子どもに良く試されています
子どもと7年間毎週、療育に通っていました。
療育では年長の時はフォーク、スプーンの持ち方や運動などを覚えて家でも練習していくうちに出来ることが増えていきましたが
この循環が安定するまでには何年も時間がかかり
療育で出来たから家でも出来るはまた違って
学校や施設では出来るのに家では出来ない
このパターンあるあるですよね。
新しい事を覚えてくるたびにこれは家ではやらなくていいのか、子どもに試されている…という感覚を持ちながら接することがたびたびありました。
昨日出来たのに、今日は出来ないふりをしてきたり
→こういう時は私がえっ!?(〃゜口゜)!?くらいの大袈裟な顔をすると試している最中だから見ているですね。
ニヤニヤしていることも
バカ正直だから、表情に出ているのをどうしてやろうって思う時もたびたびありました。
無理をするとパニックになってしまうし、ほかっておくと全く何にもやらずに1日が終わってしまう、悩ましさ。
現在の放課後デイサービスなどの仕組みができる前だったから子どもが〇〇できたという経験が少なくやらされていると思っているのではないかと悩むこともありましたが続けるしかない。
出来るかもしれない事への自分の期待も重なって微妙なバランスに向き合ったり、目を背けたりの繰り返し。
我慢すればモチベーションは上がるかもしれない。
それだと自分を犠牲にする可能性もある。
我慢、犠牲、頑張るって悩みや不安が大きくなる循環だと感じています。
その循環にいると出口が分からなくなったら動けなくなるまで動いているかもしれない。
私は動けていたけど、表情はボロボロでした。
ボロボロ時期の写真を探したですが、あまりにも酷かったから無意識に廃棄したようです。
いつも我慢強いってプラスの言葉に受け取っていましたが、本当は周りに黄色信号だよって自分から投影しているかもしれません。
頑張っていた自分の姿を見ることを避けていたかもしれません。
だから言葉になってメッセージが届いたときはぜひ傾けてみてください。
いただいたサポートはぐるーみん、ボランティア活動のために活用します。