かき氷の行列で、なぜ90分待てるのか?
長月のお店の向かいは、和カフェ。
ランチもお得で美味しく、私も良く利用させてもらっている。
こじんまりとした小さなお店で、さらに人気もあるので、普段からランチ時間は行列になることが多々ある。
それが、今の時期、夏になるとランチだけでなく夕方の閉店時間まで恐ろしいほどの行列で賑わう。
その目的は、皆、かき氷だ。
今日、長月に入ってくるお客様が落ち着きがないそぶりをしていたので、「かき氷待ちですか?」と聞いてみると、なんと18組目とのこと。
えっと、待てよ。。。
普段の様子を見ていると(長月がガラス張りなので向かいのお店の様子がよく見える、もとい、見ている)、入店して1時間半は滞在される方が多い。
客層は40代以上の奥様が多く、おしゃべりに花を咲かせ、下手すると、2時間3時間とゆっくりされる方もしょっちゅういる。
(長月で下見して→カフェに入り→もう一回戻ってお買い物する、という方もよくいらっしゃるのだけど、ランチで入ったはずなのに夕方近くに戻られるのでいつも「すごいな・・・」と内心ちょっと思っている私。)
そして座席数も30席ほどで、、、ってなると、18組待ちって下手したら3回転目くらいにやっと入れるのでは??
今日なんて、2時間くらい待ってる方もざらにいて、かなりびっくりした。
スプラッシュマウンテンでもそんなに待たんぞ。
とはいえ、順番が来たら電話で呼ばれる制度なので車で待っている方も多い。
この真夏、エアコンかけたまま停車しているのもどうかな・・・と思ったり、明らかに買い物もしないのに物販のお店で涼むのもどうかな・・・と思ったり、色々気になる点はあるものの、その和カフェ自体も「熱中症に気をつけて、涼しい場所でお待ちください!」なんて親切に案内がある。
なのに!
なぜかこの真夏の炎天下、中庭で待ってる方も多いのだ。
めちゃくちゃ暑いのに・・・・!
もちろん日陰があったり椅子が用意されていたりするので、そこまできつくはないにしろ、35度超えの岐阜の屋外で待つとは・・・。
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さてここで、私のことを話してみるのだけど、私はまずかき氷がもともとそんなに興味がない。
アイスクリームも与えられたら食べるけど自分で買って食べることは少ない。
冷たいものは歯がしみるし(年齢問題)、体を冷やしたくない(年齢問題)ので、控えている。
なのでまず、かき氷で並ぶ、という概念が存在しない。
でもまあそれが大好きな食べ物、例えば私は、、、魚卵とか大好きですけど、あ、ちょっとわかりにくいか。
例えば「並ばないタイプの寿司屋で1万円のコースが3000円!」とかならどうだろう。
私は並ぶのだろうか?
正直めちゃくちゃ食べたい・・・・魚介好きにとって寿司屋は聖地。普段食べられないランクの魚介を心の底から味わって食べたい・・・。
だけど90分並んでまで食べたいと思うのだろうか・・・?
否。
私はきっと並ばない。
並べない。
その90分があったら何ができるだろう?と考えてしまう。
せっかくの機会だけど、本当に惜しいけれど、それなら1万円のコースをそのまま、いつかお金に余裕ができたら思い切ってゆっくりと味わいに行けばいいと思う。
私は、今まで行列というものに並んだことがほとんどない。
並んだことといえば、、、、食事では思い出せないけど、野外フェスとかライブのオープン待ちくらいかな。
それですら30分も待ったらいい加減飽きる。
だから行列に並ぶという行為を普通にやってのける人々の気持ちがわからないのだ。
わからないじゃない、わからなかった、のだ。
最近、実は少しわかってきた。
行列に並ぶのは無駄な時間ではなく、その時間すら楽しみに変えるエンターテインメントとしての要素なのだ。
「待つ」ことの高揚感。
「待つ」ことで期待値も高くなり、ワクワクが増幅する。
「待つ」時間が友人や家族と過ごすコミュニケーションの場となる。
「待つ」こと自体が楽しい体験、「乗り越えられた」という経験になる。
そう思うと、待っている人たちはみんな楽しそうで思い思いに過ごしている。
イライラしている人も中にはいるだろうけど、きっと冷たくて甘い、ゴロゴロと果肉が入ったマンゴーかき氷なんかを頬張った瞬間に「待ってよかった!」と思うんだろう。
(実際に、ここのかき氷は本当に美味しい)
行列はエンタメ。
待つ時間はコミュニケーションの時間。
私が「マジか・・・90分待ちて・・・」と無駄に思っていることは、ある人たちにとっては「がんばろ!楽しみ!」の有意義な時間でもあるのかもしれない。
そんな光景を毎日見ながら、人の楽しみっていろいろだな〜と思う。
並べる人はある意味、幸せなのだ。
しかしみなさん、熱中症にはご注意だよ。