いつだって「そもそも」に戻る! / トークイベント「道具とか家とか地域とか」
2023年1月6日。
TENTの青木亮作さんをメインゲストに、岐阜の設計事務所ミユキデザインの大前さんとみきさん、そして司会進行的な役割で私オゼキが加わり4人でトークイベントを開催しました。
岐阜市、みんなの森ぎふメディアコスモスにて。
会場である「かんがえるスタジオ」は定員100人!
最初は50名くらい参加してくれたら嬉しいよね、と言っていたところ、80名以上の方に参加いただき、スタジオ内もいっぱいに。
ご参加いただいた皆様、ありがとうございました!
登壇した私自身はものすごく楽しくて学びもたくさんあり、かなり充実した時間になりました。
皆さんはどうだったかな・・・。
今回は青木さんの著書「アイデアとかデザインとか」の発刊記念イベントです。
夫の本屋「カクカクブックス」もオープンしたことだし、本に関するイベントとして岐阜でも何かできないかな・・・と、声をかけさせてもらったのが今回のトークイベントのきっかけです。
現在進行中の青木さんの自邸についても話そう!ということで、設計を請け負っているミユキデザインさんにお声がけして、今回のテーマ「道具とか家とか地域とか」が決まりました。
1時間半の内訳
・著書より「優先順位」の話(青木)
・家づくりの話(青木×ミユキデザイン)
・皆さんの質問に答えつつ、地域も絡めたフリートーク
特に、家についての話が多くなりました。
トーク内容はかなり濃厚で、いろんなキーワード、いろんな情報があったのですが、その中でも私が気になったところをメモしておきます。
「そもそも」に戻る
家づくりの提案を、自分から言い出したことをすぐに思い切りひっくり返した青木さんの話。
家を作るときも、道具を作るときも、
「そもそも」なんで作るんだっけ?
「そもそも」何がしたいんだっけ?
は、毎回立ち戻らないといけない。
「そもそも」がずれているまま進んでいくと、枝葉を修正しても本筋はずれたままのものになってしまう。
言いにくいと遠慮してしまったりするような場面でも「そもそも」を忘れない、確実なものとして置いておくことで、その後の仕上がりが本質的なものになってくる、という話は、自分も意識していることだな、、、と納得感。
仕事でもコミュニティ運営でも「そもそも」これってなんのためにやってるの?とか、「そもそも」叶えたいことってこうじゃなかった?という話題はよく出します。
それを、言い出せない関係性や環境にしていくことが問題で、きちんと意見を伝え合えるチームこそが、良いものを作っていけるんだな〜と実感しました。
実際に、ミユキデザインさんは、青木さんの意見が変わったことを「なるほど」と素直に受け止め、ここまで思い切った変更を忖度なく伝えてくることで、思い切り意見を言い合えるように感じられた(ある意味やりやすくなった)、と言われていました。信頼関係の構築ですね。
こういう、「そもそも」を時折きちんと確認すること。
家はミユキデザインさんの作品でもなく、青木さんがお金を出して作ってもらうという価値交換の対象物ではなく、「協働」して「一緒に作る」もの。
そこには、忖度や遠慮は不要で、模型や図面はいったんそれぞれの手元から離れて、お互いがそれを良くしていこうとブレストできるよう客観的に見る、という感覚(オゼキ所感)というのがとても気持ち良い転換だな〜と思いました。
「そもそも」が共通認識であることで、必ず同じ方向で良いものを作り上げていける。
そういうチームっていいですよね。
「余白」に名前をつける
何もないところ、って、ちょっと不安・・・でも、名前をつけたら安心するし、価値ができる、という気づき。
「余白」があった方がいいよね、なんてことはお店作りをしていたときも自分でも言っていたし、デザイン的にもあった方が美しい、とか、そういった視点で使うこともあります。
でも、そういった表面的なものではなく、余白とはすなわち「手を加えられる余地」のことかな、と思いました。
例として、パリの街並みは古い建築物が大切にされていて、そこに価値があることはわかるけど、余白がない、若い人たちがそこで何か作り出そうと思えるのだろうか?という話がありました。
対して、岐阜の柳ヶ瀬は古い建物はたくさん建っているけど、壊したり付け足したりして「作っていい」感じの雰囲気がある。
そういった、「余白」「余地」みたいなものがあることで、「ないなら作ろう」とか「工夫して作ってみよう」という発想が生まれるのではないか?という視点が、確かにな・・・と思って聞いていました。
青木邸には「ブランク」と呼ばれる「余白」が作られていました。
何もない空間、ということ。
単純に「余白」があるのはいいな〜と思うけど、実際に自宅に「何にもない空間」を作ったところで、どうしたらいいんだろう?って不安にならないのかしら・・・と、質問をぶつけたところ、「不安なので"ブランク"って名前をつけました!」とあっけらかんと青木さん。
