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7月19日は「発泡スチロールの日」

海岸では近くの小学校の生徒たちが熱心に先生のはなしを聞いていた。みんな先生の声に耳をすませ、目線は海を見ていた。

不思議とふざけている生徒は一人もおらず、メモを取っている生徒も多い。この学校のこのクラスが優秀なのか、はたまた今の時代の子供はみんな全国どこの学校も同じなのか。自分が子供時代と随分違うなと思った。

「きれいよね? わたしはすきよ」

海からの風が彼女の髪をさらう。

「海は苦手だな」ぼくは言う。

小学生たちから離れると、海岸は静かになった。波が行ったり来たりそしてたくさんの発泡スチロールの欠片や、プラスチックの欠片が海岸に流れ着いた。

ものすごく細かくなり、海岸の砂と見分けがつかないものもあるし、ある程度大きさを保っているものもあった。それは当たり前だが自然のものではなく、人工物で人が捨てたものだ。

ぼくが子供のころはここまで海はひどくなかった。そりゃ少しは海にゴミは浮いていたが、今はそのレベルが違う。

さきほど先生が「昔は海から魚を取って食べていました」と言うと、

子供たちは「えー嘘! 先生嘘つき」と言っていた。

今の子供は完全養殖の魚しか食べたことがない。当たり前だ。生命の海は、ある時代から発泡スチロールやプラスチックが泳ぐ死の海になったのだから。

「きれいよね? わたしはすきよ」

ぼくはまた海を見る。見渡す限り浮かんでるのは発泡スチロールだ。

「死んでいるけど、きれいかもね」そうぼくは言う。

7月19日は「発泡スチロールの日」


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