【2-1203】沼にはまる
ラボチプロデュース ぷらすのと☆えれき『沼部、陸へ上がる』を観た。
北海道の人は、少なくとも大阪在住の私よりも、たくさんのと☆えれきさんの芝居に触れる機会があるのだと思うと羨ましい限りだ。すごい俳優たち。前にも書いたけれど、その二人と組んだ野村さんはいつもと少し違って見える。それもまたすごい。
観終わって、自転車で帰宅しながら、ぐるぐる考えた。色んなシーンが、頭の中で反芻される。
ローカルなところで有名になって、その界隈のスターになる感じは、田舎の出身の人間からするとよりリアルに感じられる。そういうバブルみたいな状態の人は、都市部よりも地方に頻出する。単純に怖いなーと思う。歯車が狂うのって簡単なんだろうなと想像してしまうから。
そして、例のメロディが頭を離れなくて、そりゃ、音源録るよなとか、そんなことも思った。
それから「人は二度死ぬ。一度目は肉体の死で二度目は人々の記憶から消えたときだ。」みたいなことがよく言われるわけだけど、果たして、私が死んだときに人々の記憶で生かされている私は、本当に私だろうか、ということを考えた。誰かの記憶の中の私は、その人にとっての私であって、私にとっての私ではないんじゃないか。逆に言うと、私のことを記憶している人の人数分、その人にとっての私がいるんじゃないか。
だから、最後の瞬間どんな表情だったとか、どんなやりとりをしたとか、そういうことは彼の中の真実しかもはや存在しえなくて、例えば、今後彼が死んでしまえば、その真実も消え去ってしまう。それでいいし、そうじゃなければならないとも思う。人の営みの中にある、たくさんの確固たる真実を沈めておけるほど大きな沼なんてこの世にはないだろうから。でも、その沼は人の心の中にはあるような気もする。
ああ、他にも印象的だったシーンがたくさんあって、観た人と軽率に「あれってどういう意味?」とか語り合いたい。大阪の人は観に行ったらいいと思う。北海道に行かなくても観れるの、幸運なことよ。