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結婚とは「自立したもの同士が共に暮らす」という感覚
noteではたまに、夫婦のネタ?を書いていこうと思う。
今日は「結婚するときの約束」について。
たくさんの人と話す仕事だからか、恋人や夫婦の話を聞く機会も多い。
夫婦のあり方は本当にいろいろだなと感じるし、どれもその夫婦それぞれの正解があり、他人が口出すことはできないなあと思う。
夫婦間のグチを言われたり、悩み事を相談もされることがあるけれど、正直なところ明確な答えはいつも出せないなぁと感じる。
夫婦間の問題を解決しようと思えば、一般的な解はあるとしても実はあんまり意味がなかったりする。
また下手にアドバイスみたいなことをしてみても「あなたのところはそれが正解かもしれないけど、うちは違う」みたいなことにもなりかねない。
または全てが「相性」で片付けてしまうこともできる。
さて、我が家の話をすると「仲がいい夫婦だね」「すごくバランスがいいね」などと言われる。
確かに、夫と私は性格は真逆だけどそれゆえ協力しあえる、補い合えることが多いし、性格は違っても目指すところが近いから、ちゃんと人生をともに歩んでいる感覚がある。
そんな私達の結婚時の約束は
「いつまでもお互い自立した者同士が一緒に暮らすという感覚でいよう」というものだった。
彼からの提案に私は「この人、最高じゃん。よくわかってる。私もそう思った!」って思った。
これを聞いて「何だか冷たい」と思う人もいるだろうか。
「ずっと一緒にいよう」とか「幸せにしてあげる」とか、よくあるそういう甘い約束事を夢見ている人もいるだろうか。
私はこの「自立した者同士」というのが気に入っていて、結婚して10年以上たった今でもこのことを時々思い出し、「私は自立できているのかな」「私たちはいまでも自立した者同士でいるかな」と考える。
自立しているとは何だろう。
もちろん、完璧な自立などはありえない。
常にお互いが、またはそれ以外の周りの人に助けられながら生きている。
さらに、結婚して一緒に住んでいるから当たり前だけど、家も建てて車も1台を2人で使っていて、物理的な共有はたくさんある。
子供がいたりしたらもっと複雑になるかもしれない。
仕事する者と子育てする者には、どうしても不公平感が宿ることもあるだろう。
だけど、たとえ物理的に共存関係であったとしても、精神的に自立している状態を目指すことはできる。
それが、私の場合はいつも自分を安心させている。
別れるつもりがあるとかそういうのではなくて、私は多分「いつだって1人になれる。なっても大丈夫。」と思いながら、自分が生きるための努力をしながらも、愛する人と共に生きていくのが心地よい。
これは、「いつだってお店を辞められる。辞めたってどうにかなる。」みたいな気持ちで一生懸命お店を運営しているのにも似ている。
「結婚したら別れたらダメだ。常にお互いが協力しあって生きるべきだ。」と言われると息苦しい。
「お店をやり始めたなら続ける努力をしよう。
簡単に辞めるなんて情けない。」などと思うと逆に続けるのが辛くなる。
これは自分だけの感覚なのか分からないけれど、私は何かに依存するのが嫌で、誰かと何かの約束をするのが苦手で、いつだって自由に、波に乗るようにゆらりゆらりと方向を変え、思いのままに生きていきたいと思う。
結婚というある種の束縛は、人によっては窮屈だったり重かったり、人生を変えてしまう力すら持っている。
だけど私たちの結婚生活は軽やかだ。
お互いに依存せず、求めすぎず、1番身近な他人として敬意を払いながら、自立心を持って共に暮らしている。
それが1番じゃないかなと私自身は思うし、自分にはその思想があっている。
いつか「精神的に自立して暮らす」ことの具体的な行為とか、考え方を書いてみたいなーと思う。
夫婦でケンカしたり、うまくいかないことがあったりする人たちに、こういう思想もあるよ、というのを知ってもらえたら嬉しいな。
そして、これを読んでくれた夫婦の方がいたら、、、、
結婚したときどんな約束をしたのか、なにか誓いを立てたのか、思い出してみるのも意味があると思う。
私は何かあった時に支えになるのがこの約束だ。
みなさんも、そんな約束、あるだろうか?
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