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【3-0520】話すことは難しい
【このnoteを開いてくださった貴方へ】
おはようございます、要小飴と申します。
関西にある遊気舎という劇団の末席に身を置き、演劇に勤しんでいる者です。平日昼間は保育園の先生をしています。 このnoteは、そんな私が日々の所感を記録しながら、自分の思考を再確認したり、自分なりの表現を探したりする、そんなものにしたいと思っています。
話すことが難しい、とよく感じる。
noteみたいに書くときにはある程度の分量をまとめて、かつ自分の中で反芻して、表に出すのでまだやりようがあると感じられるようになった。だけれど、話すときには相手がいる。話している最中にも、相手の反応がある。それは遮るように入ってくる言葉から、じっと耳を傾けてくれる目線まで様々だが、その反応に引っ張られる自分がいる。
相手の反応に影響されたとしても、白を黒だと言うことはめったにない(皆無とは言い切れないが)。でも「紫」を言いたいときに、「赤」を通って「青」に行くか、「青」を通って「赤」に行くか、というルート選択があったとして、自分の「紫」は「赤」を先に通ってから「青」に行くルートが適切だとしても、その途中の「赤」で遮られて「赤」しか伝わらなかったり、先に「青」を通るしかないと思って「赤」に行く勇気が持てなかったり、とそういうことがよくある。
つまりは、思い返して、「多分ちょっと違う伝わり方をしたな」とか「言いたいこと全部はまだ言ってなかったな」とか思うことがあるということ。そうすると余計に自分が喋るターンで地味に焦る。焦ると伝わりづらくなる、という負のループに陥る。
みんなそうなんだろうか。私も相手の言っていること、半分くらいしか受け取っていないのかもしれない。そうなのかもしれない。そうなのか?
誤解してほしくないのだけれど、これは相手が聞いてくれていないとか、威圧的で喋りにくいとか、そういうことではない。例えるなら、私の喋るための配管が詰まりやすいという感じ。伝えたいことが多すぎるんだろうか。いや、何を伝えたいのか、自分でもわかっていないのかもしれない。
でも、話すことをやめることはできない。話したいという欲求は私にもあるから。こんな私のお喋りに付き合ってくれる人には感謝して、管が詰まっても挫けずに話していきたいなと思う。
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