『ビジネスという名の勇者』第1話【創作大賞2024 漫画原作部門】
あれは私が6歳の頃の話だ。
姉妹で遊びに出掛けていた私達の前に現れたのは、100の魔人と1人の魔王……。
都市に突然訪れた、大規模な襲撃。
泣きながら怯える妹リリアに自分の感情を悟られないよう、大丈夫だからと彼女を何度も励ました。
たった1人で街へ甚大な被害を与えられる魔王と相対した私達を助けたのは……。
――たった1人の勇者……。
そんな絶望的な状況でも、少しも怯まず一歩前に踏み出す彼。
両手に星を耀かせながら1人で魔族を退けるその背中に、私は目を奪われた……。
それが私の父。伝説と呼ばれた勇者の1人。
私はその時、勇者という職業に魅了されたのだ……。
◆
頑丈そうな壁にぐるりと囲まれた巨大な都市……。
街の各所には大小様々なタワーが幾つも建ち並び、その中心には天に届きそうな大きさのタワーが目印のようにある。
そんなタワーの眼前に、流線型の乗り物が滑るように停まった。乗り物の扉が開き、そこからスーツを着た沢山の男女が降りてくる……。
人の往来が多いその場所に、純白の鎧を着た髪の長い少女がいた。緊張した面持ちの彼女は『第六都市サーナンにようこそ!』と表示された立体モニターの前を歩いていく。
「現役勇者オダマキのムーバーチャンネルにようこそぉ!」
少女の背後では、手に持ったプレートのような物に決めポーズをとっている男がいるが、彼女は気にも留めない。
彼女はタワーの周りに均等に並んだ木の横を通り、無数に落ちた少女の髪と同じ桃色の花弁踏みながら、真っ直ぐ目的の場所に向かっていく。
そこは巨大なタワーの前だった。沢山の人が小さな紙を握り締め、落ち着きのない様子で壁面に付けられた大型ビジョンを見上げている。
ただ真っ直ぐに画面を見る少女。十代後半らしき彼女の首元には星の形をした幼げな玩具のネックレスがある。
Liveと表示された画面には、鎧を着て大剣を携えた女性と大きな角の生えた赤色の人型の何かが戦いを繰り広げていた。
モニター下部にはテロップで、『第19魔王、7度目の復活。第19区域付近の方は警戒を』や『またか!?迷惑系勇者による非常識な行動!』といった最新の情報が流れてくるが、戦いに夢中な彼女の目には映らない。
鎧の女性の大剣が振り下ろされ、地面に崩れ落ちる赤い人型。その光景にタワー前の人達が、各々手持ちの紙にスキップしながらキスしたり、悪態を吐きながら紙をビリビリに破き始めた。
そんな周りの行動にも反応しなかった少女が、テロップに表示された『勇者カヤト、数々の功績により第四から第三英に昇格』という文字列を見た瞬間、両手をぎゅっと握り締める……。
右手の甲にある小さな線のような物を触った後、目を瞑りながらネックレスを握る彼女。
「お姉ちゃん頑張るから」
それは周りの誰の耳にも入らない声だったが、力強く重い、決意のようなものが込められたものだった……。
◆
「本日からこのワイス学園に転入して来ましたタイム・クロタキです!皆さんよろしくお願いします!」
笑顔で、右手の甲を隠しながら挨拶するタイム。彼女の名前を聞いた瞬間、周りがざわつき始める。
「クロタキって勇者一家の?」
「何でこんな時期に?」
「カヤト様の妹!」
タイムの前方に座った20名の生徒が各々反応する。彼女の背後には教壇とスクリーンがあるが、最も不思議なのは……。
「あのー?」
近くにいる生徒に声を掛けるタイム。
「何?」
「あれ誰?」
彼女が指を差したのは、クラスの中央、その天井辺りにある青色の空飛ぶボードで寝転んでいる男性だった。
長身顎髭の彼は、手袋やトレンチコートなどの厚手の服を着て、まるでここが自分の寝室だと言わんばかりに、頭の後ろで手を組んでスヤスヤと吐息を立てている。
「あぁ、あれ。うちの担任のコルディア先生だよ」
「担任なの!?」
