【スリー・ビルボード】で知る、それぞれの正義

一つの事件をきっかけに書かれた3枚の広告看板の強烈なメッセージ。
そこから、小さな街のコミュニティに不具合が起き始め、良くも悪くも街中がうごきはじめる。

人種、性への差別、身体的特徴などへの偏見と、警官という権力からの圧力や暴力などが行き交うクライム映画。
小さな街の人々が何を正義として行動しているかを見ると、人の多様性が面白くもあり悲しくもある。
だけど、過ちを乗り越えて人は変われる可能性がある、ということを示すラストは清々しい。
哀れみや悲しみや憎悪であふれていた関係性が、少しずつ優しさに包まれて行くのを見ていると、心が洗われる。
泣けてきた。

事件が解決するとかどうとかではなく、一つのきっかけが人々の心を変えて行くことができるという希望のあるお話。
アメリカの田舎町を想定されていて、風景にあったカントリーミュージックがとても効いていて、不思議な高揚感とあたたかさがあった。
サントラが欲しいな。

見方を変えて、タイトルのスリービルボード「3つの看板」に関すると、効果的な広告とは、優れたデザインとは、まさにこういうものだと、看板の有効的な利用方法としてもハッとした。
社会って、燃える熱い想いだけじゃなく、それを訴えるためには視点を変えたちょっとした工夫が必要なんだな。
叫んでるだけじゃだめだ。


「スリー・ビルボード」から学ぶことはたくさんあるけれど、私は「正義」というものの不確実さ、不安定さについて思考を巡らせた。
正義は絶対なのか?何を持って正義と言えるのか?

道徳的な正しさと、優しやさや思いやりは時に一致しない。
私の正義が、誰かを傷つけることもあるかもしれない。
スリー・ビルボードを依頼した主人公は、自分の正義のために戦ったけれど、それによって少なからず街は動揺し、傷つく人もいた。

だけど、絶対的な正義もないかわりに、絶対的な悪もない。
良くも悪くも、人が動くときは善悪の混沌が起きる。

その中でも、信念を貫き通す事で人々の心を動かし、変化し、結果として周りが優しさで包まれていくようになれたら素晴らしい事だ。
実際にできるかどうかはわからないけど、人というものにはそれが可能なはずだ。


私の正義。
あなたの正義。

「これだ」と信じるものがあれば、貫き通す勇気を持ちたい。

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オゼキカナコ
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