しまだ大井川マラソンを走った【4kmまで先頭→19kmまで2位集団→撃沈】
2024年10月27日(日)に静岡県島田市で開催された「しまだ大井川マラソン」を走りました。直前で体調を崩し不本意な結果ではありましたが、自分の今後に向けてと、来年度以降走られる方にとって何かのヒントになればと思い、振り返っていきたいと思います。
1.プロフィール
「お前誰やねん」って方もいると思うので、簡単に自己紹介します。
年齢:30歳 社会人9年目
職業:事務職
陸上経験:高校1年生の秋から
自己ベスト
1500m 4’00(2024 吹田ナイター)
3000m 8’43(2024 吹田ナイター)
5000m 15’16(2024 日体大記録会)
ハーフ 1:12’45(2023 和歌山ジャズマラソン)
フル 2:29’39(2024 大阪マラソン)
2.直前2か月間の練習
とにかく走りこむこと、走行距離を増やすことを心がけた。8月に長期の旅行に出ていたこともあり、走力はかなり落ちた状態。そこからの復帰も兼ねていたので、9月はひたすらJOG。10月には変化走・遅いインターバルを中心にスピードを鍛えて挑んだ。
ペースはさほど重要ではなく、長い時間のジョグを積み重ねればマラソンは走れると思っていたので、トレッドミル上で90分以上のJOGを12回(max134分)、ロードでの21km(キロ4分15)を3回、30km(キロ4分)を2回実施した。
3.レース前の一週間
7日前の日曜日にペースメーカーとして30kmを実施。4分という速さは余裕だったが、思っていた以上に疲労が残り、不安を感じた。月曜・火曜は軽めのJOGでつなぎ、4日前の水曜日にはレースで使用するシューズを試すために4kmペース走(3’15/km)をやろうとした。しかし、久々にロードで走ったためスピード感が分からず、1km目を3’03で入ってしまう。落とすのもリズムが狂いそうだったので、そのまま3kmまで走り9分05秒。「まあいいか」というのがこのときの感想だった。
ただこの日の夜あたりから鼻水・鼻詰まりを感じるようになっていた。寒暖差にやられたのだろう。とにかく寝ること・身体を温めることを大事にして、安静にして過ごす。木曜日は通勤ランとして7km、金曜は通勤ランはせず、帰宅後にトレッドミルで30分走った。このとき、普段より発汗量が多いことが気になっていた。
また、半年前の大阪マラソンで、前日全く眠れずに布団の中で朝4時まで寝れなかったことがあった。その対策として、一週間前から就寝時間を早め(22時~23時)、朝6時ごろには起きるようにした。
4.レース前日
翌日のレースと同様に、午前9時から走り出した。メニューはトレッドミルでの30分jog。帰ってシャワーを浴び、新大阪から新幹線で2時間弱移動して、静岡駅前のホテルへ。3時ごろ到着した後、なんだか眠くなり1時間ほど昼寝。
午後7時ごろに近くのカレー屋で大盛りのカレーを食べ、明朝元気になっていることを祈りながら23時ごろに就寝。でもあまり眠れず、何度か目を覚ましていた。
5.レース当日の朝
朝5時に起床し、散歩がてら近くのセブイレへ。おにぎり×2、味噌汁、マグオンをとって、7時に静岡駅を出発。8時ごろに荷物を預け、アップがてらスタート地点へ移動した。トイレに行きたくなるのを防ぐために、水はあまり飲まなかった。その分、走り始めの早い段階から給水を取るように心がけた。
6.使用したウェア・シューズ
ウエア…Asics METARUN SINGLET
タイツ…Asics MOTION MUSCLE SUPPORTスピードポケットタイツ
シューズ…Nike ナイキ ZoomX Vaporfly Next% 3
時計…SEIKO Super Runners Solar
7.レース
結果はこんな感じだった。
4kmまで先頭
先頭を引っ張るつもりなど全くなかったのだが、感覚で走ろうとしたら自然に先頭になってしまったので、仕方なくそのまま走り続ける。数千人のマラソン大会で先頭を引っ張るなど初めての経験だったので、結構楽しかった。最初の1kmは3分24秒。
