平和ボケじゃダメなのかな
2022/2/24 ロシアのウクライナ軍事侵攻に関する記事を目にした。その時の強い衝撃が蘇る。
「暗記すればするだけ偏差値が上がる科目」といった浅はかな認識で、受験のためだけに日本史や世界史を学んできたと思う。
それが故に、受験生当時に詰め込んだ知識は今やほとんど残っておらず、ニュースを我事として捉える感覚も足りていなかった。
そんな中でのウクライナ軍事侵攻。世界で様々な紛争が絶えず起こっていることは知りながらも、2/24、人生で初めて「戦争ってホントに起きるんだ」と感じた。恥ずかしい。
「人生初」の実際の戦争によって、私はちょっとしたパニックに。
なんで?どゆこと?なになに?
頭の中にとにかくたくさんの「???」が並んだ。
特にはじめの10日間。最新の情報を得ていないと心がバクバクして、携帯にかじりついていた。
生後半年の息子を片手で抱えながらせっせせっせと親指を動かす自分自身に嫌気がさして、夫に携帯を隠してもらい「強制的に携帯から遠ざかる運動」なんかもした。
ニュースを見る→背景がわからないから全く理解できない→調べる・学ぶ→ニュースを見る→次のニュースも全く理解できない→調べる・学ぶ→ニュースを見る→また理解できない......の繰り返し
この1ヶ月半、携帯にかじりついて得た日本史世界史の知識は、高校3年間で得たそれよりも多いように感じる。
とはいえ、この軍事侵攻に関して自分なりの"政治的見解"を言うつもりは毛頭ない。
正確に言うと、そんなことを言えるほど、まだ専門的視点を養えていない。
もっとシンプルに言うと、そんなことを言えるほど、私は賢くない。
ただ、そんな私が声高に叫びたいのは
「平和ボケじゃダメなのかな」
ってこと。
【一人の大統領、あるいは一部の"偉いひと"の判断により、「日常」を過ごしていた無実の人々が砲撃・拷問・餓死により殺される。しかも大量に。】
どんなに一生懸命「戦争とは」に関して考えたって、結局出てくる答えってこんな感じじゃない?
なんで21世紀に、こんなことになってるの?
なんで2022年に、こんなことをやってるの?
理解が出来ない。
残念ながら、私には全く理解が出来ないのだ。
日本では度々「平和ボケ」という言葉が使われる。日本人が、日本の平和を、当たり前に享受する姿を皮肉ったことばである。
今回の侵攻を受けて、平和は空気のようにあるものではなくて、先人が創り上げてきた偉大なモノかつ、今後は私たちが守り抜いていかなければならないモノであるらしいことを知った。
でもさ、平和は空気のようにあるべきものだよ。
人は、人として生きる権利のもと、戦争のない世界で生きていくべきだよ。
もっともっと世界中が「平和ボケ」をしているべきだよ。
とそんなことを考える日々だ。
2/24を境に世界は明らかに変わった。
各国がザザザザザーと音を立てながら、それぞれの「立場」に向けて動いているイメージだ。
日本でも今後、軍事費の増強や、自衛隊の立ち位置、北方領土、尖閣諸島、各国との同盟関係等々、向き合っていくべき課題が山積みであろう。
でもいつの日か
日本、そして世界中の人々が
「平和ボケ最高。いえーい。ピース。」
と、軽いノリで言っちゃうような、
平和が空気のように
当たり前に存在するような
そんな地球になって欲しい。
だっておかしいよ。
戦争って絶対におかしい。
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