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千の鶴は羽ばたく

5月が来ると思い出す。
そういえば今年、私は彼女と同じ歳になった。
彼女は2年前の5月に逝ってしまっていた。それを知ったのは亡くなって少し経ってからだった。苦しいとき何も知らせてくれなかった。苦しんでいることに気づけなかった。
彼女のほかに、つながっている知り合いがいなかったし、私にその事実を知らせてくれる人はいなかったから。

彼女と最初に出会ったのはある講習会だった。隣の席に座り講座を受け帰り道を一緒に駅まで歩いた。まるでよくある話のようだけど、出会うべくして出会った存在であることがすんなりと理解できたし、実際に強烈に意気投合し、またすぐに会う約束をした。
彼女とは人生観や好きなこと、考え方など合致することが多く、お互いの話を聞き合い声を揃えての「そーそーそーそー」は、まるで合言葉のようだった。相談したときの的確なアドバイスもいつもありがたかった。
居心地がよくて、何かしら健康に関することやエネルギーワークの新しい情報を教えてくれ、いつも新鮮で、笑顔で、美味しいものを食べながら延々と続くおしゃべりには終わりがなかった。
私が地方で仕事をすることになっても、海外で仕事をすることになってからも、東京に戻って来れば、必ず彼女と会うことはお約束となり最大の楽しみとなっていた。
けれど、4年前に足のケガをきっかけにみるみると弱っていく彼女を見ていた。そのうち仕事も1年ほど休止。それでも彼女は元気にふるまっていた。

日本でもまだ珍しいマッサージのサロンを自分で経営していた。彼女のマッサージを一度も受けたことがなかったのは今でも残念でならない。
けれど別のライフワークとなっていたセッションは彼女のサロンで今までに何度か受けたことがあった。
それは私にいつも気持ちのよい変化をもたらしてくれた。
2年半前の年末、復帰して新しいサロンを再開したとのことで初めて訪ねた新サロン。明るくて温かな日差しが入る窓が大きくて素敵なサロンだった。
今となっては最後になってしまった彼女のセッションを受けたときのこと。
実は左胸にしこりがあり気になっていた。生理前だからかなとか乳腺症かなとか自分で言い訳をして見てみないふりをしていた。実際に今日は何のセッションをするかと聞かれても、特に悩みは何もないんだけどねと答える私がいた。けれど、彼女はすぐに「健康」に関して何か思うことない?と聞いてきた。「あ、そういえば左胸にしこりがあるような気がして」すぐにワークを開始してくれ、1時間ほどのセッションを受けた。
いつものようにそのあと食事に出た。そのときはフレンチビストロの美味しいお店へ。彼女は前よりも少し少食になったようだったけれど、いつものように気になっている健康に関する話や恋愛、少し先の未来の話など尽きることはなく、私は嬉しくて赤ワインを2杯飲んだ。
また会おうね、と駅前でハグをして別れた。抱きしめると線が細くなったなと感じた。少しびっこを引くように歩いて帰る彼女の後姿を見送り、私は電車に乗り、そして数日後マニラに戻った。
次は夏に。そう約束していたのに。

7月に一時帰国の予定がついたので5月中頃、会う約束をしようと彼女に連絡を入れたけれど一向に返事がない。心配してあれやこれやほかの手段を探して連絡を取るも何一つ返答を得られなかった。
彼女の身に何かあったのだろうかと嫌な予感がした。以前に話していた知り合いのブログなどを検索して唖然とした。やはり彼女は5月初めに逝っていた。友達なんかには誰にも何も告げずに、知っていたのは本当に身内のみだったとのこと。
最後に会ってからわずか5か月で、彼女は知らぬ間に逝ってしまっていた。

自分だったらどうするだろうかとしばらく考えた。誰一人友達に自分の病状や辛さを知らせずに静かに逝くことができるだろうか。
私には何もできないし、彼女の苦しみをどうもしてあげられはしないけれど聞くことはできたのに。ただ話してくれたらよかったのに。
ちょっとみずくさいなと感じるのと同時に、頼られなかった自分の不甲斐なさに、しばらくもがいた。
それでも、心のブロックがないと思っていた彼女にも、きっと人に弱みを見せられない頑固な一面があったのだなと思う。それはいつも笑顔で冷静で平和であった彼女の、私の知らない一部だった。
そのことを最後に教えてくれたのかもしれないな、とも思う。
5月が来ると彼女を想う。


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