「働きたくねぇ。一生寝ててぇ」
「凄い寝言いってるけど」
「先生!タイムさん来たよ!起きて!」
元気溢れる小柄な生徒が声を掛ける。他にも真面目そうな女の子や落ち着いた眼鏡の少年、暑苦しそうな男の子などがクラスにいた。
「先生!」
「……うん?もうご飯の時間?」
「違いますよ!転入生です転入生!」
「あと5分」
「既に開始から5分経ってます」
クラスメートに案内され、定規で引いたように真っ直ぐ自分の席に向かっていくタイム。
その途中、彼女を睨み付ける鋭い目付きの生徒と目が合うが、軽く会釈をしてそのまま席に着く彼女。
「ふぁ……何だ?転入生来てるじゃねぇか」
ようやく起きる自堕落男。
「じゃ、とりあえず」
前方のスクリーンに鎧を着た男女が映し出された。
「このワイス学園は勇者を目指す生徒を集めた教育機関だ」
映像が切り替わり、カリキュラムが表示される。
「勇者になる方法は幾つかあるが、この学園ではポピュラーな勇者認定試験合格を目指した授業を行っていく」
スクリーンが消えた。
「じゃ、一年後の認定試験に向けて各々適当にやってけ」
そして、授業が始まる……。
「ふぁ……じゃ復習。ソウ、魔族についての説明を」
「えーっと……」
「はい!」
言い淀む鋭い目付きの生徒を遮り、左手を挙げるタイム。
「じゃ、お前」
立ち上がった彼女が喋り始める。
「魔人は人型の見た目と知性を持ち、肌が青など様々な色で統一され、魔王はそれに合わせて頭に角が生えています」
「正解」
「そしてそのどちらもが、勇具を介さずに魔法や開技が使えます。魔族は、それらに該当しない魔物なども含めた人類を害する存在の総称です」
「やるじゃねぇか」
「ちっ!」
舌打ちするソウ。その後も彼女が座学で活躍する度に、彼は不服そうな表情をしていた。
授業が終わる度何故か姿を消すタイムを見て、不思議そうに噂する同級生。それを片目で確認していたコルディアは……。
「飯食うのめんどくせぇ。光合成で栄養補給出来ねぇかな」
我関せずだった。
◆
校舎外にある模擬演習場。整えられた地面の上に生徒達がいた。
「ふぁ……じゃ演習始めるぞ」
彼は眠そうにしながら、ズボンから小さな四角い結晶を幾つか取り出した。
「この魔晶石にはランクAのコボルトが封印されてる。今からお前らの中の数人に、それと戦って貰う」
億劫そうに喋り続ける男。
「知っての通り、Aは魔族の中で最低ランクだ。そこで今回は、魔法や開技の使用を禁ずる」
「勇具自体は使用していいんですか?」
「構わん。まぁAなら模擬勇具でも大丈夫だろうがな。それと」
彼は、側で浮いているカメラが付いたドローンを指差した。
「通例通りこの演習はムーバーで配信されてるから、言動には気を付けろよ」
(先生が言うんだ……)
ボードの上で寝転んでいる担任を見ながら、心の中で突っ込む生徒達。
「あー、それじゃスターふあぁ……ト」
緊張感のないゴングが鳴ら、様々な生徒が順番にコボルトを倒していく。
「っと!」
教室でタイムを睨んでいたソウの槍が、二足歩行の犬のような魔物――コボルトの胸を貫いた……。
「じゃあ次は……タイム」
「……」
「タイム?」
「は、はいっ!」
「次行けるか?」
「……すみません。今少し体調が悪くて」
申し訳なさそうに断ろうとするタイム。だが……。
「おいおい何だよ」
ソウがそれを遮った。
「勇者一家のエリート様は、ランクA如き相手にもしないってか?」
「……」
彼の発言にタイムは何も答えない。ざわつく生徒達を見た担任は……。
(あー、めんどくせぇ)
ボードの上で、寝たふりをしていた。
「そうだよなぁ!エリート様は俺らみたいな木っ端に何もかも押し付ける。それがお前らのやり方なんだろ?」
彼は笑いながら彼女を煽る。
「……わかり、ました」
タイムはネックレスを握りながら、ボードの上のコルディアを見た。
