自分の思考を「書く」という行為を通して客観視したら、ちょっとだけやりたいことに気づけた。
今年はこのnoteで100本目。
ああ、でも間に合うかな、紅白は蛍の光を歌い始めちゃったよ……
さてさて、どのnoteもそこそこちゃんと内容も主張もあるものばかりで、我ながらよく書いたな、と思う。相変わらずの自画自賛っぷり(笑)
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実はわたし、「こう思う」という論があれど、書くこと自体はそんなに得意でも好きでもない。
文章も思考の質も高い身近にいる人(ように見えるSNSを介した人)たちを見ては、しょんぼりしているのが実情で、思考の質はまだまだ浅いのは否めないし、もっといい表現やしっかり見直して文章ももっとよくできるはず、と思いながらも、そこの質はちょっと放棄している自分もいたなあと思う。(本業の仕事を頑張りたかったので、今年は捨てるべきところは捨てる対応を徹底していた。)
けれど、書き続けてきて気づいたことというのは、読んだ人の反応が知れるのが面白いこと、自分自身の思考を整理するプロセスであることが魅力となって、わたしはこの一年とにかく書く衝動に駆られて過ごしてきた。
ただただ「何か」書きたいの時もあれば、「あ、今の思考で至ったこの結論、もっと肉付けして説明したら絶対面白い!」という狙い撃ちの時もあって、とても衝動的な瞬間の積み重ねでもあった。
途中、「毎日書く人が続出している中、わたしも毎日書いたらどうなるのか、やってみたいなあ」とか、「わたしだってできるを証明したいし、毎日書いてみようかな」と思って書き始めた時期もある。
結果、「毎日書く」はわたしには向いていないことだということもわかったけれど、それでも「書く」が生活に多くの時間を占めた今年は、とっても良かったの一言に尽きる。
色々書いている中で、わたしが「書ける」分野と、「書きたくなる」分野と、「書いてみたい」分野があると思った。
特に、「書ける」分野はわたし自身の体験や視点というフィルターを長年通して培ってきたもので、それは今のわたしのアイデンティティなんだなとも感じた。
また、「書きたくなる」分野は、まだまだ発展途上だけれど、わたしの興味や指向性のベクトルが今まさに向いている分野で、これから掘ってみる余地、可能性を感じている。
最後に「書いてみたい」分野は来年のわたしの宿題だと思っている。
まだ自分自身の体験やインプットの足りなさから、形にしづらく苦しいけれど、きっと挑戦したらいい分野。
ちなみに、今それぞれはバラバラしているけれど、「書ける」分野と「書きたくなる」分野の掛け算で新しい自分のアイデンティティが生まれる気がしていて、そこで培った力を生かして「書いてみたい」分野に挑戦できる気がしてならない。
とても抽象的に書きましたが、2019年はわたしも新しい分野で自分をもう人ひねりしたいと思っているところ。
来年は「事業承継」「うつわ・産地」「いけばな・日本文化と伝統」「建築とデザイン」「善意の見える化とITとまちづくり」あたりを掘っていきたいと思っています。
具体的なことは、これからゆっくり「やりたいこと100」として書き出すことにして。
ひとまず、今年はこれにて。
考えること、書くことが苦手な人は、「書く」を習慣にすると良いですよ、と言いたくなる一年の終わりでした。
良いお年をお迎えください。