「ばばあ」と呼ばれることが嫌じゃない
どうも、最近老後が心配な35歳のわたしです。
人生100年の〜と言われて久しいのですが、心身の衰えを感じる昨今、独身のまま突入するであろう自分の老後が不安でなりません。
さて、年齢がどうこうとかいうつもりもありませんが、どんなに気が若いとしても、どんなに見た目が若々しかったとしても、肉体は老化していくのが世の常、人の常であるには変わりなく、その老いを当たり前のこととして受け入れたいとおもうので、わたしは自分がババアになることも、またそう思われることも、そう呼ばれることも否定しないでいたいなと思っています。
(若くありたい、と思って努力をする人のことを否定するわけではありません)
だってそれ否定したらババアって呼び方がただの悪口になっちゃうじゃないですか。
老いることは悪いことでも、ましてや人から揶揄されることでもありません。
呼び方に意味を持たせるのはそれを使う私たち自身であるので、根本のところの考え方を変えなければ、その言葉を使わなかったとしても、また違う呼び名が生まれて揶揄されることはなくならない。
一方、悪い意味を込められて生まれた名称があるとしたら、それは改めるべきだと思いますし、多様性を認めそれぞれが生きやすい世界を望む動きが活発化しているいまの社会において、無意識のうちにそれに当てはまらない人を苦しめたり傷つけるものは少しずつちょうどいい所へ調節できればいい。私たちの考え方を司るソフトウェアはそろそろアップデートしたり、これからのわたし達や社会全体が生きやすいように新しいものをインストールしやすいようにしておきたいものです。
そう思いながら、代謝が衰えて傷の治りが遅くなったわたし自身はそろそろババアを自負してもいい頃だなと思ったのでした。
そろそろお彼岸。田んぼの畝に彼岸花が咲いている景色をみつけ、「ああ、こういうものが良いと思え始めたのは歳を重ねて価値観が変わってきたからかもな、老いは精神の進化だと捉えたら前進してるとも言える。」と思えたので、歳を重ねても生きやすい社会であれと願っています。