「次は私が戦います」
◆
「制限時間は5分。コボルトを倒せば勝利だ。万が一倒せなかった場合はこちらで処理する」
ボードの上で寝転がりながら説明する男。
「ふぅ……」
タイムが左腰に携えた鞘から右手で剣を引き抜き、呼吸を整える。
それを確認したコルディアが魔晶石を割り、地面に向けて放り投げると、光と共に短剣を持ったコボルトが現れた。
「じゃ、スタート」
剣を正面に向けて構えたタイムが一気に踏み出した。
彼女の一撃にコボルトが後退る。剣と短剣が交差し、金属がぶつかる音が何度も響く……。
周りで見ていた生徒が少しずつ騒ぎ始める。
(……大丈夫だ)
彼女の胸中とは裏腹に、戦闘は長引いていた。生徒の話し声が少しずつ増えていく。
真上から振り下ろされた剣が、コボルトによって真横に弾かれた。
「あー」
暫く様子を眺めていたコルディアが、躊躇いながら喋り始める。
「タイム、もう少し剣の動きに捻りを……」
彼女は男へ一度視線を移すが、聞こえていないのか、先程と変わらない動作で剣を振り下ろしていく。
何度も、何度も……。
既に周りの生徒の声はかなり大きくなっていた。
「手加減してるのよね?」
「相手コボルトだぞ?」
それを聞いていたコルディアがボードの上で起き上がる。
(めんどくせぇ)
彼は頭をかきながら、タイムに再び声を掛けた。
「剣筋が全て真っ直ぐ過ぎる。少しは変化を」
だが、彼女はそのまま戦い続ける。
(私なら出来る!今までずっと)
やり方を変えないタイムの攻撃は、既にコボルトに身を翻して回避される程に読まれていた。
「……ははっ」
彼女を煽っていたソウが、急に笑い始める。
「雑魚はてめぇじゃねぇか!」
タイムを見て大笑いする少年。そんな言葉にも動揺せず、コボルトを懸命に攻めるタイム。
「おーい!エリート様、頑張れ?頑張らないと……」
ソウが戦闘の様子を配信しているドローンを指差す。
「画面の前の皆が、笑いすぎて死んじまうぞ?」
「っ!」
「何だ?」
様子のおかしいタイムに気付くコルディア。何故か彼女はその場で棒立ちしている。
そんな彼女の顔目掛けて、コボルトが短剣を振り下ろす。見ていた同級生の悲鳴に我に返るタイム。
だが、目の前まで迫った短剣に反応出来る筈はない。
切っ先の触れた眉間から、赤い滴が零れ落ち……。
「そこまで!」
コルディアの声が辺りに響いた。
「……えっ?」
眉間から血を流し、動揺するタイム。いつの間にか目の前に現れたコルディアによってコボルトは両断されていた。
「私……負け……」
彼女は地面に倒れ込んだ。
◆
「お兄ちゃん聞いて!今日ね、模擬試合で男の子に勝ったんだよ!」
「凄いじゃないか!」
兄は幼い私の話をよく聞いてくれた。両親が帰らなくなった家の中で、唯一私の様子を気に掛けてくれる存在だった。
「こう横からびゅーんってきたのを、私が上からばーんてしてね」
身振り手振りと擬音だけで喋る私の話を、うんうんと頷きながら笑顔で聞いてくれる兄。
まだ10歳にも満たない兄は、既に勇者としての頭角を現し、伝説と呼ばれた父と母の再来とその頃には呼ばれていた。
正義感が強く、誰にでも分け隔てなく優しい兄。まさしく勇者に相応しい、そんな兄が私は大好きだった……。
だからこそ……。
「これなら私も……」
「うん?」
「リリアとした約束……私、お父さんみたいな勇者になれるかなぁ?」
妹に貰った星のネックレスを触りながら聞く私。
「……」
私の話を聞いた兄は、自分の右手の甲を見せてきた。
そこには、半分に欠けた星の形のような線がある。幼い私ですら知っていた。
それが、勇者の資質を示す星の刻印だという事を。
兄は私の右手を取って、ゆっくりと甲の方を見た。
「僕がタイムぐらいの時には刻印が4分の1程出現していた」
優しい兄がどんな言葉を掛けてくれるのか?