私は、あ、青木さんでも不安になるんだ、という謎の安心感と(笑)、なるほど、名前をつけると途端にちょっと意味ありげになることで安心するし、余白と言っても美術館のような「ないことが美しい」という白い箱ではなく、なにしてもいい、勝手に何かすればいい、自由に作れる場所、ということなんだ、と理解して急に気持ちが緩みました。
用途が限られているものって自分の介入する余地や隙がない。
私自身「決められている」とか「制限」というのがとても苦手な性格なので、余白のある場はとても安心できます。
「作る」というのを大切にしている青木さんの所属するTENTは、何もない大きなテーブル一つで、各々が自由にそこを使って物事を生み出していっている、とのこと。
それが生活の中にもある、というのが重要なんだな。
「選択する」⇄「自分で作る」
青木さんはものを作る人、ミユキデザインさんは家を作る人。
そういう職業でなくても「自分で作る」ができるのは豊かだな、と感じた一コマ。
例として、東京などの都会はありとあらゆる選択肢があり、地方(田舎)はないものが多いけど自分で作れる余地がある、というような話がありました。
「選択肢」が多いのは豊かさでもあります。
選べるということは、それだけたくさんの人がたくさんのものやサービスを作ってくれた功績。
ありがたく選ばせていただけるのはどちらかというと「受動的な関わり方」といえる気がします。
都会はたくさんのお店やサービスがある。
スマホにはYouTubeもSNSもながら見してるだけで時間が溶ける情報がある。
与えられたものから選んで、使う。
それは「消費者」として利用する感覚ともいえるでしょう。
自分が手を動かさずとも、何もかも手に入るのは、やっぱりありがたいことでもあるし、そうじゃないと生活できない。
逆に「ないから作る」というのは、一見選択肢のなさからの豊かさのない状態に見える可能性もあります。
でも「作る」というのはその対象に対して「能動的な関わり方」ができると言えます。
ないから作ろう!と、ものづくりの人たちは言ってくれたりするのですが、普段あまり自分で能動的に何かを作ったり企画したりしたことのない人は、不安かもしれません。
何からやっていいのか、どうしたらいいのか、誰かに発注したい、できる人にやってほしい、私は参加するだけでいいと、すぐに思ってしまう人も多いかも。
でも、小さくてもいいから毎日何かを完成させてみるとか、「小さく」「まずは」「仮で」というところをとっかかりにすることで、一つ、何か作ることができるのでは?と、私も思っています。
料理したり、壊れたものを直したり、生活の中で自分で手を動かしてみる。
面白いイベントがないから自分でやり始めてみる。
古い民家を本屋に再生したのは夫とその仲間達ですが、あるものを工夫してなんとかする、というのも「選択」ではなく「作る」ことの一つ。
うっかりすると消費するだけの日常になりがちなので、小さくても自分で考えて自分で決めて自分で作ることをしつつ、選択⇄作るを、行き来する生活ができるといいなと感じました。
他にもめちゃめちゃ良い話いっぱいありましたが、とりあえず一部をメモ。
こんなに家の話されたら、みんな、青木さんちに行きたくなってしまってるだろうな〜。
今後の展開も楽しみです。
そんな感じで、楽しい1時間半はあっという間に終わり、最後は参加者さんみんなで片付けもして、とてもあたたかいイベントとなりました。(本当に皆さん、ありがとう)
TENTの製品を見ていただいたり、書籍販売をしたり、家の模型も見てもらったり・・・と、単なるトークイベントというよりは、道具とか家とか地域とかについて丸ごと触れてもらえるような時間になったのではと思います。
ふぅ〜
脱力!
また、こんな会をやりたいな。
みなさんの感想
一部掲載させてもらいます。(嬉しい!)
質問もたくさんいただきましたので、トーク内で答えられなかったものはこちらで返信させてもらっています↓
TENTの製品もいくつか並べさせてもらったのですが、その場で「買いました!」って声をたくさん聞きました。
実物見れるの嬉しいですよね。
TENTのオンラインショップはこちら▼
ミユキデザインさんの青木邸の模型もたくさん!
図面と模型見てるだけで2時間くらい使うわ〜という感想もいただきました。
ミユキデザインさん▼
「アイデアとかデザインとか」の本は、夫のカクカクブックスから持ち込み。
サインをしてもらうのをうっかり忘れました・・・あんなにみんなにはアナウンスしたのに・・・自分とこのを忘れるとは・・・
書籍販売はこちら▼
トークイベントの様子を同時にTwitterスペースで配信しました。
会場メインなのであくまでも補足的なものですが、よかったらぜひ。