9月11日は「公衆電話の日」
「あれは、何?」と道行く人の流れの中で、立ち止まっている人を見て言った。
「あれって、どれ?」ぼくはそのあれを探した。あぁ、あのサラリーマンのおじさんのことか。今時立ち止まって、前時代に流行った所謂『電話』をしていた。
「あれで会話ができるの?」
「うん、昔はみんなあんな風に、話したい相手に電話をしていたんだ」
「……昔は不便だったのね。でもまさか今、電話を使っている人がいるとは思わなかったわ」
「いつの時代も、ノスタルジーだか、現代のテクノロジーの否定だか知らないけど昔の機械にこだわる人はいるものさ」
街には人があふれていた。いいや正確には人型のアンドロイドがあふれていた。人は生身の肉体を捨て、「こころ」が宿るとされる心臓も捨て、脳だけをアンドロイドに移植しはじめて半世紀が経過した。人工心臓に変えてから「こころ」を失ったという話はまだ聞かない。
隣の彼女は最新式のアンドロイドに乗り換えたばかりで、様々な機能を使いこなせないと嘆いていた。脳内チャットにリアルタイム通信でのデータ双方向受信等の最新の技術が搭載されている。
「あのおじさんが使っていたスマートフォンって、今まだ使っている人どのくらいいるのかしら?」
「そうだなぁ、まだ根強い人気みたいだよ。生身の人間にはね。それよりも、この前古い映画を見たんだけど、もっと昔は公衆電話っていうのがあって、街中にお金を入れて使える電話があったんだって」
「へーみんな電話が好きだったのね。でもそれって話してる内容が他の人に聞こえたりしないのかしらね」
「うーん、今ほどプライバシーも厳しくなかったのかもね」
「私は今の時代に生まれて本当に良かったなー」
そう言う彼女にどのように返答すれば自然なのか、完全人工脳の人造アンドロイドのぼくは、ラーニングした様々なデータから適切な言葉を探していた。
会話は電話と同じだ。テンポが大事とラーニングデータには書いてあった。
9月11日は「公衆電話の日」