その時の私は、まだ理解出来ていなかった。
「だけど……」
私の右手の甲を見る兄。私の手には刻印らしき物は少しも出ていない。
「……」
優しさからか、兄はそれ以上何も言わなかった。
ただその時の……。
再起不能になった勇者を見るような、羽をもがれた鳥を見るような。
そんな何とも言えない表情を浮かべた兄の顔を、私は忘れる事が出来なかった……。
◆
「……っ」
ベッドの上で目覚めるタイム。彼女はネックレスを握りながら、右手を確認する。そこにある刻印は10分の1もない。
「おーう、起きたか~?」
「?」
そこには、空飛ぶボードの上からタイムの様子を窺うコルディアがいた。
「怪我は大丈夫か?」
自らの額を指差す男。
「大丈夫です」
「そうか……」
「……」
その場に沈黙が訪れた……。
(あー、めんどくせぇ)
頭をかきむしるコルディア。
「意外ですね」
「うん?」
「様子を見守っててくれるなんて」
「あー、たまたま? ここなら寝てても何にも言われないしな」
億劫そうに答える男。
「先生にとって……」
「うん?」
「勇者って何ですか?」
「勇者ぁ?」
ボードの上で胡座をかきながら、眉間に皺を寄せ、腕を組みながら続けるコルディア。
「……希望。いや、絶望だな!」
「絶望?」
「あぁ。昔ならともかく今や勇者は、視聴者やスポンサーの為のもんだ」
「それは」
「挙げ句、迷惑系勇者なんて馬鹿みたいなもんまで出てきた。こんなんじゃ魔王は滅ぼせねぇ」
「滅ぼす?魔王は死んでも、また生まれ落ちてくるんじゃ?」
「だからこそだよ。俺は勇者に、魔王を完全に滅ぼす程の力を付けて欲しいんだよ」
声のトーンを幾つか落としながら男は続ける……。
「魔王は1人残らず滅ぼす」
「……」
「……はぁ。お前の方こそどうなんだよ?」
らしくないと言わんばかりに頭をかきながら、コルディアはタイムに質問する。
「お前にとって勇者とは何なんだ?」
「……進む」
「?」
彼女に迷いはなかった。タイムの脳裏に浮かんだのは、過去に見た大きな背中……。
「どんな絶望的な状況でも、一歩前に進む人の事です!」
「ほーん」
興味ないと言うように、ボードの上に寝転がるコルディア。
「ま、起きたなら寮に帰れ」
彼に見送られ、寮まで帰るタイム。
◆
次の日、教室の雰囲気はがらりと変わっていた……。
何かをされる訳ではない。ただ皆が遠巻きにタイムの事を見ていた。
前日と変わらず、休みになる度彼女が姿を消していたのも相まって、彼女とクラスメートとの距離は広がっている。
事件は放課後に起きた……。
「こいつ本当にあのヤマトの娘?」
手に持ったプレートを見ながら、何かを読み上げていくソウ。
「失望した!勇者目指すなクズ!」
何人か姿は見えないとはいえ、教室にはタイムも含め殆どの生徒が残っている。
「これがヤマト様の妹?こんな雑魚なら代わってよ」
目線をプレートから、席に座るタイムに移すソウ。
「昨日の配信を見てた視聴者も、よく分かったみたいだな」
ニヤニヤと笑いながら続ける少年。
「ソウ止めろって。大体、昨日の配信ならお前の悪口もめちゃくちゃ書き込まれてただろ」
「うるせぇな!俺の事はどうでもいいんだよ!」
同級生が止めるのも気にせず、話を続けるソウ。
「勇者一家の娘が聞いて呆れるな」
わざわざタイムの前まで歩いていく少年。
「もしかして、クロタキ家の娘ってのも嘘なんじゃ……」
――バンッ!と机を叩きながら立ち上がるタイム。
「な、何だよ!やるのか?」
「……あっ」
自分の行動に動揺したのか、取り繕うようにクラスから出ていくタイム。
廊下を真っ直ぐ走る彼女の後ろ姿を、ボードで寝転ぶ男が片目で見ていた。
◆
「ふっ!ふっ!」
模擬演習場の一角で、タイムが剣を何度も必死に振り下ろしている。
「毎度毎度精が出るねぇ」
「……何してるんですか?」
「それはこっちの台詞だよ。ここは元々俺の日向ぼっこスポットなんだよ」
ボードの上に寝転んだまま答えるコルディア。
「なのにお前は暇さえあればブンブンブンブン、剣振りに来やがって」
「す、すみません」
「……」
「?」
「なぁ、何でお前は自分のやり方に固執するんだ?」
演習の事を指摘する男。暫くの間、剣の振る音だけが響いた。
「……私は」
剣を振ることを止めずに、話し始めるタイム。