まだ元気だった19kmまで
市街地を抜け5km地点に差し掛かるところで、昨年2位の方が一気にペースを上げた。一瞬ついていこうとしたものの、あまりにも速かったのでここは様子見。さすがにこの後全て独走は厳しいだろうと判断し、2位集団で走った。5kmの通過は17分4秒、フルマラソンにおける最速の入りだった。
2位集団では、一人の方(写真右の選手)がずっと先頭である程度引っ張ってくれていた。後ろにいた海外の選手はおそらくyoutuberだったのか、撮影しながら走っていた。10kmは34分05秒、15kmの通過は51分30秒と、自己ベストを大きく上回るスピードでレースは進む。
余裕持って走っているつもりだったが、このあたりから少しキツさを感じていた。直前の体調不良が響いていたのだろう。汗の量も普段より多かった。ふと横を見ると、かなり細身で明らかに余裕そうな若い子が。この時の勘はあたっていて、約1時間半後に先頭でゴールテープを切る選手だった。
地獄の後半戦
20km手前から少し遅れてしまい、20km通過は68分35秒、ハーフの通過は1時間12分30秒前後だった。もちろん非公認ではあるが、自己ベスト(1時間12分45秒)を、フルの通過で更新。4日前に3kmを9’05で走れていたので、序盤はスピード的に余裕があったのだろう。ただ、中間点より前できつくなってはフルなど走れない。26kmくらいまでは何とか3分30台を維持したものの、一気に疲労に襲われ、30kmを過ぎたところでは歩く・止まるを繰り返していた。「もうやめようかな…」と思ったところで、直前にSNSでフォローしあう仲になった選手に「一緒にいきましょう!」と声をかけてもらい、ちょっと復活。何とかゴールを目指すことを決意した。
32km以降は地獄であった。後ろから何人ものランナーに抜かれるし、足も痛くてJOGすら結構きつい。先に折り返しすれ違う先頭2人の動きの軽さに関心しながら、動かない足に絶望を感じていた。
意地の2.195km
それでもどうにか1km5分ちょいで移動(走るとは言えない)し続け、40kmを通過。この時点ですでにベストタイムは超えていたが、このあたりから10kmレースに出場したランナーが周りに多くなっていた。それもあってちょっと元気になり、ラスト2.195kmは気合でペースを上げ、ラスト1kmはこの時出来る最大限の全力疾走。40km以降を8分18秒で走り抜けられたのは、多少の意地だった。
8.レースを終えたあと
身体のエネルギーはすべて使い切っていたので、レースは撃沈。もらったウイダー・ペットボトル2本は秒で飲み切った。荷物を受け取って着替えて、ちょっと休み、おもてなし券でビールを買って島田駅へ。新幹線代がもったいなかったので、在来線で6時間かけて帰宅した。
翌日・翌々日は筋肉痛で全く走れず。水曜日は走れるといいなあと思いながら、この記事を書いている。
9.今回の学び
先頭を走れることは最高
前半でも書いたことなんだけど、先頭で走ることは本当に気持ちよかった。沿道の視線を浴びながら、目の前には先導車のみ。自分がレースを支配しているような感覚(全くそんなことはなかったけど)。箱根駅伝で1位のチームが区間賞を取りまくるのが分かった気がする。そりゃ力以上の力が出るわ。
走りこめばスピードは上がる
マラソン4日前にやった調整練習では、ロード3km単独走を9分5秒で走ることができた。3000mの自己ベストは8分43秒なのでまあ出せないタイムではあるんだけど、1キロ3分に対する余裕度は以前と比べ物にならないくらい高まっていた。
でも、1km3分ペースの練習なんてほぼ無し。スピードを上げるためにはとにかく速い動きを、と思っていたが、それよりもある程度の距離を走りこむことが重要なんやなあと思った。もちろん1km2分30秒を切るような速さはまた違うかもしれないが。
以上になります。この記事が、読んでくださる方のプラスになれば幸いです。
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