいね?」
「大丈夫だ」
 モイラは部屋の隅にあるカーテンの方へ歩き出す。カーテンをめくりながら、クロノスに向き直り、
「やっておくから、とりあえずゆっくり休みな。酷い顔してるぜ。折角彼女がいい運命を辿っても、そんな顔してちゃ相手にしてもらえないぞ?」
そういって笑いながら、カーテンの奥に消えていった。
 
 モイラの部屋からの帰りがけに、クロノスは鏡を見た。言われたとおり、酷い姿だった。

     *

 僕が少し休んでから仕事場に顔を出すと、モニターのほとんどに映像が写っていた。ということは、彼女の運命に新たな分岐が生まれたのだ。
 小さく運命の神へのお礼を言ってから、それらを監視する作業に努めた。

 モニターには、僕が見始めたときの彼女よりもずっと年若い彼女の姿もあって、新鮮な気持ちだった。
 大学生時代の彼女。文学を学んでいるらしい。本と友人に囲まれて、キャンパスライフを楽しんでいる。
 高校生時代の彼女。今と比べると髪がさっぱりと短い。陸上部に所属しているらしい。このときも、友人に囲まれて笑っている。
 中学、そして小学校の彼女もいる。幼稚園までいくと、一見、彼女だとは気付けないが、確認をすると確かに彼女の記録だった。

 いつのまにか、僕の頬にはまた涙が伝っていた。彼女はこんなにも幸せそうなのに、こんなにも愛されて過ごしているのに、なぜあんなに若く、命を落とさなければいけなかったのか。
 いずれ恋愛をし、結婚もしただろう。子供を持ち、素敵な家に住むかもしれない。動物も飼ったかも。やがて子供は子供を生み、孫に会うことも出来ただろう。何故、彼女にはその未来が無かったのだろうか。
 モニターの中の若い彼女に手を伸ばす。恋というのは、恋した人の隣にいたいと願うものらしいが、僕はそんなこと、もう、望まない。
「貴方が、幸せに生きてくれれば。僕は、それだけでいい」
心からそう願い、僕は静かに眼を閉じた。


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