「自分の力で勇者にならないと意味がないんです」
「教えを乞う事と、自分の力でなる事はまた別じゃないか?」
「……」
その問いにタイムは何も答えない。
「はぁ……」
剣を振る彼女の手を見るコルディア。豆だらけの彼女の手は血が滲んでいる。
「そこまでして勇者になりたいもんかねぇ」
「なりたいですよ!!」
彼女の怒声が演習場に響いた。
「今までずっと色んな人から言われて来ました!お前には無理だ!それでも勇者一家の娘か?嘘付いてるんじゃないのか?」
剣を地面に落とし、声を荒らげるタイム。
「何度も、何度も!……でもそんなの!」
彼女はそれでも剣を拾い、また振り始める。
「私が一番分かってるのに!」
静寂を切り裂くように、彼女の声が響き渡った……。
「……私には才能もなければ、可能性だってない」
うなだれた彼女の手から剣が滑り落ちる。手のひらから零れた血の涙が、地面に跡を作った。
「勇者になれると言ってくれた妹の……亡くなったリリアとの、たった1つの約束すら守れない……」
絞り出すようにそう言った後、タイムはその場から走り去った……。
「あー!」
頭をかきむしりボードの上に仰向けになる男。
「めんどくせぇ」
◆
タイムは何時間もあてもなく歩いていた……。
近くには町の目印、巨大なタワーが見える。
ネックレスを握る彼女。今まで心に刺さった沢山のトゲが彼女の脳裏をよぎり、内側からタイムの心を砕いていく。
一歩一歩進んでいた彼女の足が、まるで底無し沼にでもはまったかのように重くなる。やがて……。
タイムはその場に立ち竦む。地面に呑み込まれるような錯覚。
(やっぱり私は、勇者になんて……)
その時だった……。
タワー前の人混みが騒がしくなる。
「何?」
近付くタイム。そこでは……。
「みんなブレブレー!現役勇者オダマキのムーバーチャンネルにようこそぉ!」
ラフな格好をした男が、手に持ったプレートで動画を撮っていた。現役勇者と聞いた沢山の人が憧れの目でそれを見学している。
「今日は、前回好評だった街中シリーズ第2弾!」
ウインクしながら男が続けていく。
「街中でコボルト出してみた!をやっていこうと思います!」
男がポケットから取り出したのは小さな四角い結晶だった。
(あれ魔晶石!?)
オダマキと名乗った男は、何の躊躇いもなく魔晶石を地面に叩き付けた。
(何して!?)
タイムが驚いている間にも、ポケットから取り出した魔晶石を追加で割る男。結晶が砕け、中から3匹のコボルトが出てくる。
3匹のコボルトは短剣、弓、杖をそれぞれ持っていた。周りの人間はそれがどういう状況なのか理解せず、興味深そうにコボルト達を見ている。
「あっ!皆さんご安心を!こいつらは俺の勇具で……あ、あれ?」
男が背中に伸ばした手が空を切った。
「忘れた……」
血の気が引いていくオダマキ。
「ぎゃっ!」
最初の被害者は、短剣を持つコボルトを見ていたおじさんだった。
切り取られた彼の鼻が、地面にぽとりと落ちる。周りの人間がそれに気付く前に、矢が女性の肩に突き刺さり、杖から発射された魔法がコンクリートの地面を吹き飛ばした。
パニックに陥った住人が叫びながら逃げていく。だが、もう遅い。コボルト達が彼らを襲い始める……。
「はぁはぁはぁ」
その光景に、荒い呼吸でネックレスを握り、小刻みに体を震わせるタイム。
(だ、誰か!憲兵は!)
彼女が辺りを見回すが、それらしき人物はいない。よく見るとその人だかりにはソウなどの同級生達もいた。彼らもその場で立ち竦んでいる。
その間にもコボルトの短剣が女性に振り下ろされ、矢が男の足に突き刺さり、魔法による衝撃で数人が吹き飛ばされた。
(だ、大丈夫!直に憲兵が……)
皆が泣いて、叫んで、必死に逃げ出そうとしている。
(それに今は勇具すらない)
自分を盾に子どもを守ろうとする母親。痛みに呻く女性に肩を貸す男。恐怖に震えながら、地面の上でただ体を丸めるしか出来ない老人。
(私には才能もなければ、可能性だってない)
「ひっ!」
迫ってきたコボルトに恐怖し、尻餅をつくソウ。彼を見下ろしながら、手に持った短剣を振り上げるコボルト。
(私は勇者になんてなれ……)
震えながら目を瞑るソウ。その光景を見て、怯えるリリアとそんな妹と一緒に見た大きな背中がタイムの頭をよぎる。
短剣がソウの顔目掛けて、振り下ろされた……。
「うわぁぁぁぁ!」
「なっ!?」
叫び声を上げながらコボルトに体当たりするタイム。彼女はコボルトと共に地面に倒れ込んだ。
ソウの髪を掠めた短剣が、床に転がっていく。ゆっくりと起き上がりながら、その短剣を拾うタイム。
「もし勇者になれないのだとしても……」
彼女はその場に立ち上がり、星のネックレスを握る。
「私は妹が誇れる、勇ましい者でいたい!」
ネックレスから手を放したタイムが、前方に短剣を構えた。
「ははっ……」
人だかりの中でその光景を見ていた男が思わず笑みをこぼした。
「めんどくせぇなぁ」
◆
矢がタイムの頬を掠め、魔法が彼女の足元の地面を吹き飛ばす。背後から迫ってきたコボルトの爪を短剣で弾くタイム。
彼女にとって、状況は絶望的だった……。
周りの人にこれ以上被害が及ばないよう、3体全てを誘導しながら動いていくタイム。
戦闘経験などないも同然の彼女には、先程から相手の攻撃を何とか防ぐくらいしか出来ていない。
武器もコボルトの短剣のみ。その状況で3体のコボルトによる弓矢と魔法、そして爪の連携から街の人を必死に守っていた。
(このままじゃ……)
一瞬動きを止めた彼女の頬目掛けて、コボルトの爪が襲い掛かる。
「しまっ……」
――カンッ!という音ともに何かがコボルトの顔に直撃した。
「何?」
「タイム!」
聞き覚えのある声が、彼女の耳に届いた。そこには、ボードの上に……いや、地面に足を下ろし真正面からタイムを見ているコルディアがいた。
「選べっ!」
男が地面を指差す。それは先程コボルトの顔に直撃した物だった……。
それでも逡巡するタイムにコルディアが叫んだ。
「勇者は一歩踏み出すんだろ!」
「……っ!」
地面に足を一歩踏み出し、前方に転がるタイム。彼女の耳にはコルディアが投げたイヤホンが付いていた。
「コボルトはそれ程頭は良くねぇ。連携をとるにしてもたかが知れてる」
聞こえてくる男の声に頷きながら、コボルト達の攻撃をいなすタイム。
「今から作戦を手短に話す」
「はい!」
「まずは起点だ。見てた限り3体のうち、最初に攻撃してくるのは弓か、爪だ」
タイムが3体全てを視界に収められる位置まで動く。
「爪の方はタイミングが読めないが、弓は……」
弓のコボルトが一歩後ろに下がった。
(今っ!)
聞いていた癖に合わせ、左に飛ぶタイム。その方向には……。
「ギッ!」
背中に刺さった仲間の矢に、思わず呻く爪のコボルト。
そんな相手の胸に短剣を突き刺し、盾のようにしながら弓のコボルトまで近付いていくタイム。彼女はそのままの勢いで、コボルトごと体当たりする。
「後は杖だ。あれは直線上に飛ぶ爆炎魔法を使ってくるが、見ていた感じ狙いがでたらめだ。近付きさえすれば何とかなる。だから……」
タイムはコボルトの胸から短剣を引き抜き、倒れた弓のコボルトを持ち上げた。彼女は足元に落ちた弓矢を確認する。
そのまま魔法を撃ってくる杖に向け、コボルトを盾に体を屈めながら突き進む。
(……っ!)
魔法が直撃し、弓のコボルトがはぜる。彼女を守る盾はもうない。
勝利を確信したように杖のコボルトがニヤリと笑った……。
爆炎魔法がタイムに向け飛んでくる。
「使える物は……」
「「全部使え!」」
彼女はコルディアの作戦を声に出しながら、先程拾った弓と矢を前方に放り投げる。矢の1つに魔法が直撃し、爆発した。
爆煙を纏いながら突き進んだタイムの短剣が、杖のコボルトの胸に突き刺さる。
「……やった!」
「な、なんだよ。報復したって意味なんてないぞ!」
「うるせぇよ」
彼女が声のした方に振り返ると、地面で気絶した配信者とコルディアが立っていた。
「コルディア先生!」
「な、何だ?」
「私は勇者に……なれますかね?」
「知らねぇよ」
「ははっ。そうで……」
「だが」
苦笑いをするタイムを遮ってコルディアが続ける。
「これが答えだろ」
周りを見るように両手を広げる男。彼らの周囲には、倒されたコボルトと安心した表情の住民達がいた。
タイムはそれを見て、ゆっくりと笑顔になる。
そのまま彼女は、一歩前に踏み出した……。
◆
荷物の積まれた部屋にコルディアが入ってくる。
「ふぅ……」
突然彼の体が輝き始め、その姿が変わっていく。
光が収まるとそこには……。
――頭に大きな角を生やした10歳くらいの少年が立っていた……。